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拉致断絶との戦いの日々

孫に会いたい祖父母の想い

2019.11.02 09:17

両親は商店街やスーパーの入り口で、花を売る仕事をしていた。

早朝の仕入れから、スーパーの閉店まで、長時間を休みなく、何十年も働き続けた。

お金儲けに長けていることも無く、朴訥に地域の方に、廉価で良質な花を売り続けた。

路上に近い売り場で、暑い日も寒い日も雨の日も、手がひび割れて血だらけになっている時も多かった。70歳過ぎて腰が曲がるまで働き続けた。

70半ばになってようやく、初孫を授かった。目に入れても痛くない存在だった。


ようやく隠居することを決め、孫育てという生き甲斐に心を躍らせていた。

しかし、その夢は無情にも突如奪われた。

孫は突然、保育園から連れ去られ、生き別れになった。

生き別れになっている状況が、いつまで続くのか、何故そのようなことがまかり通っているのか全く理解できずに苦しむようになった。

会うことも声を聞くこともできない。成長の様子を知る写真を入手することもできない。

買い揃えたものは全て無駄にされた。自分達からのものや親せきからの祝い金は全て持ち去られた。

それでも「七五三のお祝いはどうしよう。」「ランドセルをそろそろ買ってあげないと。」

孫育てに関わりたい気持ちを持ち続けた。

近所の人達に「お孫さん可愛いでしょう」と声を掛けられ返答するのが辛くて外出することができなくなった。

家に引き籠るようになった。

連れ去られる数日前に一緒に行った上野動物園での孫と祖父母3人の写真をテーブル脇に張り、毎日、その写真をぼーっと眺めている日々になった。


裁判所手続きの書面では、元妻側の弁護士ら(森法律事務所)は、「父と子どもだけでなく、父側祖父母と子どもに愛着関係も交流も無い。興味を持ってもいなかった。写真の記録が多いのは、虚構家族である証である。(だから拉致断絶して何が悪い)」と家族の絆を冒瀆する書面を提出し苦しめ続けた。

生き甲斐を失い、何もかも虚しく感じるようになった。

体調を崩し入退院を繰り返すようになった。

認知機能が極端に落ちてきた。

「あの子は最近どうしているの?」悪気無く、息子である私に、生き別れの孫の近況を尋ねるようになった。当然、私は答えることができない。

それでも、片親とその親族を排除しない共同親権という制度を求める運動に参加したいと思うようになった。

そして、再会するまでは、なんとか生きて居たいと願うようになった。

一日も早く、故無く引き裂かれた親子、祖父母と孫が、身勝手な片親に妨害されず自由に交流できる日が来ますように。

*このブログは、いつの日か、息子が真実を知る為の記録として公開しています。

#共同親権 #人権 #子どもの権利