ずっと音楽で遊び続けたいだけ「TOKYO HEALTH CLUB」インタビュー
N.O.R.K.として活動していたOBKR氏率いる『Tokyo Recordings』や、Lucid And The Flowersを率いていた中里正幸氏率いる『Production Orfeu』など、最近ミュージシャン自体がレーベルオーナーとなって活動をオーガナイズする事例は少なくない。
“ミュージシャンの、ミュージシャンによる、ミュージシャンのための、著作権フリーのインターネット踏み台レーベル"と自ら掲げるネット・レーベル『OMAKE CLUB』もまたその1つだ。
レーベルオーナーは多摩美術大学の同級生で結成された 3MC1DJのHIPHOPグループTOKYO HEALTH CLUB(こちらもOMAKE CLUBに所属)のDJでもあるTSUBAME氏。
ミュージシャン自らレーベル運営するというケースが増えている中、どのような戦略を持って立ち上げたのか話を聞きたく取材を申し込んだところ、本日4月16日よりマンハッタン・レコーズに電撃移籍をするという情報を聞きつけた。
そこでこのタイミングにかこつけて、これまでの歩みや楽曲制作についてメンバー全員にインタビューを敢行した。まずは結成秘話から。
遊びの延長で始めたラップが形になった
SIKK-O(写真中央左)「活動を始めたのは卒業後です。大学の時はJYAJIEとTSUBAMEだけはDJとかバンドとか音楽やっていて、俺とDULLBOYは特に音楽に興味もなく普通の大学生として過ごしてました。
卒業後、たまたま全員の共通の友達が自宅で飲み会を開催していて、遊びにいったんです。その時ちょうど俺がRAPに興味があったので、飲み会の最中にTSUBAMEにガレージバンドでトラック作ってもらったんすよ。そのままフリースタイルでラップして1曲をその日のうちに作ったんですよ。そしたら意外にうまくいったから『もっとやろうよ!』みたいな流れになった」
TSUBAME(写真左)「でも僕1回断ってるんです。もともと違うグループでテクノのトラックメーカーとしてちゃんとやってたので。『遊びで曲作んないよ』と言って。当時ちょっと天狗になっていたので(笑)
それでもSIKK-Oから『曲作ってよ』と言われ続けたので、試しに宅呑みの時にやってみたら『あれ、意外とできるじゃん。もう何曲かやってみよう』となったんです。
JYAJIEとは一緒にもともと音楽やろうと言ってたので、その流れで『入ってよ』って誘って。とりあえず最初は3人でやっていました」
JYAJIE(写真右)「なんなら、僕最初ベースやっていたんですよ。ラップグループにベースって形態みたことないから新しいんじゃないかって。1DJ、1MC、1ベースで2回トライして。でもそんな面白くない(笑)だから他もやってないんだっていうのに気付いた」
TSUBAME「お客さんもどう反応していいかわからないみたいな感じになっていてたよね」
JYAJIE「『もともとトラックにベースはいってた方がよくない?(笑)』って話になって、すぐに軌道修正して俺もMCになった」
その後、DULLBOYが遅れて加入する。
SIKK-O(写真中央右)「DULLBOYはもともと引きこもりだったんですよ(笑)なかなか学校に来ないし、卒業してからも全然大学の人に会ってなかったみたいなんで、試しに声かけてみて。試しにフューチャリングでRAPしてもらったら、いままで俺たちも見たことないような新鮮な響きを感じて。『見つけたー!』みたいな(笑)最初はサポートメンバーって形でしたね」
TSUBAME「『引きこもってても今後いいことないじゃん、入りなよ』って説得して。『嫌だよ』って言われて。『やろう』って1時間くらい言い続けてたら、『うん。やる』ってようやく落ちた。よくよく考えたら俺含めて最初『嫌だよ』って言ったのが、メンバーに2人もいるんですよ」
始まりはあくまで遊びの延長、と笑うTHCメンバー。「音楽で飯を食うつもりはなかった」と語るが今でもそれは変わらないのだろうか。
TSUBAME「そうっすねー。みんな普通に仕事してるんで、それは今もないかもしれない」
SIKK-O「強いて言うなら、損したくないっていう。最初って赤字になるんですよね。スタジオ取ったりとか。自主レーベルのOMAKE CLUBでリリースしていたもので。で、今ちょっとずつその借金を返済していってる感じ。ちょうどゼロくらいだよね」
TSUBAME「そうだね。あくまで音源自体はプロモーションの一環としか思っていないからOMAKE CLUBのウェブにどんどんあげて、フリーダウンロードOKにしているし。でもどうせパッケージとして形に出すとなったら俺ら全員美大だし、メンバーにデザイナーもいるし、チームでアートワークを自分たちなりにいいと思えるものを作りたかったんですよ。
それで2013年5月に最初500枚限定で500円のアルバム出したら、あれよあれよと言う間に完売したので、マジかよって(笑)いいもの作れば、いけるかもしれないんだなってちょっと安心したっていうのはあります。自分たちで友達に無茶なお願いをして、全然割りに合わないのに一緒になって企画から面白がってくれて。それが3年前くらいだからようやくここまで形になったなぁっていうくらいですね」
ずっと楽しく遊ぶためには、1つずつ質を上げて格好いいもの作るだけ
TOKYO HEALTH CLUBの最大の特徴は、東京をテーマにしている楽曲が多いこと。本日から発売となる7inchシングル『ASA』は"東京の朝"を テーマにしている。
TSUBAME「J-WAVEのジングルで『未来に繋ぐレディオ』というお題で30秒くらいの尺でっていうオファーが来たんです。そこから爽やかで耳に残るワードは何かを考えていきました」
SIKK-O「俺としてはこれまで出してる『CITY GIRL』が夜で、『Coin Laundry』が夕方というイメージがあったんで、あとは朝の曲を作りたかったんです。だから個人的には、東京1日三部作が完成したなと」
DULLBOY「お前おしゃれだな〜(笑)」
SIKK-O「基本自分は地方出身で、東京への憧れがあるので東京をテーマにしたいんですよ。俺が思うかっこいい東京をTHCを通じてやりたいんですよ」
JYAJIE「そうそう。やたらめったら東京を入れたがるから、東京出身の俺はそれを嫌がるみたいなやりとりは多々あります(笑)『CITY GIRL』の仮タイトルにもTOKYOって入っていたし」
遊びの延長の活動が6年継続して、現在レーベル移籍を果たした。ステージを一つ一つ駆け上ってるように見えるが、メンバー自身はどのような変化を感じているのだろう。
DULLBOY「今までと変わらず『自分たちが楽しいものを作る』っていうのが一番大事っすね。ただ自分たちが楽しみ続けるには、質も上げていかないという意識があります。面白さも忘れないで、ちゃんと聞ける曲を作り続けていけたらいいんじゃないかなって思ってますね」
SIKK-O「変化としては、どんどんリリックのクオリティが上がってきてるように思います。1人ひとり言ってることが違っても、曲として気持ちよかったり、流れを意識して作れているかなと。
最初の頃は、『トラック作って、3人の言葉乗せて、録音してハイできた』っていうので満足していたけど、もうその次元じゃない。今度のアルバムでTOKYO HEALTH CLUBが2500円のものを出すので、それにどこまで反応してくれるのか今から楽しみですね」
TSUBAME「僕はレーベルのこと考えつつ、THCの皆と遊んでいきたいだけですね。でも、遊び方のクオリティを上げていかないとステップアップできないっていうのが、SIKK-Oの言うところの『2500円で世間がどう反応するか』というところにつながっていくんじゃないかなと。だから単純に言えば、次のアルバムは気合入っています(笑)」
SIKK-O「レーベルも変わったし、割と仕切り直しっぽい感じは僕らのなかにあるので。今までと違うレイヤーの1枚になっていると思いますよ」
気負わず、だけどクリエイターとしてアーティストとして確実にいいものを作りたいという思いが言葉の端々に滲み出る。話を聞けば聞くほど『格好いい大人の遊び方』を教わっている気がしたのだった。
次回アーティスト活動を続けながら、『OMAKE CLUB』のレーベルを運営しているTSUBAMEさんにじっくりと今の時代の音楽のあり方やレーベルを運営する背景について話を聞いてみた。
*後編に続く
photographer:宇佐 巴史 / Tomofumi Usa