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細江住楽設計

発達凸凹ちゃん

2012.10.27 05:05

こんにちは、

きんもくせいの香りも大好きな住楽です。


今まで身近な方以外にあまり話していませんが…


我が小5の娘、

元気に明るく(?)不登校中です。


ここ半年は、

ショートケアという民間の機関で、

学校が行きづらい小学生から高校生までの

少人数の集まりのところへ、週4日通っています。



娘と二人、どこまでも続く暗いトンネルを歩いているようでした。



小学校への行きしぶりは1年生の2学期から始まり、

「何言ってんねん!」 (`ε´)

と仕事をしている私はあせりながら娘の手を引っ張って

連れていくけど、私から離れない…。

担任の先生と話していると、

娘のことを「繊細ですね。」と言われ、

今までそう感じたことがなかったので、

「そうなんか…」と初めて気づき、情けない (ノ_・。)


保育園5年間、何の問題なく、楽しそうに行っていたし、

なんでやろうか…。(・_・;)


仕方なく、仕事調整しながら、付き添いをして登校し、徐々に離れていき、

3学期にはやっとひとりで小学校へ行って帰れるようになり、

山は超えたーーーと一安心。(;^_^A


しかし、2年生になってすぐ、

掃除の時にある男の子から1年生の時、

私が付き添っていたことをからかわれたらしく

(内容は3年生になった時にやっと娘から聞けました)

帰っていきなり玄関で大泣き。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。


すぐに担任の先生に連絡しましたが、

そのからかった本人は翌日からたまたま風邪で休んでしまい、

結局、担任の先生の1日に色々あるうちの小さなこと位で流され、

娘も知恵熱を出して、とうとう未解決のまま不登校へ。(><;)


今から思い返しても、このころ一番親子で泣いていました。

教育相談の臨床心理士さんや、中学校のスクールカウンセラーさん

に相談とアドバイスもらうことが唯一の救いでした。

私も腹すえて仕事を休業です。


その後1学期間かけて、

学校にタッチ(教頭先生にあいさつ程度)を根気よく続け、

2年2学期から3年生の終わりまで別室登校をしました。

ほぼ娘の出席日数分、私も出席です。

別室で、見てくれる専任の先生はいません。


直接言われたことはないですけど、

「甘やかしすぎやねん」

「病気やろ」

と娘の同級生を通じ、私の耳に入ってきてとても悩みました。

そうなんやろうか…


4年生になって、ダンスの好きな若い担任の先生で、

娘の気持ちもグイっと上がり、

一気に教室へ、私の手から飛び立ちました。


運動会で踊る娘を見て、

涙を流しながら「良かったなぁ」

と声をかけてくれるお母さん方も多く、

心配してくれてたんや…ありがとう (ノ_-。)


しかし、その後息切れするように休みがちになり、

4年2学期から不登校。

私はすでに仕事を再開していました。


兼ねてから興味のあった

ライフオーガナイザー(LO)の資格もこの頃から勉強しました。


ちょうど、LOの勉強で発達障害のことを知り始めたと同時に、

娘は発達障害の部分的な要素があるんでは…と

教育相談の心理臨床士さんと話し始め、

診察をうけました。


病名も何もつかず、

ちょっと話のとらえ方に部分的にその傾向ありますね。

こころの成長が早くて、アンバランスですね。

程度


ちょっと拍子抜けしました。

なんかわかったような、わからんような。


そのあと、LOのSNSで紹介されていた、

杉山登志郎さん著

「発達障害の子どもたち」

「発達障害の今」

を一気に読んで確信しました。


うちの娘は、発達凸凹や!


どんな人にも多少なりとも発達障害の部分的な傾向はあって、

落ち着きが無い人、空気の読めない人等々…。

ただ、それが社会で生きていくのに、さし障りになるかどうかが問題。

治すことはできないけど、どう取り組むかが大切なんです。


やっと心が軽くなりました。

だから、不登校中なのに明るく元気にいられます。


まだまだ超えないといけないことも多いですが、

娘とふたり、そして理解者である家族と歩み続けたいです。


長い文になりましたが、

ここまで読んでくれて、ありがとうございます。





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