Men−Do。
子供が動物を飼いたい!と言い出す時の定形文句「面倒みるから!」は何も動物だけに使える訳ではなく、
無生物にも転用可能でして、我が家では掃除機がペット的な運命を辿っております。
1年ほど前、家内が「大事に使うから!」を連呼しながら買って来たダイソンの掃除機(型落ち特価品)。
しかしその後のメンテどころか説明書さえ読まれる事無く使いっぱ。
「大事にすると言ったろう!」と言いたい所ですが、それで何かが解決するとも思えませんので、
「子供が飼い始めた犬の面倒を父親がみる方式」で黙ってフィルターとローラーを外して清掃していた今朝。
こういうメンテナンスってのは「やらなければならない」というパッシブが基本なのかと思うのですが、
一部には「やりたい」や「やらねば尻の据わりが悪い」というアクティブ派も居りまして、
自転車屋であるワタクシもまたアクティブ派に属している様で、誰の為にもならん作業に特攻開始。
夏の終わり頃、弊店に捨てて行かれた「昭和のミニサイクル」の復活作業で御座います。
回す度にカッコンカッコンいってるBBから攻め入るも、数十年居座り続けるBBが簡単に外れてくれる訳もなく、
油とバーナーとタガネを駆使して憤怒の形相でもぐべしもぐべしもぐべし!
修理をしているのか?それともただ破壊しているだけなのか?
自分でもよく分かりませんが、きっと両者は表裏一体で大きな違いは無いのでしょう。
まぁBBが外れない事には再生への道は崩落&断絶同然ですから、破壊しても良いという心持ちで挑んだ結果は「辛勝」。
BBが外し勝負に勝った所で得るモノは無いに等しい、しかし「よしっ!」という満足感が全身を満たします。
無駄にBBのフェイス切ってしまうのは、勝利に浮かれている事の証左で御座いましょうな。
¥1円の利益にもならないどころか、時間と工具の無駄遣い意外の何物でもありません。
今後は代車として活用したいと考えていても、実際に代車として使ってくれる人がいるとは思えないし。
じゃぁ何でこんな事してんの?と改めて自問してみても、明確で正確な答は纏まりません。
ダメっぽいモノがダメじゃなくなった瞬間に去来する小っこい全能感や、汎ゆる部品に刻まれたJISマークから感じる時代の匂いとか。
こういうのもまた自転車の魅力だと思いはすれども、同意を得れる事はあんまり無いっぽい気もします。