話を聞かない子どもたち・文を読まない子どもたちの凡ミスの減らし方
こんにちは、カウンセラーになりたくて心理学を勉強していたのに、ついつい喋り過ぎちゃう勉強犬です。日々改善中。
さて、本日は「話を聞かない子どもたち」がテーマです。いいですか、話を聞けない子どもたち、じゃないですよ。決して能力の問題ではないということです。
本日の記事は、「話を聞かない」つまり、親や先生の言うことに対して、(無意識的かもしれないけれど)スルースキルを発動する子たちについてということです。その現象って割とそれなりに能力の高い子達に起こりがちな気がします。
話だけじゃないですよ。問題文を最後まで読まずに、「あーわかっていたのに!」という間違いを繰り返す子も同様です。よく凡ミスなんていう風に言いますよね。その言葉だけで片付けてはいけません。これも文章スルースキルの賜物です。
では、どうしてそんな事が起こるのでしょう。
なぜスルースキルが発動されるのか
内容的にはよく聞けばわかる話なのに、それを聞かないで、失敗をする。例えば、親が伝えた工夫だったり、先生が伝えたテスト範囲だったりを、右から左へスルーしてしまい、活用できないことがある。
あくまで大前提は、「話を聞けば余裕でわかる」ということです。内容が理解できないから聞かない、ではなく、聞けばわかるけど聞かない、という場合についての話です。
考えられる原因としては、
- 人間としての能力を発揮している
- 感情が入って邪魔をしている
- 聞く価値がないと思っている
- 違うことをしている
などがあります。一つずつ見ていきましょう。
人間としての能力を発揮している
この見出し、なんのこっちゃと思いますよね。ちょっと詳しく説明します。
僕らには、「難しいものを簡単(害のないもの)にする」力が備わっています。例えば人の言葉や文章をそのまま受け取るんじゃなくて、要約したり、端折ったり、足りない部分を補ったり、自分なりの解釈をしたり、刺激に慣れたりできるんですね。コンピューターにはできない僕ら特有の能力です。
興味ない文章を眺めていると、いつの間にかぼやける感じになってくるのもこの能力の一環です。そうやって、脳が力をセーブしているんですね。
このセーブ機能の一つが、スルースキルです。僕ら、省エネしてるわけです。
ですから、スルースキルを発動することは決して悪いばかりのことではないのです。生きていれば、このスルースキルを活用したほうがいい場面というのは山程出てきます。校長先生の長い話だったり、嫌なニュースだったり、どうしようもないことに出会ったときだったり、改革したいとき等です。
でも、使い所を誤ると、失敗する目に遭います。例えば、上記でも挙げた通り、テストの問題文を最後まで読まず「間違っている答えを選びなさい」とか「記号で書きなさい」を見落として、「正解しているもの」や「式」で答えを書いてしまうときですね。
これはよく凡ミスとして片付けられがちですが、一つ一つの凡ミスには原因がありますから、それを突き詰めて考えることが必要です。その考え方についての詳しくは『模試やテスト分析の仕方』を御覧下さい。とにかく、凡ミスの裏側に、こういったスキルの発動という理由が隠れているのです。
では、どんな時にスルースキルが発動されやすいのでしょう。
感情が入って邪魔をしている
人間は感情の生き物です。
単純に、強い感情が入っていると、話というのは受け取りづらくなります。その強い感情は、話し手と聞き手のどちらか、もしくはどちらにもある場合があります。
話し手が感情的な場合の話は、受け手にとって信憑性の低いものになりがちですから、話半分で聞くようになります。もちろん「たまに」の感情的な一撃であれば、スルースキル発動は防げると思うのですが、刺激には慣れるものです。
コミュニケーション能力の高い子のほうがこの「感情」というものには敏感で、「あ、今この人感情的だな」と思えば、スキルが発動されます。
伝える側としたら、もしも相手にスキルが発動される様子があるのなら、冷静に伝えてあげる必要があるでしょう。
受け手に感情が入っている場合というのは、話し手のことが大好きだったり嫌いだったり、話し手に対して怒っているときなんかですね。人によっては、話す内容がなんだろうとスルースキルが発動され、やっぱり話が入っていきません。
こういう子は、国語の小説文読解などでも主観が入りすぎて、答えを間違ったりすることがあります。よく言えば感受性豊か、ただ問題を解く場合は、客観的になる練習が必要です。
価値がないと思っている
感情とも話は似てきますが、スルースキルが発動される条件として、もうちょっと無機質に、そもそも相手や相手の出す情報に価値がないと思っている場合もあります。
例えば、「あ、この先生の授業つまらない」と思ったら、スルースキル発動です。その先生が授業中に発した重要なキーワードも、ぼんやり宙に浮かべたまま掴むことはありません。
親や先生の言う正論も、小言的な感じになってしまっては、スルースキルの対象です。「わかってるって」というやつですね。そう思われてしまっては、折角の貴重な情報も価値が低くなってしまいます。伝える側としては、「また言ってるよ」みたいな顔をされたら要注意ですね。
そういう場合は、伝え方や伝える場、第三者から伝えてもらうなどの工夫が必要でしょう。情報自体の価値はあるわけですから、伝え方を工夫して、その価値に気付いてもらうのです。
違うことをしている(考えている)
もうスルースキルどうこうの話じゃないよねって感じですが、こういう例もあるよというのを記しておきましょう。
スタートは上記の「感情が入ったり」「価値がないと思ったり」だと思うのですが、それが強まると、人が話している間にも、頭の中や目に見える形で違うことをし始める子たちもいます。授業中の作業なんか顕著ですよね。ながら勉強に慣れている子に多い印象です。もちろん、意図してやっているわけではなく、意図はないのに能力的にそうなってしまう子もいるでしょう。
これも良い悪いということではありません。でも、伝える方としては、その状態だとまったくもって伝わらないですからね。また、違うことをやっていて、重要な情報を逃してしまったり、いざという時に集中力がうまく使えなかったりと、本人にとっても不都合があります。どちらにとっても、一点に集中させる工夫、いざという時に集中できるスキルが必要です。
僕がよくやるのは、話しているときにこちらを向かせること。眼と眼を合わせること。ノートやワークや他の何かではなく、こちらにだけ集中させることで、情報をきちんと渡すことができます。その上、何を伝えたか、口頭で確認までできるといいですね。
あとは、国語の読解の練習も、「どこが必要でどこが必要じゃないのか」を上手に掴み取るための訓練になります。僕がよく言う「国語力」を鍛えるというやつです。
そうやって、集中力の使い方を伝え練習するだけで、ミスが減る子もいます。あとはその子の素直さ加減で効果が変わってくる印象ですね。
ちょっと長くなってしまいましたが、まとめると、
伝える側にはスルーさせない工夫が、
受け取る側にはスルーしない練習が、
必要。
ってことですね。長文失礼しました。
本日もHOMEにお越しいただき誠にありがとうございます。
スルーさせない姿勢を身につけさせることができているご家庭はすごいって思います。