10月27日(日) 稽古日誌
どーも、ぼくです。
あ、主宰のBobsonです。
さてさて名無しの権兵衛って英語でいうとジョンドゥっつってかっこいいですよね!
ジョンドゥですよジョンドゥ!
積極的に名無しで生きたくなりますよね!
はい。
私、久々の稽古日誌なのですが、最近はもう、ずっと脚本書いてます。会社にいても、隙を見つけては書いてます。
家に帰っても脚本。
寝てる時も脚本のこと考えてます。
お披露目は2月の新宿演劇祭です。
また改めて正式告知しますので、しばしお待ちを。
ところでお好み焼きをね、最近よくつくるのですけどね、お好み焼き粉をね、たまたま安かったたこ焼き粉に変えてみたらトロリとして違った味わいがあってまた美味しかったですよ。
そういえば、先日26日、私、誕生日だったんですよ!ハッピーバースデートゥミー。
だから今日、団員のみんなからおめでとうって言ってもらえるんじゃないかと正直期待してたんですよ。
そしたら、ありました!
おめでとうが!あやちゃんから!
……ムロに。
そう、マツムロユウダイも私と同じ誕生日なんですよ。
ーーーーーー
……以上、去年2018年10月27日の日誌をお送り致しました。
改めまして、どーも、主宰のBobsonです。
えー、つまり私は偶然にも去年と同じ日に稽古日誌を書いているわけですね。
♪ちょうど一年前に〜
この道を通った夜〜
昨日のことのように〜
今はっきりと思い出す〜♪
ということで!
稽古日誌は稽古に参加できるメンバーの中で順繰り順番を平等に回しているのですが、なんかね、私がこう、節目に選ばれることが多いんですよ。
公演直前とか、読み合わせ周辺とか、誕生日とか、劇団何周年はとか、ね。
なんの恣意もないんですが、これが、ホント、偶然にも、なんででしょうね。
私が「節目には主宰に日誌を譲れ〜」とか言ってる訳でもないんですよ。
結構団員からもツッコまれるんですが、ホントに偶然で、なんか自分でも、「もってるんじゃないか私!」って思っちゃいます。
そんな訳で、公演稽古開始直前、そして誕生日翌日の稽古日誌です。
社会人劇団の年間スケジュールというのは、1年でそう大きく変わることもないので、去年もこのくらいの時期は冬公演の脚本を書いていました。
脚本書いてて面白いなぁ〜と思うのが、出演者の半数が去年と違うこと。
あ、別に去年のメンバーが辞めたとかではありませんよ。笑
稽古日誌やプロフィールなどをご覧になって頂いている方はご存知かもしれませんが、最近また団員が増えてます。
プロフィールの順番でいうと、ゆきちゃんまでは夏の公演でお披露目できた訳ですが、そこから先はこれからになるわけです。
新しく入って来た方々も、一癖も二癖もあるような面白い奴らなんで、お披露目が楽しみです。
やっぱり社会人劇団というのは、普通の劇団さんと違って客演さんというのが少ないですから(その中でも客演に来て頂いている方には本当に感謝です。TEAM909への客演にご興味がある役者様、いつでもご連絡ください。笑)、役者循環的な意味でいう新しい風が吹きにくいんですね。
でも嬉しいことにウチは今のところ常に新しい風と共に公演を打てています。
今までの礎を大事にしつつ、新しい波を、と言ったところでしょうか。
社会人劇団で毎回メンバーリセットも逆に変ですしね。
書いてる感じでいうと、次回脚本は、TEAM909的にはやや異色作になるかもしれません。
Bobson的には異色を狙ったというよりは、たまたま今回やりたいことが、909的には異色になったという感じでしょうかね。
結構苦悩しながら書いてますが、苦悩と同時に色々ワクワクがあります。
2月予定ですので、皆さまぜひ、ご来場ください!
「負け犬だけど生きてていいですか?」というタイトルだけ現状公表しております。
「結局宣伝がしたいんかい!」ってツッコミ入りそうな感じですが、「はい、そうです。宣伝がしたいです!」としか返せません…。
すいません。
さて、そろそろ、
29歳になり20代最後の年を迎えた私の初稽古の内容に入りますね。
今日は先週来てくれた見学者の方がまたいらっしゃってくれたりして…。
見学者さんも交えて基礎稽古の後に、
「言語化」
に関するシアターゲームをしました。
そう、本日のテーマは「言語化」です。
私は演劇の稽古では、コンテクストのすり合わせが大切だと思っています。
例えば「優しい」という言葉ひとつとっても、人によってその言葉から受けるイメージは違う訳です。
なぜイメージが違うのかというと、当たり前ですがその人その人が生きてきた背景、文脈(コンテクスト)が違うからです。
生きてきた環境が違えばコンテクストが違うのも当たり前です。
そして演劇は1人ではつくれませんから、一緒にモノをつくる仲間たちとはこのコンテクストをすり合わせなければなりません。
「もう少し優しい感じで」の一言では、お互いのイメージは一致しませんから、仲間との「優しい」に対するイメージをあの手この手で共有しなければいけないのです。
では、どうするか。あの手この手とは何か。
その基本解は簡単です。
共有できるまで話すんです。
つまり「言語化」です。
元々同じもの(対象物)を共有するための記号として言語は生まれたわけですから、それを使えばいいのです。
ま、口で言うのは簡単ですが、実際やるとなかなか難しいですが。
「言語化」をしようとすると
「思ってることがあるのに言葉にできなくて…」
「うまく言葉にはできないんですけど…」
「まとまってないんですけど…」
「私、伝えるのが下手くそで…」
「感覚的に…」「なんとなく…」
そんな人をよく目にします。
が。
役者さんでそれはNGだと私は考えています。
(当たり前ですが、演出はもっとNGです。)
役者さんは言葉を表現するお仕事です。
(セリフに限らず、脚本を表現するという意味で。)
そのお仕事では、言語化しないとコンテクストのすり合わせができないからです。
ではなぜ言語化できないのか。
大きく3つあると思います。
・わかっているつもりでいるだけで、真にその事柄について理解できていない。考えられていない。(整理できていない)
・語彙が足りない
・普段から自分の気持ちを言語化していない
じゃあそれをできるようにしようぜ!
……という訓練をですね、この1ヶ月くらいやっておりまして、今日はその集大成みたいな日だったわけです。
まあもっとやりたかったんですけど、来週から公演の稽古が始まってしまうので1回お預けです。
だから今日は、上記のような座学を少しした後に「言語化」に関するシアターゲームをしました。
どこら辺が言語化なんだと思った方、ぜひ稽古見学へお越しください。
ここから先は企業秘密です。笑
…なんか一時期そーゆー系のWEBサイトがはやりましたよね。
痩せる極意は〇〇にあった〜みたいな話をめっちゃひっぱった挙句に極意は結局、有料登録かよ、みたいな。
シアターゲームの後は、課題戯曲を使ってコンテクストのすり合わせの実践です。
男女2人の芝居の戯曲を課題として扱っているわけですが、もう、普通すぎること言いますと、その男女の組み合わせ、誰がどの役を演じるかで全く違うお芝居になるわけです。
そういう人と人との差異を感じながらみんなで1つのものをつくっていく。
短時間ですが、とても、楽しく、私も勉強になる稽古でした。
稽古終了後は少し時間をとって、さきちゃんによる他団体へのワークショップの感想報告会でした。
私は、というか、TEAM909では、団員に対して他団体へのワークショップや客演などを奨励しております。
もしなぜ外へ出ることを奨励しているか気になる方はこちらを読んでみてください。
で。
そしてまたこれも「言語化」の訓練でもあったりするんですが、外で学んだことをウチでみんなに説明できるかどうか…。
これができないと、それについてわかった気になってただけかもしれないってことです。
また「言語化」する過程の中で自分なりに整理できたりもするわけです。
よく「愚痴を言うだけ言って解決策なくて満足なの?」みたいな議論ありますけど、「言語化」することが大事なので、それによって本人が整理できて満足ならそれはそれで良いのです。
(あ、男女の関係の云々てのは、また別の話なので、ここでは関係ないです。)
せっかくの外部ワークショップ。
フライドチキンだとしたら、肉食って帰ってきて他団員に骨の周りについた肉カスを食べさせつつ、自分は骨の髄までしゃぶり尽くして吸収してほしい。
…なんか気持ち悪い表現ですね。笑
まあとにかく
さきちゃんが学んできたことの報告、そしてそれに関するみんなからの質問、そしてまたさきちゃんのそれに対する答え。
他団体さんも関係するので、詳細はお伝えできませんが、非常に有意義な時間だったのではないかと思います。
報告の資料として使ったさきちゃんのレポートがすごいしっかりしていて、びっくりしました。
綺麗にまとまっている…!
もし、これを普段からできたら、凄い吸収率になるのでは?と感じました。
ワークショップの場というのは特別な場ですから意識を集中させやすいです。
普段の稽古場は慣れやマンネリ(しないように色々試行錯誤してますが)によって形骸化しやすいです。
形骸化した瞬間にその稽古は無価値になります。
…とまあその話はおいておいて、その議論の中で、最近外で経験したこととかも踏まえて、私が脚本・演出家として強く思ったのは、
『マジ役者さんリスペクトだわ〜』
です。
…なんか言い方ひと昔前ですかね、
今だと
『役者さん、マジ、やんごとなさすぎてお隠れになる。バイブスいと上がりけり。お後がヒュイゴー。』
ですかね。
うん。よくわからないですね。
しかも今だとって言いながら古典的表現って、日本語って面白いな。
まあ、それは置いといて。
要するに『役者さん、尊敬してます』ってことです。
役者さん程、真に自分と向き合わなければならないモノってそうそうないと思うんですよ。
だって役者さんって自分の武器が「自分自身」じゃないですか。
そしてそこから絶対逃げられないじゃないですか。
例えば私のやっている脚本・演出家ってのは、その人がつくる作品、つまりスキルやパフォーマンスが評価されるわけです。
言ってしまえば、私自身がどんな見た目だろうが、性格だろうが、魅力があろうがなかろうが、結果の出しようがあるわけです。
もっと広い話をするならば、医者だって、弁護士だって、政治家だって、スポーツ選手だって、漫画家だって、小説家だって、カメラマンだって、会計士だって、研究者だって、先生だって、世にある色んな職業は基本的には、顕在化するスキル、パフォーマンスが評価されるんです。
いや、コミュニケーションとか自分自身の魅力が大事っておっしゃる方もいるかもしれませんが、上記に挙げたようなものは、「なんでこんなに結果を出しているのに」という顕在化したスキル、パフォーマンスが存在し、それに対して「こんなに結果を出してるのに「自分」が評価されない理由がわからない」みたいな、ある意味逃げが残されているんです。
役者さんは「自分」と「結果」がワンクッションもなしに直結します。
(もちろん役者さんにもスキル、パフォーマンス力は必要ですが。)
役者さんは、モデル、アイドルでいう、かわいいとか綺麗いった見た目的なことですらマイナスの結果として自分に降りかかることすらあるのです。
私は私がつくる「モノ」=「結果」に対して、報酬が頂けることに関しては自信が持てても、「私自身」に対して報酬を頂くことには、どうしても、なかなか、自信が持てません。
私は私が嫌いで、そこから抜け出せないでいるのです。
自分を好きになるには顕在化したスキル、パフォーマンスが必要なんです。
でも役者さんは、たとえ自分が嫌いだとしても、それを好かれる自分として表現する生き物です。
役者の武器は「自分自身」。
どれだけスキルがあってもよいパフォーマンスができても、1番の武器は「自分自身」。
その世界で勝負できる人を、その世界で戦い、苦悩している人を、私は基本的にリスペクトしています。
すげーなーって純粋に思います。
だからこそ、私も脚本・演出家として生半可な気持ちで彼ら彼女らと対峙してはいけないなと思うんです。
それはもう社会人劇団とかそういうことも関係なく。
重いですかね?笑
和牛の水田さんが漫才メンヘラとか言われたりしてましたが、そう言った要素は私にもゼロではないのかもしれません。
で。
よく役者を楽器に例えたりします。
当たり前ですが、楽器は演奏者がちゃんと音を出せば、その音が出ます。
でも(クラリネットの歌じゃないですが)どうしても出ない音がある(もしくは音は出るけど不調のある)楽器であったとしても、最悪楽器ならば新しいのに替えればことは済みますが、役者は、つまり楽器本人はそうはいきません。
楽器としては音が出ないからと言って捨てられる訳にはいきません。困っちゃいます。
出ない音をいかに少しでも出るようにするか、出ないけど、もしくは変な音が出るけど、それをどう魅力的に思ってもらえるか。
そういう勝負をしなければいけない訳です。