労働供給曲線とフリーランスの関係
2019年ももうすぐ終わるが、この年はもしかしたらフリーランスがスタンダード化した元年になるかもしれない。それほど、世間でもフリーで働くということが一般化されてきた。いまや、知り合いのエンジニアのかたがフリーランスとして働いていても何も穿った目で見ることはない。技術職ばかりではなく、営業職のかたでもフリーランスになる人も、沢山いらっしゃる。時代は確実に変わりつつあるのだ。
しかしいっぽうで忘れていけないこともある。それは日本特有の企業文化や形態は、良い意味でも悪い意味でもしっかり根付いていて、そこで働く人たちが世の中のメインストリームだということだ。仕事上、多くの中小企業の経営者とお会いすることがあるが、彼らにはそうした自由な働き方が理解しづらい部分もあるということを忘れてはならない。これは決して、彼らが古臭いとか、時代遅れというわけではない。中小企業では、しっかりとその事業にコミットするフルタイムで働く正社員の人がある意味必要な部分もある。また限られた予算で仕事を発注した時に、「しっかりと」仕事をこなしていく組織体制のある企業のほうが安心できる。もっとベタに言えば、時間通りに動いてもらうためには、フリーランスよりも企業に発注したほうがリスクが軽減できる。
このようなことを考えると、今後日本の労働市場は、思い切り二極化していくのかもしれない。大企業、一流企業は、社数で言えば日本のほんの少しだ。世の中の大半は中小企業であり、いくら大企業の働き方が変わったり、国がフリーランスを振興していても、中小企業が変わらない限り、労働産業に大きな変化はない。しかしながら、今の若い人たちは、組織に属せず自由に働くことに何の抵抗感もない。
とすると、当然フルコミットを欲する中小企業と今の若者たちとの間に大きな壁が生まれる。時代の流れとしては致し方ないかもしれないが、世の中としては、労働生産性はあまり向上しないだろう。
ちなみに、では、フリーランス、自由業として生きていくことは本当に可能だろうか?エンジニアであれ、サービス企画であれ、彼らは本当に生計を立て続けることができるだろうか?
労働供給曲線と呼ばれるものがある。概念はとても簡単だ。ある時期まで労働時間が増えれば増えるほど、賃金は上昇する。しかしある時期を超えると、そこまで労働時間を使わなくても、賃金が増える、という曲線だ。
わかりやすくいえば、出世などがそうかもしれない。新人の頃はひたすら時間を使って結果を出していたのが、取締役などになると、部下の管理を短い時間で行う自分の給料は向上させることができる。経済学でも基礎的なグラフである。
しかし、この労働供給曲線が近年、若干変わりつつある。それはITでの業務の効率化や個人のポテンシャルによって報酬が大きく連動することが一般化しつつあるということだ。具体的に言えば、そこまで「働かなく」なくても「賃金」は上昇する社会になりつつある。
しかし、それをそのまま鵜呑みにしてフリーランス 、自由業になったら、かなり痛い目を見るだろう。当然、それなりの独自のスキル、得意技を磨かないとなかなか市場では生き残れない。
ただ、忘れてはならないのが、そのスキル習得、得意技取得が「労働」ではないということだ。
ブログの継続かもしれないし、YouTubeの尖った配信かもしれないし、エンジニア技術かもしれないし、圧倒的なアイデア力と行動力かもしれない。いずれにしても何かしらのスキル習得時間を積んでいかないと報酬は上昇しない。
そうすると、上記の図のx軸がスキル習得時間、y軸が報酬となり、上記のような曲線になるだろう。
私も独立しているが、はっきり言って、勤め人の頃の1000倍、気が楽だ。いろいろな課題はあるにしても、それでもわけのわからない組織論理に振り回されたり、理不尽な上司などに使われるよりは、精神衛生上良い。しかしやはりその自由を勝ち取るためには、それなりのスキルも必要だし、今後もスキルの習得をし続けなければいけないだろう。
自由を勝ち取るために、修行あるのみなのだ。