ヤマト民族ルーツ
ひさかたの天降るなごりの稲穂かな 高資
八十八と書く米の字~~~
https://plaza.rakuten.co.jp/kentamapoem/diary/201605270000/【八十八札所の意味】より
空海さんがなぜに四国に八十八札所を作ったのかの意味は本当のところは謎である。
一説には四国の大事な山である剣山を囲うように配置して、どの札所からも剣山が見えないようになっているとか。
ある種の結界かもしれませんね。
それだけ剣山の意味が重要だと言うこと。
八十八の数字を使った理由は諸説あるが、言霊的に解釈すると、日本の国体を謎解きとして封印してるのかもしれませんね。
日本は、死んで甦った国であると言うことを八十八に秘めてるのかもしれませんね。
八十八は、漢字の米の字を表します。
米はライスですが言霊的にはライフであり、ライフは命を意味します。
八十八=米=ライス(Rice)=ライフ(Life)。
さらに、米を分解すると、十とXになります。
十は死を意味し、Xは生を意味します。
十は漢数字の10であり、Xはローマ数字の10であり、ともにクロスと呼び、ともに数理は10であり、天(Ten)を意味します。
死んで甦ってますとは、ヤマト民族ルーツにおいては、国を追われて(一度、死んで=「十」記号)、その後、再び甦った(再び、生きた=「X」記号)、と言うこと。
十(死)からX(生)の甦りの民族であることを八十八に秘めているのかもね。
十(10)とX(10)そして死と生は深い意味を刻んでると思います。
伊勢神宮が何故に20年に一度の式年遷宮をするのか?
さらには、日本の異名が敷島(しきしま)と言うが、死生島(しきしま)なのではないか?
偶然のようで偶然でない。
八十八札所の持つ意味は深すぎる。
鳥居へと風の通へる早稲田かな 高資
https://ameblo.jp/marine816/entry-12439730380.html
大和民族のDNAから考察 ①
今回はチョット難しい我々日本人の御先祖様が一体どうやってこの日本列島に定住し現在に至っているのか、その「ルーツ」について書いて見たいと思います。
それを証明するのが、脈々と受け継がれてきた我々の細胞に刻まれた遺伝子。
科学的な根拠から得られたデータと、照らし合わせながら考察して参りましょう(遺伝子嘘ツカナイビックリマーク
大和民族(やまとみんぞく)は、日本列島の住民の大半を占める民族である。ほとんどが日本語を母語とし、日本列島に居住する民族である。しばしば和人(わじん)とも呼ばれる。
日本列島の住民のうち古代の大和朝廷や中世の武家政権の施政下にあった人を指し、近世に幕藩体制下に組み込まれた琉球諸島の住民(琉球民族)を含む民族的日本人を指す場合は日本民族と呼称される。
●起源
大和民族は、縄文時代以前から日本列島に住んでいた人々のうち、弥生時代に大和(奈良盆地の南東部)を本拠地とする人々を中心に形成されたヤマト王権(大和朝廷)に属する民族の呼称である。ヤマト王権の勢力拡大に伴い、一地域名であった「大和」が日本を広く指す呼称となり、民族名ともなった。ただし、ヤマト王権の成立過程は現段階でも明らかになっておらず、謎も多い。
大和民族の形成当初は九州地方の隼人や、東北地方の蝦夷が異民族とされていた。 しかし彼らは中世以前に大和民族と完全に同化している。琉球諸島の住民は中世に独自の王朝を築いた歴史を持ち、日清両属状態を解消して完全に日本に組み込まれたのが明治になってからであるため今でも文化的異質性が残っている。
◆生物学的考察
●父系
Y染色体ハプログループ(父系)の研究では、日本人の中にはハプログループD1b (Y染色体)(縄文人)とハプログループO1b2 (Y染色体)(弥生人)が存在することが判明した。このうちハプログループD1bの系統は日本人に固有に見られるタイプで、朝鮮半島や中国人には全く見られない固有種であることも判明した。これは縄文人の血を色濃く残すとされるアイヌに88%見られることから、D系統は縄文人(古モンゴロイド)特有の形質だとされる。また本州日本人は35%にみられるなど、約3人に1人の割合でこの系統に属している。 アリゾナ大学のマイケル・F・ハマー (Michael F. Hammer) のY染色体分析でもYAPハプロタイプ(D系統)が扱われ、さらにチベット人も50%の頻度でこのYAPハプロタイプを持っていることを根拠に、縄文人の祖先は約5万年前に中央アジアにいた集団が東進を続けた結果、約3万年前に北方ルートで北海道に到着したとする仮説を提唱した。一方、崎谷満はD1b系統(の祖型)は中央アジア経由の北回りで東アジアに至り、朝鮮半島を経由して日本列島に到達したとしている。Y染色体とミトコンドリアDNAとの頻度の違いは縄文人が渡来系弥生人集落への一方的流入を起こした分布となることから、分子生物学による研究の結果、渡来人が一方的に縄文人を支配したとする従来の学説は根拠を失った。 DNA解析の結果、大和民族と遺伝的に最も近縁なのは琉球人とアイヌ人であるとされている。
◆歴史
●前史
日本列島では、まだユーラシア大陸と陸続きの時代に石製加工具類が発掘されている。10万年前に最古の遺跡が見つかっているが、この時代の人類はデニソワ人などの旧人と考えられる。現生人類(ホモ・サピエンス)が最初に日本列島に到達したのは約3.6万年前と考えられる。ただし、火山を多く持つ日本列島は火山灰に覆われており、土壌が酸性であるため化石が残りにくくなっている。旧石器時代から人類がいた事を示す遺跡は、日本列島の各地に存在するが、人類の化石そのものは未だに発見されていない。1万数千年より前の旧石器時代人骨の発掘例は10例ほどだが、2010年(平成22年)2月4日、石垣島から初めて2万年前のものと見られる人骨が発見され、日本人の起源論の重要な手掛かりと見られている。この骨が発見された洞窟からは、2011年11月にさらに2万4000年前の人骨も見つかっている。
今日では、縄文時代の人骨のミトコンドリアDNA(母系)の調査結果では、ハプログループF、B、M7aなどの型があったことが知られており、これらに加え、ハプログループA (mtDNA)やハプログループG (mtDNA)などに代表されるシベリア北部の先住民に近い縄文人も確認されている。
ただし、大和民族の定義が大和王権の施政下の住民に限定されるのであれば、大和王権成立以前の人々を「大和民族」というのは適当ではない。現代において縄文人と称される縄文時代の日本列島の住民は形質的には現代日本人以上に均質であるが、列島全域において日本祖語に連なる言語が話されていたかは詳らかでなく、統一的な民族意識は存在しなかったと思われる。(wikipedia 大和民族より抜粋)
wikipediaにある項をもう少し細かくしてみますと、
まず、上にもあるように、このD系統は縄文人(古モンゴロイド)特有の形質とされ、ハプログループD1b はY染色体ハプログループでは、
D系にもD1aとD1bがあり、共に日本人には含まれておりますが、取分けD1bは日本固有となっております。
●ハプログループDの移動想定経路
D1aは、チベット人の約49%にみられ、日本人にも極僅かに観察される。日本列島に高頻度に分布するD1bの姉妹群であり、両者は約3.5~4万年前に分岐した。(wikipedia ハプログループD1a (Y染色体)より抜粋)
一方、
D1bは、3万年ほど前に日本列島で誕生したと考えられ、現在日本人の3割ないし4割がこのハプログループに属している。
◆日本到達以降
当時無人の日本列島に到達したハプログループD1系統は、海洋資源に恵まれ、温暖であったため日本で繁栄した。中国大陸から弥生人が日本列島にやってくるまでの約3万5,000年間に、日本列島においてハプログループD1の中からハプログループD1bが誕生したと考えられる。彼らは縄文人として、彫りの深い顔、濃い髭、二重まぶたの特徴を持ち、主に浅瀬で漁をして生活をし、のちにはO系統などの弥生人と融合し、陸稲を栽培していたと考えられる。(wikipedia ハプログループD1b (Y染色体)より抜粋)
D1が日本列島に到着後に分化され、発祥したのがD1bであり、これがいわゆる我が国の最も古い根幹的な先住人ということと考えられている訳なんですな。
D1グループを分布図で見て見ますと、
日本列島に見える黒い部分がそうなのですが、チベット民族と同祖のD1aを僅かに含むものの、その殆どが我が国固有となるD1bで、取分け北海道のアイヌや沖縄県の琉球民族等、列島の最端に行く程多く見られます。
D1bは、D1系統の飛び地となっており、姉妹系統となるチベット方面の民族から日本列島までの間に混血を示すDNAが見られないということは、その種の人のみが短期間に一気に日本へと渡って来たことが考えられます。
D1bの主な特徴としては、顔は輪郭が四角形で彫りが深く、濃い髭に眉が太くて目はパッチリの二重まぶた、耳たぶが大きくて鼻は広く、唇が厚い、温厚で浅瀬で漁をして生活をしていた狩猟民族で、血液型はO型が多かったと考えられています。
●縄文人のイメージ図(代表的な例)
次に、
ハプログループO (Y染色体)(ハプログループO (Yせんしょくたい)、英: Haplogroup O (Y-DNA))とは分子人類学において人類の父系を示すY染色体ハプログループ(型集団)の分類で、ハプログループNOの子型で「M175」以下の系統に位置すると定義されるものである。東アジア及び東南アジアで最も一般的に見られる系統であり、西ユーラシア系のハプログループRと並んで現代人類において最も帰属人口の多いY染色体であると考えられている。
●概要
Y染色体のハプログループOは、おおよそ4万年前にハプログループNと血筋が分かれた。
華北平原や長江流域などの豊かな地域を中心に、多岐に渡るサブグループを産み出し、これらの地域から東アジアや、東南アジアからポリネシアに至るまで広範囲に拡散したと考えられている。(wikipedia ハプログループO (Y染色体)より抜粋)
専門的な部分が多いので簡単な図で見て見ますと
我々日本人に最も多いのがO1から分化したO1b、更に分かれたO1b2に属すようです。
ハプログループOは中国で約4万年前に発祥し、その後様々なルートを通じて日本列島に到着したと考えられています。
●ハプログループO (Y染色体)の分布
●ハプログループOの移動経路(黄色)
●ハプログループOに関連する民族移動
ハプログループO1b2 (Y染色体)
●誕生
最も近縁のハプログループO-M95に至る系統との分岐は約28,500(95% CI 26,200~30,900)年前とされている。
O-M176のサブクレードのひとつで現代の日本人や満州民族、朝鮮民族の男性に多いO-K27のY-DNAの最も近い共通祖先は約8,200 (95% CI 6,300~10,200)年前に誕生したと考えられる。
O-K27に属さないO-M176は日本人(広島、東京)、韓国人(ソウル、大田)、漢族(北京)から低頻度ながらも検出されており、最も近い共通祖先が古いもの(広島出身)では12,100 (95% CI 9,700~14,700)年前まで遡ると推定されている。
O-M176のサブクレードに属するY-DNAを合計すると、現在日本人の約3割を占める。
●分布
ハプログループO-M176は日本人及び朝鮮民族に30%程度みられ、満州族では34~4%でみられる。また、モンゴル、ブリヤート、ウデヘ、インドネシア人、ミクロネシア人、ベトナム人、タイ人、そして中国国内に居住するダウール族、ナナイ、エヴェンキ、シボ族、漢族、四川省カンゼ・チベット族自治州新龍県のチベット族(カムパ)、新疆昌吉地区の回族でも低頻度にみられる。東アジア北東部に水稲農耕をもたらした可能性のある集団との考えもあり、日本人(和人)に高頻度でアイヌ民族には見られないことから、弥生時代以降の水稲農耕民(弥生人)との関連が現在研究されている。
・O1b2a1(O-47z)
日本列島で発生したと考えられ、日本人のO1b2保有者の8割以上がこれに属する。日本人では頻度が高く、近隣の満州民族、朝鮮民族では頻度が低い。日本語を話す男性全体の約24%で検出されているが、アイヌ民族の男性では見つかっていない。
●ハプログループ O1b2a1(O-47z)分布図(発生地:日本 推定発生時期:7870年前)
●頻度
日本人 26%-36%
朝鮮民族 19%-37%
琉球民族 22%-31%
満州族 4%-34%
ナナイ族 8%-12%
ウデゲ族 10%
ブリヤート人 2.0%
インドネシア 19.4%-19.5%
ベトナム 14.0%-17.0%
タイ 4.0%-5.4%
フィリピン 1.3%-1.4%
雲南漢民族 9.7%
北京漢民族 5.8%-6.1%
ニブフ(推定)28.6%
●国内の頻度
沖縄 22.2%
九州 32.1%
徳島 30.0%
静岡 34.4%
青森 30.8% (wikipedia ハプログループO1b2 (Y染色体)より抜粋)
つまりこの集団が稲作を伝えたとも考えられており、またアイヌには存在しないにも関わらず、北海道人からその遺伝子が見られることからも、後期の渡来集団と考えられ、北海道より北側のルートを渡らず、日本列島を南から北上するように到達したものと推測ができます。
弥生人(やよいじん、Yayoi people)は、狭義には弥生時代に中国大陸から日本列島に渡来してきた人々を指す。広義には、稲作などの弥生文化を受け入れた旧縄文人を含む、弥生時代の日本列島の人々全体を指す。
●概要
縄文人骨の顔立ちや体形は一定しており、あまり大きな時期差や地域差は認められないが、広義の弥生人骨は割合と多様であり、地域差や時期差が大きい。縄文人そのもののような弥生人や縄文人に似た弥生人(縄文系弥生人)、大陸側(中国吉林省近く)にいた人々と身体的特徴が似ている弥生人(渡来系弥生人)、縄文系と渡来系が混合したような弥生人(混血系弥生人)、古墳時代の墳墓から抜け出てきたような弥生人(新弥生人)、さらに南九州には琉球諸島の貝塚人に似た弥生人(南九州弥生人)がいた。
近年のミトコンドリアDNAハプログループやY染色体ハプログループの研究によって、日本人と中国人・朝鮮人とのY染色体には違いがみられ、弥生時代開始以降に断続的に渡来人がやって来たものの、先住の縄文人とは完全に対立していた訳ではなく、融和、混血していったものと考えられる。また日本列島には縄文時代以前から各方面から様々な人たちが日本へ流入し、弥生人も複数の系統が存在していたと推定される。
●特徴
眼窩は鼻の付け根が扁平で上下に長く丸みを帯びていて、のっぺりとしている。また、歯のサイズも縄文人より大きい。平均身長も162〜163センチぐらいで、縄文人よりも高い。(wikipedia 弥生人より抜粋)
他にも、顔は輪郭が丸く、眉は細くて目は切れ長の一重まぶた、耳たぶは小さく鼻は細く、唇も薄い、農耕民族で秩序だった集団行動を好み、血液型はA型が多かったとされます。
●弥生人のイメージ図(代表的な例)
縄文人は、長頭・低顔で、弥生人は、短頭・高顔となっております。
上に並べましたが、他のサイトでも書かれてあるように、現代日本人は75%が縄文人と弥生人の混血で、残りが弥生系20%、縄文系5%となっており、また、上の頭蓋骨からは、縄文系は欧米人顔、弥生系は日本人顔となっています。
ヒトDNA主成分分析の図
更に、DNA分析図からは、縄文人と弥生人との混血が進んだ結果、現代の日本人が現代の韓国人に近くなっていることがわかります。
●遺伝子的な分布図 (DNAで見る日本人 遺伝子の情報より)
この結果からも、我が国の先住者であった縄文人は、アジアの中で非常に特異な存在だったことがわかります。
従って我々の御先祖様の殆どがこの二系統である、縄文人(ハプログループD1b)と弥生人(ハプログループO1b2)に属し、モンゴロイドの枠ながらも、他国とは違った独自のDNAを持っていることがわかります。
これ等二系統が現代の大和民族の根幹を成しており、後期渡来人(中国・朝鮮系)とも混血が進んだ結果、現代の日本人が形成されたと考えられます。
…そしてもう1つ重要なのが、
ハプログループC1 (Y染色体)(ハプログループC1 (Yせんしょくたい)、英: Haplogroup C1 (Y-DNA))とは分子人類学において人類の父系を示すY染色体ハプログループ(型集団)の分類で、ハプログループC (Y染色体)の子型のうち「C-F3393」の変異によって定義されるグループである。
●下位区分
このC1aのグループなのですが、
重要と位置付ける意味は、やはりこれが日本人固有であるということ。
後に分岐した姉妹群となるC1a2は、明らかにヨーロッパ系であり、下の図から考えられている分岐地には若干違和感がありますなぁ。
C1a1系が日本固有であることからも、分岐した地点からC1a1系のみが混血されず、一気に日本列島に到達したのか、日本列島に入る間際で、C1a2系とに分かれ、逆にこの系統の種族が一気に西へ向かった可能性も考えられます。
C1a1は、非常に謎めいた不可思議な系統といえそうです。
まず、姉妹群となるC1a2を調べて見ますと、
ハプログループC-V20 (Y染色体)(ハプログループC-V20 (Yせんしょくたい)、英: Haplogroup C-V20 (Y-DNA))、系統名称ハプログループC1a2とは分子人類学において人類の父系を示すY染色体ハプログループ(型集団)の分類で、ハプログループC1の下位群C1aのうち「V20,V184」によって定義されるグループである。日本固有のハプログループC-M8 (Y染色体)とは姉妹群に当たる。ヨーロッパ等にごく低頻度に分布する。 (wikipedia ハプログループC1a2 (Y染色体)より抜粋)
では、我が国固有となるC1a1を調べて見ますと、
ハプログループC-M8 (Y染色体)(ハプログループC-M8 (Yせんしょくたい)、英: Haplogroup C-M8 (Y-DNA))、系統名称ハプログループC1a1とは分子人類学において人類の父系を示すY染色体ハプログループ(型集団)の分類で、ハプログループC1の下位群C1aのうち「M8, M105, M131, P122」によって定義されるグループである。日本列島ではおおむね5%の頻度で発見されており、他には韓国の済州島で1人、中国遼寧省と韓国ソウル出身者にそれぞれ1人ずつ確認されている。最も近縁なハプログループであるC1a2との最も近い共通祖先はおおよそ四、五万年前にさかのぼると推定されているが、(現段階の研究で把握されている限りでは)現存するものの拡散は約12,000年前と推定される。現存する下位系統の最も近い共通祖先は日本列島で誕生したとも考えられるが、詳細は今後の研究が待たれる。
●国内各地の頻度
徳島 10%
沖縄 6.8% [4.4%-8%]
本州 4.9%(青森 7.7%, 東京 7.0%, 静岡 4.9%)
九州 0%-3.8%
●歴史
ハプログループC1a1(M8)は日本列島固有であり、その祖型の移動ルートは謎に包まれている。最も近縁なC1a2(V20)は、旧石器時代のチェコ、約7000年前の中石器時代のスペイン北西部および同じ頃の新石器時代のハンガリー、そして少数の現代ヨーロッパ人、カビル人、アルメニア人、ネパール人から検出されており、ヨーロッパ最古層(クロマニョン人)の集団にもそのハプログループに属す者がいた。もう少し遡ると、インドやアラビアなどに散見されるC1b1(M356)、インドネシア東部からメラネシアおよびポリネシア、オーストラリアの先住民アボリジニに多く見られるC1b2(B477)との共通祖先C1にたどり着く。崎谷満はC1a1の祖型はイラン付近からアルタイ山脈付近を経由し朝鮮半島経由で日本に到達したとしている。その渡来年代は定かでないが、現存系統の拡散開始は約12,000年前であり、縄文時代の開始とほぼ一致している。すなわちハプログループC1a1は日本に縄文文化をもたらした集団かもしれない。(wikipedia ハプログループC1a1(Y染色体)より抜粋)
縄文人の一種とされる日本固有のY遺伝子を持つC1a1の系統は、ヨーロッパ系と遺伝子が姉妹群であり、日本全国で平均約5%存在するものの、これ等の最も多い地域が何と徳島県であるということ。
アイヌにこの遺伝子が含まれないことからも、別種の縄文人集団が存在していたことになります。
言い換えれば、徳島県人の10人に1人はこの謎の縄文遺伝子を持っているという決して低くない割合ですし、注目すべき調査事項といえそうです。
我が国固有として、D1b系縄文人(アイヌ75%・琉球民族55%・本土30~40%)が一気に日本列島に流れてきている痕跡が伺えることと同時に、C1a1系縄文人(ヨーロッパ系近似種:徳島県10%、本土平均5%)もまた遺伝子の飛び地となって存在している事実。
縄文文化伝来の謎、そして古代日本人のルーツを調べていく上で、実は古代「徳島県人」のルーツに、その謎が隠されている可能性があるかも知れません。