比較について①
比較して、辛い思い、悔しい思いになることは小さいときからよくあった。
負けず嫌いがとにかく強かった私はいま、大人になってもそれがいろんな場面で出てくる。
嫉妬とか、嫌悪感、争いにも発展する。
だから、この感覚はなんで自分の中にあって、また解決する方法はあるのか探してきた。
その中で少し、分かった部分があったからここに残そうと思う。
だから題名は①
まず、比較は必然的なものである。
というのも、比較自体しなくていいんじゃないかと願ったけど
例えば
身長が150cmの人がいて、隣に185cmの人が来たら
誰が見ても身長の違いはあからさまに感知できるように
人間にとって必然的に備わっている能力だと言える。
ではなぜそこから、極度の負けたくなさ、嫉妬、争いが生じるのか。
それは、必要以上の過度の欲望からくるものだと分かった。
どういうことかというと、
人間はそれぞれ輝くことのできるスポットライトの場所があると思う。これは、知的に分析するのが得意な人、直感がさえて人の気持ちを読み取ることが得意な人、運動能力が高い人など、、それぞれがこの社会で光を浴びれる部分を指す。
そのスポットライトが当たらないところで必死に相手と比較し、上であることを望む、そういった過度の欲望により一喜一憂してしまうのだと分かった。
比較してでしか価値を感じれないのは本質的ではない。場所、時が変わればその価値はなくなることもあるからだ。
だから比較無しでも永遠的価値をもち、成長していけることを見つけることが幸せにつながる。
また、人間共通のスポットライトもあると感じる。
それは幸せに向かうことだ。幸せになる考え方、生き方をすることは誰もが願い向かっていくことができる。
そして最後に愛する相手の一番になることを望むこともまた当たり前だと思う。
相手にとっての自分と自分にとっての相手は、愛し合うことにより、強い唯一無二のスポットライトが当たるからだ。
だからまとめると
- 過度の欲望が比較による不幸を生んでいる。
- 自分にスポットライトが当たることを見つける。(比較無しでも価値視できて、極めれること)
- 万民共通のスポットライトは本質的に幸せになること。
- 愛しあう関係は互いが互いに光を当てることができる。
また次回は過度の欲望を持たないようになれる実践編を書こうと思う。
比べて価値視じゃなくて自分だからできること。趣味もひとつのヒントかも