行政の健康への助成対策
このところよく感じる事のひとつには、行政の国民に対する健康対策への取り組みの深さです。
特定健診を受ける事への良い意味での強制的なアピール。年代別の健診の案内など・・・。
行政が、多くの場面で、国民一人一人に、寄り添う形で、健康維持を叫んでいます。
このような細かに行政が国民に手を差し伸べているのは、果たしで海外でもあるのでしょうか。勿論先進国なら、幾多の社会福祉として行っているでしょう。
しかし、特定健診をしてアンケートを送っただけで(送る前でも)手紙による対策コーチもさることながら、家庭訪問してまでも、健康対策の助言する、しかも、1回だけでなく。
このような手厚い行為を、一般企業が行っているのであれば、売り上げ対策の一環としか見られませんが、行政がしている点に、大いなる驚きを感じます。
勿論、以前から、健康に対する対策宣伝は、たくさんありました。
しかし、今ここに、家庭訪問までする方向に変わっていると言う事は、誠に行政の細かな対策に感謝をするべきだと思わざるを得ません。
これは、ますます増える高齢社会の中での医療費の高騰に歯止めをかける対策でもあることは分かります。
しかし、これは、行政にとっても、国民にとっても、とてもいい制度、いい対策です。
且つで言われた「豊かな社会」とは、お金や物をもって豊かな社会を主眼としていたことは当然でしたが、そこにある本来の意味での「豊かな社会」を見ている気がします。
隣り同士の助け合い・付き合いの無さのなかでの孤独死も増える中では、行政の国民への寄り沿いは、行政と言う信頼性の中からでの行動であるので、利害を感じさせない点から、より好まれる、より受け入れられやすい点があるものでしょう、
行政のこのような対策に対しても、「やっているなあ」「お節介だ」「いつでも受けられるから今でなくても」と言う気持ちがあることも現実で耳にします。
人は、物があふれると、それを常識として、その存在の有難味を感じないものです。
医療費が無料の国もありますが、聞くところでは、公共医療機関が無料治療でも、その医療技術の低さ・低収入者が多く集まりすぎるための治療の遅れは、筆頭問題となっているのです。医療費の無料が、健全な安全な社会・国家とは言えない現状がそこにあります。
医療費が無料であれば多くは、税金が高いことも意味します。しかし、そのような所では、国民の収入は、低いのが普通であり、かつ貧富の差が激しいのです。
上には上があり、下には下があります。が、今の日本の制度を考えると問題もあるでしょうが、そのような他国と比べても、天と地くらいの差があることがお分かりでしょう。
感謝しましょう。今のこの国に。
※岐阜市では、衛生費・民生費と言う項目の県財政の中に組み込まれているのでしょう。