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ヒルティ喫茶:虹息

慈悲はまさに第六感です。

2019.10.28 14:20

 “人間への信頼”がやむやいなや現れるその反対の現象は─ そういっても初めは真実のように感じられないでしょうが ─ “慈悲の心” です。

 これは、一般に人間に対する“愛情”と呼ばれているのとは全く別ものであり、はるかに勝ったものです。またそれは、わたしたちの本性にはまるで存在しないものであり、学ばなければならないものであって、しかも普通、後年になって、非常に苦しい道を経たのちに初めて知ることができるのです*。

 しかし、慈悲心をもつ者は、将来、「神の国にふさわしい」(ルカ福音書9:62**)人となるのは確実です。


* 人間の苦しみの大部分は明らかに、純粋に非利己的なあらゆる感傷を離れた慈悲という黄金を掘りだして、その鉱滓(こうさい)や混ざりものをすっかり除き去って精錬するという目的を持っているのです。

 でも、この事を知っているのは、ただ自らそれを経験したことのある人だけです。自分で多く苦しんだことのない者はみな冷酷であり、最もよい意味での同情心を欠いています。時にはもっともすぐれた人においてすらそうした冷酷を見出すことがありますが、だからと言って、私たちはそういう人をすっかりみあやまるようなことがあってはいけません。

 慈悲はまさに第六感です。

 これは苦悩を通じてのみ人間のうちに芽生えるのであって、その前には欠片(かけら)も与えられなかったものです。


** 「だれでも, 手を鋤につけてから, うしろを見る者は,

    神の国にふさわしくありません。」       (ルカ9:62).



 キリスト教序説 『幸福論 第2部』p.257