悲しみの成長
ある日突然の、我が子の自死(自殺)というショッキングな出来事から生まれ出た“悲しみ”は、感情のコントロール不能、泣けば泣きっぱなし、時に放心状態に陥ったり、かと思えば怒りの矛先が自分に向かったり他人に向かったり、一番思いやらなければならないはずの同じ苦しみを味わった家族に向けられたり……、まるで手が付けられない癇癪を起こしたような状態が続く時期もありました。
悪気は無いのであろう他者の言動にも神経質に傷つき怒り、時にそれは嫉みにも豹変したり、心の中は濁流で渦巻いていたようにも思います。
それでもなんとか生きてきて、今月の月命日(2019年11月12日)で2年と10カ月。
あの日生まれた悲しみは、あの時のままではなく、少しずつですが変化していることに気が付きました。
そんな今だから話せること(^_^;)……けっこうありますね。
以下、事後に言われて爆発寸前or爆発したエピソードの記録です(汗)。
◆
・自宅に弔問に来た伯父から言われたこと
「勉強しろ勉強しろと煩く言ったんじゃないのかな」
・私の心の叫び
「はぁ!? 一度もあの子に会ったこともないアナタに言われることじゃないし、私のこともイマイチわかってないのに何言ってるの??」←後に奥さんである伯母に強く言い返しました。
◆
・義母に事後間もない頃言われたこと
「〇〇ちゃんは、適応障害だったのじゃないかな」
・私の心の叫び
「適応障害と一口に言っても、たくさんの症状例があって、そのどれかに当てはまらない人がいないくらいなのに、なんでも病名をつけたがるのはやめてもらいたい。現にあの子は前日まで普通に学校にも部活にも塾にも通って、友達と普通に会話していたのに!」
◆
・義理父に事後半年経った頃に言われたこと
「悲しんでばかりでもいられまい、我々は生きていかなくちゃならないんだから」
・私の心の叫び
「悲しみたくて悲しんでるわけじゃない! 止められない! 止められるわけがない! これほどの悲嘆を体験したこともない人に、尤もらしいことを言われたくない!」
◆
・義母に事後半年経った頃言われたこと
「きっと何かむこうで(あの世)で必要があって連れて行ったんだと思うよ」
・私の心の叫び
「必要? あの世で? 必要な何かってなんですか?? そういうスピリチュアル的なことで慰めようったって、納得いくわけない!」
◆
・実父に言われたこと
「〇〇ちゃんは食うに困っていたわけでもない、家庭でもかわいがられていて、特別虐めや学校の指導上に問題があったわけでもない。両親も健在、年の離れた優しいお姉ちゃんもいて、恵まれた環境で育ってきて、なにが不満だったのか。俺なんて戦後食っていくだけでも大変で、実母も実弟も病死、そんな中を生き抜いてきたのに。〇〇ちゃんが自ら死ぬほどの理由ってなんなんだ」
・私の爆発言
「戦後の苦労話と比べるな! 私たちにはわからない何かがあったのかもしれないし、その感じ方も人それぞれに違うし!」←暫し実父とも険悪なやりとりに
◆
・近所で極めて仲良くしていて、事後も話をきいてくれていたおばあちゃんに言われたこと
「バカな事をしたものね」
・私の心の叫び
「確かにそうだろうけど、他人に言われたくない!」
……(^_^;)もうね、手がつけられない感じですよね。
まわりは悪気はないどころか、できる限り前向きに生きてほしいとかけてきた言葉であったり、肉親だから言える本音であったりしたのにね。
* * *
とまあ、上げればキリがないほどまだありますが、その中で一番ギョッとしたのが、事後1年後の義妹の言動でした。
我が子が先立ったのは中2の3学期始めでしたが、学校やPTAの方々のお心遣いで、事実上は在籍していなくとも2017年3月から翌年3月の卒業までの1年間を、(架空で)在籍しているかの如く扱ってくださり、毎月一度、三年生に進学した新しいクラス担任とクラスメイトが学級活動に関する書類を届けて弔問にきてくれていました。
卒業式出席への案内もあり名前も読み上げられ(こちらから参列は遠慮しましたが)、卒業アルバムにも生徒写真を載せてくださり、ホンモノとほぼ同じ卒業証書まで発行してくださいました。
悲しいけれど、その精一杯の心づくしには心を揺さぶられ、感謝の気持ちでいっぱいで多少なりとも嬉しくなり、卒業アルバムに載った我が子の写メを義妹や実妹に送信したんですね、そしたらば……
義妹が、「今日はうちの長女も小学校の卒業式でした☆」と、二人娘……姉…妹…姪っ子とのスリーショットを添付返信してきたんですね。
同じく娘二人姉妹だったうちは、もう2度と母娘3人で一緒の写真など撮れないのに……、その無神経さに唖然としました。
事後1年は経っていたものの、それにしても……。
以後、こちらからは積極的に義妹に連絡をとることはやめました。
なんて(^_^;)……子供っぽい嫉みでしょうか。
でも気に障る恐れのある対象にはこちらから近づかないのも策ですからね。
手に負えない“悲しみ”をあやしておとなしくさせる方法を自分なりに習得しているのだと思ったり。
そして、そうこうしているうちに“悲しみ自体”も成長してる感じの今現在。
私の“悲しみ”(このブログアップ時点で)2歳と9カ月。
今日も健在ですが、良くも悪くも前ほどちょっとやそっとじゃ暴れることはなくなり、大分おとなしくなってきています(-_-)。
写真は、先立った子と同学年だった生徒さんたちの卒業式前日の下見で撮った檀上です。
仲良くしてくれたお友達にせめてものお祝いをと、卒業式の日に学校を飾る生花を、家族で寄贈させてもらいました。