「宇田川源流」 <現代陰謀説> いじめ問題や刑事事件などで何に配慮して「実名報道」をしないのか?
「宇田川源流」 <現代陰謀説> いじめ問題や刑事事件などで何に配慮して「実名報道」をしないのか?
陰謀説を書くにあたって、「陰謀」とは何かということをしっかりと見てゆかなければならないのではないかと思っている。実際に「陰謀」というのは、世の中の陰謀論者が言っているように、簡単にストーリーのように語れる陰謀などはない。まさに、陰謀が存在する場合は、その陰謀というのは、基本的にメインとなるストーリーを決めるが、しかし、すべてが思惑通りに動くものではない。実際に、陰謀というのはその仕事をほとんどが仕掛けられている本人、例えば、日本に陰謀を仕掛けえているとすれば日本国民の自主的な動きによって行われることになるので、その動きはある程度予想することになるが、それ以上の細かい指示などはできるものではない。
飛行機に爆弾を仕掛けたり、あるいは、暗殺したり、そのようなものは「工作」ではあるかもしれないが、実際には「陰謀」などということはない。そのことは別に陰に欠けているものではあるが、しかし、それは相手の本人の行動を伴う必要がないからである。つまり「単なる工作」でしかなく「陰謀」とはならないのだ。
さて、その陰謀の「主な舞台」となるのは、まさに「マスコミ」である。
まあ、マスコミは少ない人員を支配することによって、多くの人々を洗脳または操縦することができることから、ある意味で、簡単にマスコミやメディアのコントロールによって様々なことをすることができるようになるのである。
さて、「メディア」の陰謀によって、日本は様々な被害を受けているといえる。そもそもこれだけ日韓関係がおかしな状態になっているのに、また韓国では反日デモが毎日のように繰り返されているのに、なぜか「韓国に観光に行こう」というような番組を流す。これをはっきり言って「韓国を批判しないようにする陰謀」と言わずしてなんというのであろうか。
日本のマスコミが偏向しているということは、よく聞くことであるが、まあ、ある意味で視聴者が賢くならないといけないということになる。ではこのようなケースではどうであろうか。
『グッディ』木村太郎、「メディアに責任がある」教師いじめ報道への発言を安藤優子がスルーし物議
18日放送の『直撃LIVE グッディ!』(フジテレビ系)での木村太郎のある発言に称賛の声が集まっている。
この日、番組では神戸の小学校で起こった教師間のいじめについて特集。加害教員のイジメ内容が明かされ、加害教師が被害教師の家族に向けた謝罪文が公開されたものの、これに被害教師への謝罪がなかったことなどを取り上げ、出演者たちは加害教師たちに苦言を呈していた。
そんな中、特に憤りを見せていたのはコメンテーターとして出演していたジャーナリストの木村太郎氏。いじめが生まれる原因となってしまった学校組織の在り方について苦言を呈した後、「それ以上に、社会がこれを容認してるのよ」ときっぱり。さらに、「なぜだか分かる?」と周囲に問いかけ、「僕、テレビに責任があると思う」とメディアにも責任があると切り出した。
木村氏は「なぜボカシ掛けてるんですか?」と、日々拡散されているいじめ動画の中などで、メディアが被害者だけでなく加害教師にもモザイクを掛けていることを指摘。「あれはね、(顔を)出すべきですよ。出したら訴えられるかもしれない。人権侵害で。でも、人権守るんですか?」と過激な発言も。
さらに、「僕ね、そこまで追い込まないとこういう問題、解決しないと思う。それを、事なかれでボカシ掛けちゃうと、それだけで彼女ら、彼ら(加害者)は守られちゃうわけですよ」「もっと社会が厳しく対応する。マスコミから対応しなきゃいけないのよ。僕は責任のある番組とか放送局がボカシを取ってくれるのを楽しみにしてる」と、社会的制裁を受けることが加害者の反省にもつながるとした。木村氏は「どうですか?」と呼びかけたものの、安藤優子アナウンサーは3秒ほど沈黙したのち、「なぜこの加害者が教師になれたのか?」と問題提起。話題をスライドさせていた。
木村氏のこの発言に視聴者からは、「本当にそう!ボカシ外してほしい!」「よく言った!名前と顔公開して」「マスコミ使ってマスコミ批判するのは立派。しかも正論!」といった賛同の声が殺到。しかし、木村氏の発言に触れなった安藤アナや番組には、「話のそらし方が不自然…」「一意見でいいから反応してほしかった」などと残念がる声も寄せられていた。
木村氏自身の指摘は人権侵害に当たる可能性はあるものの、被害者感情に沿った発言だったと視聴者は受け取ったよう。この日は称賛する声が続出した。
2019年10月18日 17時00分 リアルライブ
https://news.nifty.com/article/domestic/society/12184-51469/
神戸の小学校の学校内部の教師同士のいじめというのはまあ、何とも質の悪いというか、まあ、建前でしか物事を語れない人々では仕方がないのかもしれない。実際に、本人たちがいじめを繰り返し、なおかつ淫行で捕まるような輩も多く、そのうえで、明確な責任も取らずに、うちわで犯罪行為やこれらの不祥事を処理して隠蔽し、それでも隠蔽できない内容に関しては「モザイクの報道」をする。
例えば、少年犯罪に関しては、その少年の将来に配慮して実名報道をしないということが法律により期待され、また、その精神は報道にも浸透している。実際に、未成年の犯罪に関しては、どこまでは未成年なのかという議論もあるが、しかし、精神や判断が未熟な状態でに犯罪行為に関して、その犯罪を大人と同じ基準で裁いてよいのかということは非常に大きな問題だ。このように政治的または人の道として子供の将来、しいては日本国のみ体を案じての内容はよくわかる。
では、40代の小学校教師の行った「いじめ」つまり「強要罪」または「暴行・傷害罪」に関して、なぜその加害者の実名報道を避け、なおかつ顔などをモザイクを必要とするのであろうか、
「僕ね、そこまで追い込まないとこういう問題、解決しないと思う。それを、事なかれでボカシ掛けちゃうと、それだけで彼女ら、彼ら(加害者)は守られちゃうわけですよ」「もっと社会が厳しく対応する。マスコミから対応しなきゃいけないのよ。僕は責任のある番組とか放送局がボカシを取ってくれるのを楽しみにしてる」と、社会的制裁を受けることが加害者の反省にもつながるとした<上記より抜粋>
まさにこの木村太郎氏の発言は、国民の意を得ていると思う。そもそも犯罪者に関しては「人権」がある程度制限されるということになっている。当然に逮捕などはそのことである。最近なぜか在日外国人の本名の報道がないなど、様々なところでマスコミの偏向報道が激しくなっており、そのことに関する内容があまりにも大きくなっている。
「被害者が守られず、加害者が過剰に守られる」というようなことは、そのまま「自分の行為に責任を持つことができない」ということを意味しており、そのような自分の行動に責任を持てない人が、子供に教えているという現状があまりにもおかしい。そのことを全く表に出して報道しないマスコミはかなり罪深い。まさに、「日本そのものに責任を負わないことを推奨している」というような陰謀が起きている。
責任を負わない社会になると、人と人の結束が悪くなり、なおかつその結束がない個々の人間でしかない場合は、敵国からすれば各個撃破できるし、不安をあおって裏切りを作ることができる。つまり、そのことが「日本を侵略しようとしている人々に利する行為」であることは間違いがない。そのような間違いのない行為をしていること自体がおかしなものである。
実際に「日教組」などがそのような日本解体を考えているというような陰謀があると考えられ、なおかつメディアに外国の資金が大量に流れているということを考えれば、そのような「無責任報道」を、メディア自身の「無責任体質」は陰謀のなせる業でしかなく、そのようなことに影響された多くの自国民が、自主的に陰謀に嵌るというような形になってしまっているのである。
そのような陰謀の真っただ中にいるということが、今回の木村氏の発言で明らかになったのではないか。