「ド・ロ神父に逢いに行く」@そとめ・出津
さて長崎遠征。
今回は外海方面へ足を伸ばして8年ぶりに!
ド・ロ神父ゆかりの土地、出津の文化村を訪問しました。
まずは出津教会。以前と変わらず凛々しく建っております。
実は今回、どうしても出津に来たかったのです。
8年前に来たのになぜ?
それには理由があります。
8年前に来たとき、出津の関連遺産である建物群が、どれも復元工事中で見られなかったのです。なので当時見れたのは外海歴史民俗資料館だけ。集落や遺跡群も歩いたのですが、どれも工事中という告知が出ていて、とっても残念な思いで帰路についたのですね。
今回はそのリベンジ。
正直、こんな遠く来にくい場所に、既に長崎住民じゃない自分が「もう1回」来る機会なんかあるんだろうか?と思っていました。でも願えば叶うものです。大事なのは「行動すること!」。こうして簡単に来れるのだもの。
というわけで 8年経って見た「完成版」。
本当に圧倒されました。予想してたのより「遥かに上回る」素晴らしい充実度で、もちろん「世界遺産」ですから、ここまでやるかもしれませんが、それより、当時のものをここまでちゃんと残して復元して充実させて、その熱意というか、一言で言えば「愛」ですよね。それが本当にすごかった。
というわけでまずはド・ロ神父記念館。
これは当時もあったと思います。でもお休みだったんじゃなかったかなあ。なので入らなかった。いきなり「ド・ロ神父」の銅像。優しく迎えてくれます。
ここは元、鰯網工場だったということです。
角力灘(すもうなだ)。厳しい海ではあったけどイワシが採れたのね。
館内の内容もすごかった。紹介しきれませんが、ド・ロ神父が持参した医療器具やら生産用機械やら、たくさんの展示がありました。写真はミサ経典。楽譜みたいです。
そしていよいよ!
今回の目的、救助院とマカロニ工場です。
フランスから移住したド・ロ神父。建物の作りはフランス雪国ならではのアイディアが反映。鍵穴に蓋があったり、扉の下部が「雪の吹き込み防止」仕様になっていたり。
展示物は当時のものがほとんど残っており、メンテナンスされて展示されています。ド・ロ神父の直筆、日記(日本語をローマ字で書いている)、そして壁や板に書かれた目印なども見れます。
長崎の外国人用にパスタを作っていたのですね。もちろん「日本最初の」パスタ製造です。今でも「ド・ロさまソーメン」として知られています。奥にぶら下がっています。
上の写真、床に穴が開いてるのは床下が倉庫になってたからですね。
2階には、当時の出津女子たちが寝泊まりして学んだ教室。昼間は勉強、そして手工芸や工場技術などを習得。夜はこのままここで寝たそうです。
なお、女性に対する施設が多いのは、出津の海環境が厳しく、主な働主である「男性」が事故で命を失い、未亡人や母子家庭が多かったからだそうです。大変だったのやねえ…。
そして、シスターさんが実演してくださった、デュモン社のハルモニウム。
当時の最新ハイテク技術が投入され、素人の女子でもすぐ弾けるように「指一本でコード」「移調して全部Cで演奏可能」となっています。すごい。
ハーモニウムはビートルズもよく使ってましたよね。掲示にある通り、1889年ころのものだそうです。今も使えるんやねえ。
そしてマカロニ工場!
もちろん「日本最初の」マカロニです。工場内は一般家庭みたいな作りになっていました。もともとは救助院でやってたんだろうけど、手狭になってマカロニ工場を新たに建てたのだろうと説明の方がおっしゃってました(解説員がいらっしゃいます)。
個人的に、このマカロニ工場の室内を見たとき、どことなく懐かしいようなデジャブを感じました。
19世紀のフランスの建物に「懐かしさ」を感じるとか、それ前世の記憶ですか?とか思うかもですが、東京に戻ってから理由がわかったのです!その理由は、次回の記事で説明しましょう。
3棟くらいの建物が敷地内にあります。こうして観る風景も、どこか懐かしいです。前世じゃありませんw その理由は次回。
ド・ロ神父のパスタ。そーめんなど売られています。
先程、この施設がここまで充実してるのは、世界遺産に登録されたため、そして「愛」だろうと書きました。当然これらは、遺産としてだけではなくキリスト教の布教という理由もあって存在しています。
でもそう考えると、たとえば奈良の平城京とか寺だって「仏教」や「神教」の布教のために存在してるんですよ。
特に今回、奈良を経由してこの地に訪れた私としては、結局は「愛(誰に対するかは問わない)」なのではないかと思いました。
ド・ロ神父については、また続きます。
今回、空模様が怪しく、教会から救助院、そして資料館にたどり着いた13時くらいには激しい雷雨になってしまい、後半急ぎ足になってしまいました。
だから、もちろん「もう一回」来るよw