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芝浦工業大学 サイクリング部

2019年夏合宿!!!!!

2019.10.19 08:26

おまたせしました!毎年恒例、物議をかもすイベントの報告です!

どうして人は過ちを繰り返すのか。



今年はローテーション通り信州に10日間の死出の旅に出ます。トラブルが多く、また過酷な道も多いものとなりました。動画が載せられないのが残念です...

また、各班の写真が少なく筆者の班の事しか報告できないことはご了承ください。それでは






お ま た せ、また会えたね。

誰もが心に闇をかかえ帰ってくる、または帰ってこれない者もいる。

心という器は、ひとたび、ひとたび、ひびが入れば、二度とは、二度とは....

退廃的で憂鬱な合宿は美しく見える人もいるのはなぜか、それは自分たちのいる世界がそうであるという奥底に根付いた皮肉なのか。


今年は去年ぶちのめされて帰ってこれなかった人達の分二年生が少ないです。(そういうとこやぞ)二年生8人、一年生10人、3班に分かれて行動しました。元気な人とそうでない人、この合宿ではその2つに分けられます。私は後者でした。



今年の我々の班のコースはこのようになってます。「なんやわりといけそうやんか」と思うかもしれませんがそれは去年がおかしいだけなのです...忘れてはいけないものもあるのです

ここからです。

「健康で文化的な最低限度の生活」

が保証されなくなり、人権をはく奪された我々の姿です。いってきます

滝のような雨の中キャンプ場到着。浸水するテント。寒さに凍える我々。憎い...この世のすべてが憎い... 最終的にサランラップを敷き詰めて事なきを得ました?

初日のごはんはカレーです。初めてにしてはご飯もうまく炊け、好調なスタートです。あとは雨が降っておらず夏合宿でなければ満点でした

ここでトラブル。灼熱の中自転車をこいでいたかと思えば、雨に降られ、寒暖差により一人が救急搬送されてしまいました。親御さんに迎えに来てもらうため、次の日もバンガローに延泊しました。合宿とは楽しいものではなかったらしいです

気を取り直してごはんです。

さあここで、今年も開催!

何がとは言いませんが。というか口留めされたので。誰も幸せにできない悲しき伝統です。

こんなにつらくてなんでどうして...と、



これが現実でなかったらと何度考えたでしょうか。でも


おい、これは現実だ

と大雨と大量の荷物が我々に襲い掛かります

そびえたつゴミの山。こうなったいきさつとしては、一人がリタイアし、延泊をしたため、日程がずれ日に200km以上を移動しなくてはいけなくなったためです。なので交通機関を利用しました。

かといってこの量を人ひとりが持ち移動するのは肉体的にかなり堪えました。






輪行した先の海浜キャンプ場です。波の音が心地よく唯一安らげる場所でした。唯一。

きれいに整列された消波ブロックは我々のようです。でもそんな内情やエゴを自然やモノに押し付けるのはいつだって人間だけです。






そしてこの日のごはんは魚肉キムチ鍋です。


これが意味することは各自察してください...鍋には必ず必要なあるものがないのです...。どうしてでしょうかね?悲しき呪縛に縛られた我々をあざ笑ってください。そして自分たちは恵まれているともう一度確認してください。



人は忘れる生き物ですからね、しょうがないとは言わせませんが

ちなみに〆のうどんは合宿中に食べたどんなものよりもおいしかったです。なんででしょう、でも味は覚えてないんです。かなしいね。そういうことです。








すがすがしいまでに青く晴れた空。僕らが疲れた心でこの空に何を感じ、うったえようと向こうは何も答えをくれません。

ましてや僕らの存在についてどうと思っていることはないようだ。でなければ若者が自転車を漕いでいる中大雨を降らせたりなんてしないから。

漁港なので海鮮丼ですね。疲れた我々をこの先もっと疲れさせるための口実です。

私は気づかずワサビの塊半分を一口で食べてしまいました。その時やっと痛みを思い出しました。

でもそんなの一時的なものです。恒久的に消えないものを我々は上書きされたのですからね。

車も走れる砂浜です。誰も砂の下の存在は気にかけてはいないでしょう。

そう、下の存在は気にかけてもらえないのです。






ここにきてやっと漕いでいる写真です。結構な勾配で考えることがつらくなってくる感じでした


一漕ぎ一漕ぎ思うのです。

何でこんなことしてるんだろう...

起こる事象には必ず意味があるといいますが、これに関しては

意味が分からないのです

まるで「数学なんて役に立たないじゃあん」と訳も分からずやっている人の感覚に似ていると思います。例に出した数学はその有用性にすぐ気づき、少なくとも数学なんて知らなくても生きていける世の中に数学はしてくれましたが。この出来事の有用性について気付くときは来るのでしょうか








合掌集落です。これらが作られたときに生きていなくても懐かしく感じるのは、場所とは記憶でありそれらを構成するものがずっとそこにあればいつの時代も共有できるからです。また、いくら時代が進んでも現代は過去の延長線上に過ぎないということなのでしょう。



やけすぎ

私の方が焼けたぞ!とかそういうのではないんです。不毛な比較は誰も幸せにはしてくれません。武器商人にとっては話は別かもしれませんが



わざわざレンタカーで先輩方にお越しいただき、差し入れをしてくれました?

誰が何と言おうと、自転車に乗った我々への

差し入れです

人生に弄ばれているような気分です。この楽しく愉快な出来事を理解しあい、笑いあい、共有できないことが本当に残念ですね。

でも!モンスターを倒すときは自分までモンスターになってはいけませんよ?我々はそれを知っています。






白川郷にかかる橋を渡ったときのものです。でもこの色もGalaxy S10のアルゴリズムによって生まれたのです。ということは現実ではないのです。でも、現実と相違ない偽物ならそれでもいいんじゃないでしょうか。でも今のようなものが相違ない偽物なら僕は難なく現実を受け入れるでしょうね。


小道を行きます





色々遊んでいたらキャンプ場についたのは10時近くでした。

やっぱり何度見ても思いつくことはただ一つ、

もうやりたくないかなぁ...

ってことです。





そんなことを考えていたら木曽につきました。途中の長い激坂は精神衛生上よくないのでなかったことにしました。


この日も結局大雨に降られ、皆意気消沈したなか、また呪縛による誰も幸せにできない悲しき伝統を行いました。それらに魂を縛られた人とそうでない人、どちらが幸せになるでしょう。

前者です。力を持ったコミュニティと小さくつたない社会はより弱いものを見つけ保身のためにそれらを蹴散らします。そして文句ひとつない幸せに怯えたものが出来上がるのです







最終日



みんなで作るカレー、美味しいに決まっています。

生命に対する極めて侮辱的な行為

僕は忘れていた涙をやっと思い出し、そしてまたしまい込みました。代替えの出勤は虚無でした。

何か別の者が出てくるだけましかもしれませんね。時には笑って過ごしたいものです








以上の過程によりこの写真があるのです

いつだって忘れてはいけないことがあります、それは他人にどういわれようと意思は自分にしか決められないってことです。この合宿で学び続けることは非常に大切だなと改めて感じました!!変わるべき時もいつか来るのかもしれませんね!






という形で夏合宿は終わりを迎えたのですが、今回はリタイア者や割と大きなけが人、コース変更、合流、いざこざ等いろいろありました!それも含めて夏合宿ですからね!合宿的には満点です!!!(そういうとこやぞ)今のところ誰も帰ってこれなかった人にはなってないので結果オーライです!(そういうry)


長い記事、貴重なお時間を使い最後までご覧いただきありがとうございました。