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立ち位置と見え方

2020.08.27 16:47

皆様いかがお過ごしでしょうか。私は微妙な体調が続いています。えいむです。

7月に最悪なところまでの体調不良に陥って、8月からは復活しようと頑張りましたが

失ったものを取り戻すのはなかなか大変でありますな。

そんな8月ももう終わりますな。時というのは流れを止めないものです。


子供の頃から理科科学数学が好きで、理屈っぽい子供でした。

それが実はASDのせいだと気づいたのは40過ぎてからですけど。

母親は多分私が小学生の時には発達障害であることには気づいていたようですが、それをわかるように説明してくれなかったために色々生きづらいまま大人になりました。

まぁ親のせいにしたところで今更どうしようもないのですが。

ただ障害者と認定されることのないように病院に行くことは許されなかったことを考えると、差別が普通にあった昭和の時代を考えて親は分かっていて苦労しないようにと逆に障害者になるよりはちょっとおかしな普通の人として生きることを望んでいたのでしょうね。

大好きな海外ドラマCSI科学捜査班(CSI:LV)でグリッソムがよく言っていた

「証拠は嘘をつかない。人は嘘をつく。証拠が全てだ」が結構信条にありました。

人は自分の価値観を基準に理不尽な評価をして、それを押し付けがちだから。

でも形而上学を学び始めて、それは形而下学(科学、化学)の分野の考え方だなと納得しました。

現在の科学はたくさんの証拠、症例、たくさんの事実から導き出される今までの通例

つまりは過去の記録に当てはめるということなのです。

今を生きているのに過去から導かれることを大前提にしてしまっていては、未来の発展の可能性は薄くなっていって当然です。

新しい発想、というと珍重されますが。

今までの考え方からは決して出てこないイレギュラーなやり方、というと嫌がられるものです。

特に日本人は前例がないことを嫌いますよね。科学者が海外に出て行ってしまうのはこのせいだと言っても過言ではないでしょう。

言い方、見方でこんなにも印象が違ってしまうものなのですね。

もう一つ私が好きな海外ドラマSCORPION。

IQが高い人はEQが低い。ということを描くコメディドラマ。

私はチームスコーピオンのメンバーほど頭は良くないですが、EQが低いのでとても共感できてしまいます。

これもASDの特徴の一つです。

科学に関する知識が多いほど、形而下学的な考え方とものの言いようになりがちで

特段相手を馬鹿にしているつもりはないのに、上から目線でものを言っていると言われがちです。

私は単にあまり一般に知られていない知識を持っていて、目の前の症例がそれに当てはまったがためにそれを事実や情報として報告しているだけに過ぎないのですが。

決して自分を上に置いているつもりはなく、逆に皆自分と同じ位置にいると思っているからこそ

自分と同じ知識を持っていると勘違いして、当然知っていることのように喋ってしまうのです。

知ってて当たり前だと思ってその前提で話を進めるところが、え?こんなことも知らないの?そんなわけないよね?まさかね。と馬鹿にするように言ってるように受け取れるそうで。

仕事や学校であれば、立場の上下がはっきりしているから、一部の同僚を除きこういう言い方にはなっていないと思うのですが

経験から導かれる発言、というものが人生長くやってきて色々経験してくると

その道一筋だったような方々には、どうしてもそう受け取られがちになります。

みんなが自分と同じだと思っているせいで、こういう言い方になる。と説明したら、余計怒られたこともあるのでそれはもう言わないことにしています。

そして自分はASDだからこういう言い方になる、というこの説明も

特別扱いして欲しいわけでも、失言しても怒らないでくれと言っているわけでもなく

ただ、そういう説明をしているにすぎないのです。

普通ではそう言う考え方をしないらしいので、どう言えば穏便に会話ができるのかがわからず、結局自分としては素直に説明をすればいいと思ってそうなってしまうんですよね。

って言うとまたなんだそれ、と怒りを買うことが多いのですが。

その怒りを買うポイントがわからない。ので、前に怒られた前例のあること以外はまた同じ受け答えになってしまうんです。

堂々巡り。でも他にわからないのだから仕方がない。

そして怒りを買うたびに前例が増えて行くので、記憶力の良い私は年をとるにつれ人と話すことを嫌うようになりました。

誰もそれを私の個性だと認めてくれなかったんですよね。

知識人とは言わずに雑学王と言われたり。


若い頃の一時期会社の飲み会後のカラオケでよくSMAPを歌っていました。

でも世界に一つだけの花が流行り始めてやめました。

ナンバーワンでなくてもオンリーワンでいればいい。

確かにナンバーワンである必要はないけれども、オンリーワンである必要もない。と、歌詞に同意できなかったからです。

オンリーワンであることを大切にしすぎると、ただのレアキャラ賞賛になってしまいます。

ただのレアキャラや変人であるなら、平均的一般人の方がよほど優れていることになりかねません。

たくさんいるからと言って、貴重性がないからとあしらわれるなんてとんでもない。

全くぴったり同じ個性は存在せず、似た個性を持った人がたくさんいるという一見個性として受け取りにくいこともそのままイコール価値が薄いということにはならないのです。

私のチャネリングコントラクトである伊邪那美命はたくさんの神を産みました。

全知全能の神でもなく、万能の神でもなく、それぞれに個性や培うもの、司るものを持った神々を。

似たような特性を持つ神もたくさんいます。

それは、一人で全てを完璧にこなさなければならないわけでもなく。

特化したことについて完璧にこなさなければならないわけでもなく。

得意分野があるという個性を持った一つの存在であるということ。

自分が自分であることに価値を認める自分であればいい。それで何かができればそれでいい。

そこで自分が何者で何をするべきなのかを知ることが難しいのですけれどね。

たとえ頑張ったのに見つからなくても、見つける方法が思いつかなくても

その探究心をなくさないということが、しっかりと自分を知るために一番必要なことだと思います。

だから東京ディズニーシーの居心地が良かったのかなぁ?

ゲストは7つの海を旅する冒険家探検家なのですよ。

常に冒険心と探究心を持ち、発見すること追求すること楽しむことを求めるのです。

まぁ最近は開園当初とは随分と趣も変わってきましたけれども‥‥。

結局のところは「自分を知る」というのが究極の目的ですね。

Know Thyself 

ミステリースクールでの究極の目標です。

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