心開き、個性を輝かせ、ご縁の花咲かすCOCORONE(心響)

聖人であろうとする悲劇

2019.11.01 10:07


京都劇場で上演されている劇団四季の「ノートルダムの鐘」を観てきました。

スタンディング オベーションでカーテンコールが鳴り止まない中、私の涙も止まりませんでした。


なぜか?


それは、ここ最近繰り返し訪れるメッセージをこれでもかと分からせてくれたからです。


(注・ここからは、ネタバレを含む私見です。)


物語は中世パリのノートルダム寺院 1月6日道化の日から始まります。


ハロウィンの翌日だけに西野さんの「えんとつ町のプペル」ともイメージがかぶる。


「出来損ない」という意味の名前であるカジモドが主人公で、逆境にある彼のピュアさや、勇気、心の成長などがディズニーのアニメでは描かれていました。


彼を引き取って育てたノートルダムの大助祭フロローはアニメではわかりやすい悪者。聖職者ではありますが欲望丸出しでした。


ミュージカルでも悪役は悪役なんですが、


役者さんによっても解釈が違ってしまうらしいのですが、私が観た川口竜也さんのフロローは、


もともと、家族を愛するとても真面目な良い人で、宗教の規律を守ろうとするが故、自分の人間的な欲望との折り合いがつかず、ドンドンこじらせて、やらかしていくのです。


聖職者であるが故に自分の判断に間違いがないと信じ込んでいる事が上から目線で傲慢さを生んでいるとは思いもしていません。

台詞になんども出てきましたが、


多分本気で「導き守る」つもりで、


カジモドを閉じ込め、しつけという名目の虐待もします。


そして、風紀を乱すと毛嫌いするジプシーの美しく魅力的な娘、エスメラルダにドンドン惹かれながら、それに素直になる事も出来ず、「導く」という自分の枠にはめようとするのです。


それに逆らうと失恋に免疫がないしプライドが高すぎて、なまじ権力を持ってたものだから暴力を正当化し、自分の枠にはまらないものを攻撃していきます。


そう、ミュージカル編もカジモドが主役ではあるのですが、その役柄同様、彼は蚊帳の外に置かれ、話の縦軸はフロローが握っていきます。


果たしてフロローは本当に悪者だったのでしょうか?


彼は死の瞬間にも自分が悪いことしてるなんてこれっぽっちも顕在意識は思ってなかったのではないでしょうか。


宗教の教えの枠に外れないように必死だった。愛に飢えてそして不器用だったのです。


無意識は助けを求めていたでしょう。

エスメラルダに強く惹かれた理由はただの肉欲だけではなかったはず。


自由さ、強さ、自分にない輝きを持つ彼女に導きと救いを求めていたのはフロロー自身だった。


弱い自分を認められたら、


彼女もあんなに毛嫌いしなかったかもしれない。


植木等のような気楽な感じだったら、


既にフロローではなくなるな…。


ともかく、


「聖人であろうとする悲劇」


これは、聖人とまでは行かなくても、上に立つ人、親や先生、上司など「自分は正しい」と思っている人に起こりがちなことかもしれません。


彼がパリの街に火を放つシーンは、彼の中の欲望がまさに燃え上がっており、押さえ込んできたものの大きさを感じました。


それを焼き尽くして葬り去ろうとする。


たしかにお焚き上げのように火は魔を払うところはあるのでしょうが、大き過ぎる火は破壊力が強すぎます。


たった一人の心の中で起きた事が実際の大火に繋がっていきます。


それに巻き添えになったものはたまったものじゃありませんが…。


では、彼を止める方法はなんだったのでしょうか?


火事といえば、ノートルダムは実際に火事になってしまいました。


さらに、沖縄の首里城の火災でノートルダム大聖堂の火災の話も再びニュースで出ていた時だけに、なんとも言えない気持ちになりました。


フロローは自分の心を乱したエスメラルダが悪いとし、排除しようとします。これもまた火あぶりで。


魔女狩りにも通じる。

人は理解できないものを怖れ、

怖れと自己正当化がいつの時代も悲劇を生み出していきます。


その行為を見ていたカジモドが、従順で臆病だったところから目覚め最後はフロローに対決。


これは、ギリシャ神話の時代から最近ではスターウォーズにも描かれる「親殺し」にも通じていて、子供の自立が表現されました。


ちょっと前に、映画で「ジョーカー」を観たのですが、ここに通じるものもありました。


ジョーカーが覚醒するシーン。

アナ雪1のエルサのレリゴーと歌うシーンと被ります。


ああ、でも、ラストはディズニーのアニメのように、悪者は死んでハッピーエンドとはいかないのです。


ジョーカーのように悪に目覚めてというのも違う。


人間社会の不条理そのままの結末。でも、後味は悪くない。


まさに「ノートルダムダムの鐘」という舞台の大きな鐘に心が共鳴しました。


それにしても、ここ最近、繰り返し来る「悪」と「不条理」と「排除」というメッセージは何か?


それは、私の場合、

「善」「正解」「正義」の旗印のもと「裁く」「結論」を出す事の危険性を意味しています。


どっちにも言い分がある。

どっちが悪と言い切れる?


そして、

「価値観の違うものの排除」はいつの世も悲劇を生むということ。


感覚の合う人といるのは幸せです。


では感覚に合わない人とは距離を置くのは「価値観の違いを排除」してることにならない?


相手を尊重する距離感というか間合いは大事だと思いますが。


共存共栄は夢物語なのか?


ビクトル・ユーゴーの時代に出された疑問に未だにちゃんと応えられていないかもしれないけど、エスメラルダやカジモドが本当に幸せに暮らせる時代はもうすぐそこまで来ている気がする。いやもう、だいぶきてる。


では、あなたはどうする?と突き付けられた気がしました。


私は今回、フロローの中に自分を見たり主人をみたり父見たりしました。父性ってやつかもしれません。父性の切なさ…。人間弱さ。に胸がつまりました。


まずは自分の中のフロローを受け止めて抱きしめたい。


全てはそこから始まる気がします。


今回の観劇で私の中にある古い価値観の何かが動くかもしれないと感じています。


それだけのパワーがありました。


川口竜也さんが圧倒的に凄かったからここまでフロローに感情移入してしまったのかもしれません。(レミゼラブルのジャベールも演じられたそうです。)


川口竜也さんの歌声は見事でした。


もちろん四季の芝居、全部に言えることかもしれませんが、


この作品は華やかさがない分、歌声がずっと耳に残りました。


これが、日本のミュージカルの最高峰なのだと実感。


パンフレットを買って出演者のプロフィール観たら、もう皆、幼い頃からバレエ、日舞、声楽で秀でた方々ばかり、どれだけの時間とお金と努力がそこにあったのか想像に難くありません。


そこに、この台本、演出、演技力。


見終わったあとチケット代が全然高く感じない満足がありました。


良い仕事するなあ四季!!


私もそうありたい。