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江戸町巡り

【牛込②】大久保番衆町

2019.10.17 14:24

町名:大久保番衆町

読み方:おおくぼばんしゅうちょう Ōkubo-Banshūchō

区分:俗称

起立:江戸期

廃止:1872(明治5)年7月

冠称:「大久保」

後身:市ヶ谷冨久町

現町名:新宿区富久町

概要:現・東京医大通りの北を「大久保番衆町」と呼んだらしい。ただし、現・東京医大通りの北の地で、百人組与力・同心大縄地のあったところは、後に市ヶ谷冨久町町域に組み込まれる地域。そこは東京医科大学よりやや東の地(新宿区富久町21番地(新宿区立富久さくら公園))である。そのため、この記事のカテゴリーは「南豊島」ではなく、「牛込②」となる。

1872(明治5)年7月、市ヶ谷冨久町に編入となり消滅。

撮影場所:大久保番衆町

撮影地:新宿区富久町21番(新宿区立富久さくら公園)

市ヶ谷新本村御旅町 市ヶ谷自證院門前町