ダンス映画『イサドラの子どもたち』ダミアン・マニヴェル監督
コンテンポラリーダンサーとして活躍したフランスのダミアン・マニヴェル監督の映画『イサドラの子どもたち』は、「モダンダンスの祖」といわれるイサドラ・ダンカンの作品「母」を踊る4人の女性たちを、ノンフィクションとフィクションの狭間で捉えた作品。
ロカルノ国際映画祭で最優秀監督賞を受賞
本作は、2019年、第72回ロカルノ国際映画祭で最優秀監督賞を受賞。山形国際ドキュメンタリー映画祭2019「二重の影2―映画と生の交差する場所」出品作品として日本プレミア。
その後、アンスティチュ・フランセ東京で、「多様性を生きる」がテーマの映画として、2019年10月20日(日)に上映されたのを鑑賞した。上映前にダミアン・マニヴェル監督による映画の簡単な紹介があり、上映後は監督によるトークとQ&Aが1時間ほど行われた。
マニヴェル監督のこれまでの3作品、『若き詩人』(2014年)、『パーク』(2016年)、『泳ぎすぎた夜』(2017年、五十嵐耕平との共同監督)は、日本で公開されているらしいが、私がこの監督の作品を見るのは本作が初めて。
本作は、2019年11月9日に東京藝術大学の馬車道校舎(横浜)で上映後、日本で一般公開される。
■イサドラ・ダンカンの自伝とダンス作品「母」が題材
『イサドラの子どもたち』は、「モダンダンスの祖」ともいわれる、アメリカ出身のダンサー・振付家のイサドラ・ダンカン(1878~1927年)の自伝『私の人生(Ma vie / My Life)』のテクストと、彼女が写真と映像は残さず舞踊譜としてのみ残したダンス作品「母」の動きを通して、ダンスが人間の身体から生まれ出る過程を映像化した。
イサドラの自伝を読み、「母」の振付を踊るのは、4人の女性。映画は3部に分かれており、第1部に登場するのは、フランスで有名な若手俳優アガト・ボニツェール。第2部では、ベテランのダンサー、マリカ・リッツィ(おそらくイタリア出身か?)が、撮影時18歳の俳優、マノン・カルパンティエ(ダウン症と思われる)に、「母」の振付を伝える。第3部には、長年ダンサーなどとして活躍し、今は杖を使ってゆっくりと歩くエルザ・ウォリアストンが登場する。
季節は秋。第1部と第2部では、10月から11月の日付が文字で示され、日がたっていくことが表現されている。第3部では、夜の時刻が表示され、数時間の様子が映し出される。
■若い女性が本から踊りを発見していく
第1部のアガト・ボニツェールは、イサドラの自伝を読んでいて、本からの引用がナレーションで流れる。このナレーション以外、彼女は声を発さない。
アガトはこの自伝で、イサドラがパリで幼い子ども2人を交通事故で同時に亡くし、悲しみと絶望の中にあっても、そこから「母(La mère / Mother)」というダンスを生み出したことを知る。図書館でイサドラの作品を舞踊譜で収録した本を見つけ、その本を基に、スタジオで一人、「母」の動きを自分で踊ってみようと試みる。
アガトはパートナーの男性と一緒に暮らしているようで、外で子どもを見掛けるとほほ笑ましそうに目で追う。子どもが欲しいのか、以前、子どもを失った過去があるのか?おそらく、こういった要素はアガト本人のエピソードではなく、創作の部分なのではないかと思う。
アガトがベッドで眠り、街を歩き、カフェで本を読み、公園を散策する。スタジオで着替え、本を見ながら、少しずつ、ぎこちなく、鏡に向かって、動いてみる。子どもを優しく腕で包み込む振付。彼女自身の心情は言葉では何も語られないが、身体が静かに語り掛けてくるようだ。
■コンテンポラリーダンスが生まれる瞬間を捉える
テンポはゆっくりしていて、退屈に思う観客もいるかもしれない。しかし、これはたぶん、とんでもない映像だ。振付はモダンダンスの一歩前のような古いものだが、現代の人がその踊りに自分の感覚でもって向き合おうとする姿には、コンテンポラリーダンスの重要な一端が表れている。それは、生活をし、自然に触れ、その中から湧いてくるもの、感じるものを、身体を通して探求し、動きにしていくということだ。
そのことをこのように映像、映画で表現する方法があったのかと驚嘆する。監督によると、ずっと舞踊をテーマに映画を作りたかったそうだが、その方法が分からず、しかし、あるときダンサーがふとした動きを見せ、それがイサドラの「母」という作品だと知ったとき、ダンスをどう映画にできるかのアイデアが浮かんだそうだ。
■親子ほど年の離れた2人の間のダンスの共有と継承
第2部では、マノン・カルパンティエが「母」のソロ公演に向けて、マリカ・リッツィからその振付を教わり、練習を重ねる。マリカは、イサドラが子どもたちと写っている写真を見せたり、イサドラの言葉を聞かせたりしながら、振りの意味を伝えていく。
2人は、イサドラの子どもたちへの思いについて語り合い、海に行って、マリカの留学している2人の子どもたちについて話す。「観客がいる方が踊りがうまくいく」とマノンが話し、マリカがその理由をもっと説明してくれるよう促す場面は、監督が「観客」などとテーマを出して、そこから2人が即興で行った会話なのだそうだ。
マノンは、マリカから、物語を自分のものとして踊り、観客に見せるよう言われ、1人で練習して、イサドラの柔らかで繊細な感情を動きにしていく。
マノンがトイレで鏡の中の自分に向かって「私はできる」と声に出す場面や、本番を前に動きに自分の感覚を吹き込んでいく場面が、とても好きだ。彼女の表情も、スリムではない体も、ダンサーとして鍛錬はされていない動きも、全てが魅力的で、目が離せない。
■テクニックや従来の規範では説明のつかない美
マノンのダンスは、コンテンポラリーダンスの神髄の一部を教えてくれる。それは、ダンスはテクニックだけで踊るものではなく、見る人に訴え掛けてくるものは、踊り手の身体との向き合い方や、動きを、与えられたものではなく、踊り手の身体を通したものにしていく過程なのだということ。そして、美は、思いがけないところに宿っていて、私たちを時にはっとさせてくれるということだ。
劇場で本番中のマノンの踊りはスクリーンに映らず、映し出されるのは、マノンの踊りを見ている観客たちの顔のアップだ。最後に映るアフリカ系の高齢女性が第3部の主人公、エルザ・ウォリアストンで、頬には涙が伝っている。
■夜の街を杖を突いて歩き回る高齢の身体から物語がにじみ出る
エルザは杖を突きながら1人で劇場を出る。時刻は夜の9:30(と文字が表示される)。人通りのない道を歩き、レストランから出てきた店員に手を引かれて入り口までの数段を上がり、レストランでパスタのディナーを取る。食事の終盤で眼鏡を掛け、見たばかりの公演のパンフレットを読む。彼女もイサドラの言葉に引き付けられている。
食事を終え、他に誰も乗客がいないバスに乗り、いよいよ歩行がつらそうだが、さらに歩いて、建物のエレベーターに乗り、アパートメントに帰る。アフリカ系の少年の写真の前に置いてある線香のようなものに火をつける。彼女の息子がだいぶ前に亡くなったということで、おそらくこれもフィクションの要素なのだろうか?
彼女は服を脱いで、たくさんの肉が付いた上半身をさらし、寝間着だろうか、ゆったりとしたワンピースのような服を身にまとう。そして、ゆっくりと窓際に行き、カラフルなカーテンを途中まで閉める。途中で、カーテンからゆっくりと腕を下ろす。かすかな月明かりの中で、腕を丸め、杖を突いていない片腕で、イサドラの振付を踊り出す。ゆっくりとした、いとおしむような、悲しみの、でも満ち足りている、自分を納得させるかのようなダンス。こんなに美しいものが、この世にあるのか。
■自在には動かない身体の小さな動きから無限に広がる人生の調べ
正直に言って、この最後の場面になるまで、彼女が踊るとは予期していなかったし、踊っているときも、彼女がプロの舞踊家だとはまだ知らなかった。しかし、知らないで見ていても、動きに制約があるはずの彼女の身体による踊りは、この映画に出てくるダンスの集大成だと思った。
私がコンテンポラリーダンスに触れて初めて気付いた踊りの美しさ、魔力のようなものが、エルザの踊りには見える。それは、即興ではないのに、その場で生まれたかのように見えるダンス。そして、手のわずかな動き、指のかすかな動き、さらには身体がただそこにあること自体が、踊りになり得るということ。
第1部でも第2部でも、それぞれの最後の「母」のダンスでは、イサドラがこの作品のために選んだ、ロシアの作曲家、アレクサンドル・スクリャービンが15歳のときに作った音楽が流れていたが、第3部の踊りの場面では無音だった。生活の動作に入り込んできた踊りであり、音楽はなかったが、夜の空気や暗闇と月の明かりと亡くなった息子の存在が静かに音を奏でているようだった。
イサドラ・ダンカンの踊りをただの再現公演として見たとしたら、こんなにいろいろと感じることはなかったかもしれない。イサドラが私的な感情を昇華しようとした踊りが、普遍的な「親」や「愛」の表現となり、その動きを現代に生きる女性たちが手繰り寄せようとするさまを映像に時とともに閉じ込めることで、この映画は、コンテンポラリーダンスを稀有な形で、だがそれゆえに的確に、映像で表すことを成し遂げている。
■アフタートークとQ&Aで語られたこと
上映後の監督のトークではさまざまなことが語られた。観客からのコメントや質問も熱かった。すでに記した内容もあるが、他には次のような話も出ていた。
・第1部のアガトは俳優でダンサーではないので、イサドラの振付を自分の身体で発見していく過程には、何カ月もかかった。
・動きを発見していくことで、自然、人、世界の見方が変わり、それがまたダンスに入り込んでいく。その感覚を、ダンサーではない観客に伝えられる映画にするには、踊る人についての説明をほとんどしないのがよいと思って、そうした。
・第2部でマノンにダンスを教えたマリカ・リッツィは、「母」の振付を、イサドラから直接教えを受けた人から学んだ。
・この映画は、画家のスケッチ帳のようなものだ。
・私(監督)の映画は、リアリズムではなく、現実より少し浮いたところを描いている。
・「母」で使われるスクリャービンの音楽は、曲自体に、「母」の踊りにもあるような波がある。
・「母」は、イサドラが、子どもたちの死から8年たってから踊ることができた作品だ。イサドラの人生には他にも死がまとわりついている。
・2017年に開催された韓国の全州映画祭で『パーク』が最優秀作品賞を受賞したことがきっかけで、その映画祭で本作の企画を提出したところ、助成を受けることができた。
・第3部のエルザは長年踊ってきた人なので、どう踊るかという指示を出すのはやりづらかったが、「もっとゆっくり」ということだけ伝えた。そうしたら、「もっと速く、とは言われるけど、ゆっくり踊ってと言われたのは初めて」と言われた。
『イサドラの子どもたち』(原題:Les enfants d’Isadora / 英語タイトル:Isadora’s Children)
製作年、国:2019年、フランス・韓国
上映時間:84分
監督:ダミアン・マニヴェル(Damien Manivel)
出演:アガト・ボニツェール、マノン・カルパンティエ、マリカ・リッツィ、エルザ・ウォリアストン
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