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この道往けば act2

旧白木峠

2019.10.18 01:23

福井県道141号竹波立石縄間線(たけなみたていしのうません)旧道。

白木峠

久しぶりに僕に旧道らしい景色を味あわせてくれたこの峠。

しかし、この白木峠にはまだ隠された武器があった!

探索のスタートとなるのは敦賀側。

2つ目のヘアピンカーブを曲がってすぐの斜面です。

この入り口を見つけるの20分を費やしたぞ!

武平峠みたいにわかりやすいものばっかじゃないのです。

世の中厳しいね。

車だと美浜側から来た場合、丁度陰になる斜面ということもありなかなか見つけるのは困難です。

さらに沢になっているので、カモフラージュに拍車がかかってる!


とりあえず路面近くの青いビニールが目印です。

普通こういうのは大きめの木の枝なんかに結び付けとくもんなんですが、頼りなげな灌木に結び付けられてると・・・。

大丈夫なのかと不安になります。

激坂を登りきると、道は平穏を取り戻します。

おそらく、旧県道の工事の際に街道を若干削られたものと思います。

そこで高度差が生じて、入口の激坂が生まれたのかと。

そうじゃないとあんな激坂を日常的に使うのはちょっとおかしいよね。

これはいい古道!

古くて広い掘割がかっこいい!!

今にも騎馬が駈けてきそうな雰囲気があります。

雨が降ると古道に雨が流れ小川になるので、土山にある古い街道の掘割はこのようにⅤ字に削られていきます。

ちょっと雨の景色も見てみたい・・・。

ピンクのリボンが山歩きの目印。

山岳会(?)の方が登山道や古道にはこのような目印を付けてくれています。

ただし地図の携行は山歩きの基本ですのでお忘れなく!

地形図が読めれば危なそうな場所も分かります!

そしてしばらくこの美しい掘割の道を進むと、この街道の最大の見せ場が現れます。

十五体又五輪二体岩地蔵

若越霊場八十八箇所の第五十五番霊場とされる、大岩に掘られた15体のお地蔵様。

白木の歴史を詳しく調べれば、いつ誰が何のために作ったものかが分かるかもしれませんが、あいにく調べが及びませんでした。


しかしこの存在を知っている市民はどれだけいるんでしょう。

もう少しアクセスが良い場所にあれば、かなり有名なスポットになっていた気がします。

白木集落の方は現在も信仰されているようで、生花やお茶碗が置かれていました。

ただその先には興味がないようで・・・、

順調に荒れてきた!

まだ大丈夫!

道の痕跡は留めてる!まだいける!!

・・・道あるなぁ・・・。

行かなきゃダメ?

行かなきゃダメ?? 。・゚・(ノД`)・゚・。

右の法面と平場がなければとても道だとは断定できない灌木地帯を突き進みます。

季節的にまだマシだけど、時期が時期なら蜘蛛の巣天国なんだろうなぁここ。

想像するだけでムズムズする・・・。

平場ってのはよく日が当たる分、木の生長が早いんだよねぇ・・・。

しかし両側から迫ってきた掘割がゴールが近いことを教えてくれています。

掘割を抜けた先にはこんな風景が。

これは土砂崩れの跡か?

それにしては滑らかだけど?

なんか採掘したにしちゃ小規模だし。

どちらにせよちょっとがっかり・・・。

古道はかろうじて地滑りを免れていました。

そしてここには僕の行く手を阻む最終関門のようにイバラ地帯が待ちうけていました。

地滑り跡の脇を掠めるように続く先には・・・、

旧白木峠着。

かつて朝鮮半島からこの地に辿りついた人々がこの地に開いた集落「新羅」。それが転じて白木となったとの説が残っています。

その人々が初めて超えた日本の峠がここだったのかもしれませんね。


美浜側に続く道も確認できましたが、どこに辿りつくのかわからなかったのでやめました。

旧県道に辿りつく保証も無いですしね。


帰りに二度ほど沢になってた掘割でこけましたが、無事帰還できました。

これにて白木峠に隠された秘密を全て白日の下にさらしました!

あのお地蔵さまは是非、直接見ていただきたい。


以上、これで本当に白木峠編