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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

最後の皇帝10-フランソワ逆襲ミラノ占領

2019.10.27 09:50

1523年11月19日、新教皇クレメンス7世が選出された。メディチ家出身で、ラファエロがお気に入りで芸術好きだった教皇は、ローマっ子からは歓喜で迎えられたらしい。しかしダ・ヴィンチだけでなく、ラファエロも37歳の若さで亡くなり、金もなく、サンピエトロ大聖堂の建築はストップしたきりだった。

枢機卿時代は外交家であったが、勃発寸前のカール5世とフランソワ1世の戦争にうまく泳ぎ切れると態度をはっきりさせなかったために、事態をあちこち悪化させる。ハドリアヌス6世の改革も止まってしまった。

皇帝の味方についたブルボン公は、南のプロヴァンスで反乱、それを合図に皇帝カールはピレネーを越え西南から侵入、さらに東からは皇弟フェルナンド、北からはカレーからヘンリー8世がパリに迫る、四面楚歌とはこのことである、フランス絶対絶命のピンチ!

ところが、相変わらずナナメ上を行くフランソワ1世「攻撃は最大の防御」とイタリアへ進軍。24年10月4万の大軍をもって王を先頭にミラノに入城。教皇は慌てて仏王にローマ安堵を願って和解した。びっくり仰天の皇帝は仏王の後を追い、ヘンリー8世はそこまでの義理はないと、パリ目前で兵を返した。仏王の戦略は成功したかに見えたのだが。

いかにも洒落者な行軍中のフランソワ1世