旅行作家・小竹裕一の〈世界・旅のアラベスク その9 アメリカ編〉
こんにちは!
APUでは10月から授業が始まり、もうすぐで一か月が経とうとしています~
だんだん気温も低くなってきましたが、こんな時にあの有名な小竹先生の激アツな旅行記をアップします!今回はアメリカに行ってきたみたいです★
小竹先生はいろんな国に行って、記事をアップして、みんなも異文化について知ることができるから、今までの記事も含めて今回の記事を読んでほしい!
〈世界・旅のアラベスク〉
(その9)
『「ナイスガイ」と結婚しなさい』
~アメリカ東海岸・ボストンで思ったこと~
「“世界の中心地”・ニューヨークの街にて」
数年前の9月、アメリカ東海岸を旅した。まず、世界の中心・ニューヨークに4、5日いたあと、北上してマラソンで有名なボストンを訪れた。
ボストンに行ったのは、別にこれといった目的や用事があったからではない。いつものように、「アメリカ合衆国」発祥の地たるボストンを足の向くまま気のむくまま、ゆっくり歩き回って、と思ったからだ。
滞在はほぼ2週間の予定。けっこう長い日程なので、泊まる場所をさがすのに苦労した。最初、〈あの世界に名だたるハーヴァード大学のゲストハウスに泊まれたら最高だー〉と考えて、大学の関係部署に宿泊依頼のメールを送ったのだが、文字通りのなしのつぶて。まったく無視された。
それで、市内のホテルをいろいろさがしてみた。ところがわたしが求める手ごろな値段のホテルが全然ないのだ。さすがアメリカを今も実質的に支配しているといわれる「東部エスタブリッシュメント〈支配層〉」の牙城・ボストン!わたしのようなビンボー日本人旅行者などはじめから相手にしていないのだろう。
では、どうする……、とない知恵をしぼり思案をめぐらして、〈よし、ボストン郊外の安いホテルを拠点にして、毎日鉄道かバスでボストンの町に通おう〉という結論にゆきついた。
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わたしが見つけた格安ホテルは、「ダンバーズ」というガイドブックの地図には出ていないちっぽけな町にあった。〈まあ、タクシーで15分か20分ぐらいのとこだろう……〉と安易に考えて、ボストン駅からタクシーに乗ったのだが、考えが甘かった。いや、わたしのアメリカ認識が根本からまちがっていた、といったほうがいいだろう。
タクシーが広い高速道路を走れど走れど、めざすホテルになかなか着かないのだ。結局4、50分かかって、ようやくハイウェイ沿いのホテルに到着した。料金は70ドルちょっと。顔面蒼白になった日本人旅行者に同情したのか、レバノン生まれという年配の男性運転手はチップを受け取らなかった。
木造二階建てのちょっとしゃれたホテル。レセプションの白人中年女性は、わたしがタクシーで来たのをみて目を丸くして驚いた。そう、このホテルは町なかにある普通のホテルではなく、クルマで旅する人のためのモーテルだったのだ。
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とにかく、70ドルものタクシー代を払ってきたのだから、ここにチェック・インするしかない。手続きを済ませて、カウンターの向こうに立つ彼女に「ここからボストンへ行く鉄道の駅まで、どのくらいですか?」とたずねた。
彼女はしごくあっさりと、「そうですねー、3マイルか4マイルぐらいかしら……」と答えた。〈エッ、マイル?〉と一瞬とまどったわたしは、あらためてアメリカが今もメートル法を採用していないことに驚きながら、頭の中で必死にメートルへの換算を試みた。1マイルはたしか「1.6キロ」だったから、3マイルは「4.8キロ」、4マイルは「6.4キロ」ということになる。
それで、「駅へ行く市バスはこの近くを通っているんですか」と重ねてきいてみると、「そんなバスはみたことないワ」という、まことに驚がくすべき返事がかえってきた。
このとき、「クルマ社会」という大きな壁が、わたしの目の前にそそり立った。「アメリカでは、クルマがなければ生活できない」というどこかで耳にしたテーゼが、じつにホンマモンの現実としてわたしに襲いかかってきたのである。
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翌朝、モーテルの「コンチネンタル・ブレックファースト(欧州風の簡単な朝食)」を食べたあと、外へ出た。頭上を仰ぐと、真っ青に晴れわたった大空がどこまでも果てしなくつづいている。原住の「ネイティブ・アメリカン」の人びとが何千年も眺め暮らしてきた、文句のつけようがない大陸晴れである。
わたしはヨーロッパ人たちがこの広大な大陸に持ちこんだ「クルマ社会」に挑戦すべく、意を決して足を踏み出した。「4〜5マイル」という駅への道を自分の足で歩いてやろう、と思ったわけだ。
幸い、駅へ向かう細い一本道が通っていて、その両側に数十メートル間隔で建ちならぶニュー・イングランド風のしょうしゃな木造家屋を一軒いっけん楽しみながら歩いた。おそらくここはボストン郊外のミドル・クラスの住宅地なのだろうが、どの家も部屋数が6つも7つもありそうな規模で、芝生の庭も広びろとしている。
この住宅地で驚いたのは、家と家の間に塀が作られていないことだった。二軒の家の境界を明示するものをつくらないというのは、それだけ土地がたっぷりあって、住民の心も寛くおおらかなためだろうか……
とにかく、片道およそ1時間の道のりを、わたしは数日歩きつづけた。悲しかな、若くない身にとって、この往復10キロの“行軍”はやはりかなりきつかった。3日目のころから左足の膝が悲鳴をあげはじめたのだ。
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ヒザが痛み、クツもかなりガタついてきたので、私は方針転換を余儀なくされた。夕方の帰りはともかく、朝はモーテルの人にタクシーを手配してもらうことにしたわけだ。
タクシーは「ノースシー」という会社から派遣された車だった。モーテルの小さいロビーで10分前後待っていると、日本のタクシーよりひと回りくらい大きい黒塗りセダンのタクシーがやってきた。
モーテルから最寄りの駅までの料金は「18ドル(約2000円)」と決められていて、メーターでは走らない。駅までの時間は運転手によって若干ちがったが、たいがい20分ほどかかった。運転手へのチップは、毎回2ドルあげることにした。
さて、こうして毎朝ボストンのタクシーを利用しているうちに、いろいろおもしろいことが分かってきた。まずおどろいたのは、毎回やってくる運転手がちがうことだ。この運転手交替の原則は最後まで変わらず、わたしは同じタクシー会社のアメリカ人の運転手十数人と朝の20分をすごすめぐり合わせとなった。
とにかく毎朝20ドルもの大枚を“散財”しなければならないので、わたしはこのお金を“駅前留学”の英会話レッスン料と位置づけることにした。毎日変わる“講師”(残念ながら女性は1人もいなかった!)に、様々な質問をぶつけ、彼らの答えからさらに話題を発展させて、英語を喋りまくった。
おかげで、私の英会話能力は日いちにちと伸び、また地元の事情も少しずつのみこめてきたのだが、この一連のタクシー運転手たちとのコミュニケーションの中で、意外なおもしろい発見があったのである。
それはアメリカ人タクシー運転手たちの人間模様である。ボストンという土柄、つまりイギリスからの移民が大西洋を越えてはじめて住みついた場所のためか、運転手は全員白人(コーケジアン)だった。
彼らと毎朝気を入れて世間話をするわけだが、アメリカ人も日本人と同様、「十人十色」で、人によって性格や個性にちがいがあるのが分かってくる。
最初に〈オヤッ…〉と思ったのは、3日目の朝だった。たまたまひょっと思いついて、その日の運転手に「駅まで18ドルですよネ」と念をおしてみたところ、彼は「いや、20ドルですヨ」との答え。
それで、「昨日、おとといと18ドルだった」、これは会社が決めた定額料金じゃないですか」というと、「そんな話しは聞いていないですよ。いつも20ドルだから…」とラチが明かない。
「じゃあ、会社に今電話してきいてもらいませんか」とたたみかけたら、その40年配の運転手はブスッとして、「いまは朝だから、担当者はいませんヨ」といったっきり、黙り込んでしまった。結局、駅に着いて、私は20ドルを支払ったものの、チップは出さなかった。なんとも後味の悪い憂うつな朝となった。
それから、1週間ぐらいたってからめずらしく若い20代の運転手がやって来た。〈しめた!若い世代のアメリカ人と話せる〉と思い、いろいろ話しかけたのだが、彼の口は重い。〈アメリカにも、こういう無口の人がいるんだナー〉と残念に思っていると、タクシーはいつもの道とはちがった方向に走り出した。
10分くらい走って、とあるガソリンスタンドの前で止まった。そこに若い男女のカップルが立っていて、男性が前の席に乗り、女性がうしろにすわった。そのジーンズをはいた男性は運転手と知り合いらしく、二人はなんやかんやとさかんにおしゃべりをしている。
およそ10分ぐらい走って、タクシーは突然止まった。男性はなにがしかのお金を支払い、「バ~イ!」と大声でいって、女性と共に外へ出た。
結局、駅にはいつもより20分以上遅れて到着した。私は若い運転手に、だいぶおそくなったので、ボストン行きの電車に間に合わないかもしれない」と抗議したが、彼はまったくとりあわずに走り去った。
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こうしたどうしようもないアメリカ人運転手がいる一方で、今回日本人であるわたしから見て賞讃に値する運転手とも出会った。
その人は30代後半ぐらいのやせた男性で、私が朝タクシーにのりこむと共に、「ハ~イ!グッドモーニング!」と明るい声で挨拶してきた。顔を見ると、気持ちのよい笑顔で、とても好感がもてた。
駅への道中、わたしがボストンや地元のことについて質問攻めにしても、イヤな顔をせずにひとつひとつ丁ねいに説明してくれた。お客への対応がごく自然で、彼と言葉を交わしていると、何かとってもいい気分になり、いつまでも話していたい様な感じがした。
タクシーはアッという間駅に着いた。わたしが2ドルのチップをそえて料金を払うと、こちらの心が清々しくなる様なスマイル顔で、「サンキュー、ベリーマッチ!」といった。
タクシーが走り去ったあと、私は駅への通路を歩きながら、〈ナルホド、あれがナイスガイなのだナ〉と心の中で思った。そして、ボストンを離れる日、出会った十数人のタクシー運転手を一人ひとりあらためて思い出してみたら、文句なく「ナイスガイ」といえる男は彼ともうひとりの2人だけだったことに気がついた。
さて、日本に帰って、テレビをボーッとみていたとき、北海道は札幌の街を流すタクシー運転手の「12時間・密着取材」という番組をやっていた。
50年配の男性運転手の毎日の暮らしぶりをカメラが追っていくのだが、彼のお客に対する態度、ふるまいの素晴らしさに舌を巻いた。彼はいつもおだやかな声でお客に話しかけ、よもやまの世間話をしながらお客の心をなごませていく。そして、目的地に着くと、「ありがとうございました」の言葉と共にお客を気持ちよく送り出すのだ。
彼は「1997年の北海道拓随銀行の倒産からこっち、景気はずっとパッとしないですネ〜。おかげで、妻に外で働いてもらわないと、生活がやっていけないんですヨ」と語る。そして、カメラは休みの日にその奥さんを自分の愛車で職場に送り迎えする姿を写し出した。それが、彼の休日の日課になっているという。
このテレビ番組を見て、わたしは〈日本にもナイスガイのタクシー運転手がいるんだナー〉と思いつつ、「ナイスガイ」についていろいろと考えをめぐらせた。
国境を越えて、日本にもアメリカにもいるナイスガイとはどんな人間なのか。それは、あえてひとことで表現すれば、「物事の道理がわかった心根のやさしい男性」、とでもいえようか。
そして、これまでのわたしの人間観察からすれば、日本の社会でもだいたい5〜6人に一人の割合でナイスガイがいるような感じだ。
わたしには幸か不幸か娘がいないけれど、もし年頃の娘がいたとしたら、彼女の人生へのアドバイスはたったひとつだろう。それは他でもない、「結婚するなら、仕事好きなナイスガイとしなさい」というものだ。
そんなナイスガイをうまくゲットできれば、それでもう彼女の人生は半分成功したようなものだからである。
〜完〜
アメリカの旅行記、どうでしたか?
次回の旅行記もお楽しみに!
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