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殉教・永遠の命を得るため??

2020.03.06 08:05


大籠キリシタン殉教公園 

 大籠や杉の肋を紅葉散る  高資

大籠キリシタン殉教公園は、岩手県一関市藤沢町における、キリスト教布教と殉教の歴史を後世に伝えるために作られた公園である。Wikipedia

https://4travel.jp/travelogue/11056954     隠れキリシタン殉教の地  より


大籠一帯はたたら製鉄が盛んで、1598年技術指導として備中国から招いた千松大八郎・小八郎兄弟がキリシタンで、この地で布教を始めそうだ。

その後、フランシスコ・バラヤス神父の布教も手伝って信徒は増加。

徳川幕府の1612年禁教令、1613年伴天連追放令、家光の鎖国政策を経てこの地にもキリシタン弾圧の波が。

クルス館へ向かう階段。

処刑された309人にちなんで309段あるらしい。


http://minoma.moe-nifty.com/hope/2008/08/post_29a5.html

【東北のキリシタン遺跡を訪ねて】 より抜粋

「たたなわる緑の丘のここ大籠の地に立つと、キリストにならい己が命を捧げ永遠の命を得た人々の霊が、この平安と美を現出させた気がし、私は深い感動と安堵を覚える。1996年11月 加賀乙彦」

 「わたしは夕暮れ近く大籠街道を歩いたのだが、点々と残っている首塚や処刑場の跡に寒けさをおぼえたのだった。九州の切支丹遺跡を訪ねてもこんな陰惨な感じをあたえる場所はなかった。ここは文字どおり東北切支丹の最後の聖地であろうと思えた。平成7年10月 ポウル・フランソワ 遠藤周作」

キリストにならい己が命を捧げ永遠の命を得た人々の霊が、この平安と美を現出させた気がし、私は深い感動と安堵を覚える と記されています。

では永遠の命とは??

https://ameblo.jp/ranyokohama/entry-12570050955.html  【永遠の命(復活の恵みに預かる)】

https://ranyokohama.amebaownd.com/posts/2965788  【永遠の今】

をご参照ください。


https://gendai.ismedia.jp/articles/-/1019  【加賀乙彦[作家] 自分らしく幸福に死ぬために必要なこと  軽井沢の自然に抱かれて生と死を想う】  より抜粋      

人間を超えた大いなる力を自然に学ぶ

 人間を超えた大いなる力――58歳で洗礼を受けてキリスト教者となった僕にとってそれは神ですが、自然の摂理と呼ぶ人もいる。なんと呼ぼうが、人間には決してつくることのできない美を生み出した何ものかを前に、誰しも謙虚な気持ちになるものです。

 ある友人は遺言の中に、「神が生命を造ったなどというおとぎ話を、僕は信ずることはできない。死んだ後は天国も地獄もない」と書いた。そういう感覚は、僕から見るととても不幸です。

 天国があるかないかというのは、人間には絶対にわからないもの。あると思えば幸福、ないと思うと不幸になる。だったら、あると思うほうがいいじゃないかと僕は思います。

 どちらにしても生きている間は証明できないのだし。パスカルは「神は実在するか、しないか。実在するほうに賭けたとしても、失うものは何もない」といいましたが、そのとおり、神の実在を信じて生きることの意味が増すなら、それでいいのじゃないでしょうか。

 意識や魂と呼ばれるものが死後どうなるかということについては、宗教によって考え方が異なります。同じキリスト教や仏教のなかでも宗派によって、また時代によって微妙な違いがあります。

あると思えば幸福、ないと思えば不幸。ならば天国を信じるほうがいい

本当のところは誰にもわかりません。でも、魂が天国に行こうが、虫や動物や別の人間に生まれ変わろうが、輪廻のない極楽浄土に行こうが、あるいは跡形もなく消え去り無となろうが、その人の思い出や伝えたかった思いは身近な人々のなかで生き続けます。

 たとえ子や孫がなくても、本人を直接知る人が死に絶えても、思いのかけらは残っていきます。

 人間の肉体も、見方によっては死んでも生き続けると言えるでしょう。火葬、土葬、水葬、風葬、鳥葬とさまざまな葬送法がありますが、長い目で見れば、いずれも自然へと回帰していく。僕たちの体を構成していた元素は自然のなかで循環し、新しい命を育む材料として活用されるわけです。

 落葉は散りゆく葉にとっては死ですが、そのおかげで樹木は翌春の芽吹きのためのエネルギーを蓄えられる。葉を茂らせ、花実を結ぶことができる。生のなかには死が内包されており、死が生を支えている。同じことが一人ひとりの人間の死についても言えるのではないでしょうか。

生き方と同様、幸せな死に方も人それぞれでいい

 僕は1990年に日本尊厳死協会の会員となり、延命措置を拒否する「リビング・ウィル」を作成しました。尊厳死宣言をしようと決意したのは、医師の一人として医療の現場にかかわるなかで、ほんの短期間に過ぎない延命のために生と死の尊厳がおかされていることを常々疑問に感じていたからです。

 不確定な未来においてひとつだけ誰にも平等に確実に起こりうる出来事、それが死です。

 しかも死はいつ訪れるかわからない。自分らしく幸せに死んでいくためには、常日頃からいざという場合のことを考えておく必要があると思うのです。

 たとえば、がんになってもう手の施しようがないとなったとき、その事実と余命をはっきり告知してもらいたいか。延命治療は何をどの程度受けるのか、一切受けないのか。選ぶことが可能なら、病院と家のどちらで死にたいか・・・。そういったことを具体的に考え、結論を出し、さらに近親者と話し合って理解してもらう。その重要性は医療技術が進歩した現代社会において、これまで以上に増しているのではないでしょうか。

 もちろん僕と同じ選択をしろとすすめているわけではありません。わずかであっても回復の可能性にかけ、できうる限りの手を尽くしてもらいたいと思う人もいるでしょう。

 生命維持装置を使ってでも最後の瞬間まで生き抜くことこそが尊い、苦しみのなかから生まれる豊かさもあると考える人もいるでしょう。そういう人は、そのような意思表示をしておけばいいのです。僕が尊厳死宣言をしたのは、なんの意思表示もしないまま意識不明になって、子供たちに延命措置をするかどうかというつらい選択をさせたくないと思ったからです。

 大切なのは「死に方」を自分で決めておくということ。生き方同様、死に方も人それぞれでいい。いや、人それぞれだからこそいい。それが人としての自然なあり方ですし、多様であるほうが人間の自由を守れるのですから。

 私事になりますが、2008年の秋に妻が急逝しました。ふたりで長崎に旅行に行こうと荷造りをした日の夜、先に寝んだ僕が深夜2時頃目覚めたら、もうこと切れていました。くも膜下出血。日本の女性の平均寿命より15歳若い70歳での旅立ちでした。

 妻が生きているときは、事故にあったり具合が悪くなったりしたらお互いに携帯電話で連絡しようと話していましたけど、それはできなくなりました。

大切なのは生き方同様、死に方も自分で決めておくことです