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縄文2

2019.11.05 07:53

三峯へ釣瓶落しとなりにけり  高資

 星野遺跡ー 場所: 栃木県 栃木市

長閑さや器に水の巴なす  高資

 縄文後期土器・白浜貝塚ー 場所: 五島観光歴史資料館

https://ncode.syosetu.com/n8874cg/13/ 

日本の神話&歴史のダイジェスト版としての古事記、「ホツマツタヱ」と縄文、シュメール文明の謎  より 

現代語譯 古事記

http://www.aozora.gr.jp/cards/001518/files/51732_44768.html

「ホツマツタヱ」

http://www.hotsuma.gr.jp/

 古事記の現代語訳とかを読んでたんですが、編集長の太の安萬侶が序文に書いてるように、古事記の目的は古代の神話や天皇の事績、各氏族の由来などのエピソードを集めたもので、全体的にストーリー性には欠けるように感じます。

 政治的意図もありそうでなさそうな感じで、でも、都合の悪い所はそれなりにカットするとか、改変されてる感じもします、当時の政権の公式文書だから仕方ないというか、無難な線で纏めて、政権に都合のいい話にはなってるんじゃないかと思われます。

 「ホツマツタヱ」はそれに比べて、ストーリー性豊かで、縄文から弥生、古墳、飛鳥時代にかけて一貫したものがあります。

 神武東征の部分を比較すると、「古事記」では「なんとなく、天下を治めるために東に行こうという話」で、筑前の岡田の宮に(北九州)一年→安藝のタケリの宮に七年(広島)→備後の高島の宮に八年(備後だと福山、岡山の笠岡あたりですが、明治時代の文部省の調査では児島湾の小島になってるので、備中なんだけど)という行程です。のんびりしてます。

 ちょとした冒険譚なのかなと思ったら、大和に入ったらいきなり現地のナガスネヒコ一族と戦争という非常に不自然な展開です。わけわからん。

 「ホツマツタヱ」だとニギハヤヒ大王の治める葦原の中国(近江辺りの王朝)の身内であるナガスネヒコ(妹がニギハヤヒの妃になっている)が世継ぎが生まれないことに焦って反乱を起こし、それを討伐する軍を九州王朝の大王(元は葦原の中国の大王の家系)の家系の神武が率いて出兵するというお話になっています。世論に押された感じですね。

 十月かんな三日に九州を出発、安芸あきの国のチノ宮で年を越し、その年四月やよいには吉備国きびのくにに到達してここで三年間、軍備などを整えます。ナガスネヒコ(大豪族、後の葛城氏辺りか?天皇家を凌ぎ、大和を二分する)=葦原の中国の軍を乗っ取ってる訳で、言ってみれば本能寺の変の明智光秀的な位置の人というか、徳川家康クラスだと思われます。葦原の中国の重臣が反乱起こした訳です。

 葦原の中国は各地から年貢米が献上されていて、文字通り東日本(北陸、山陰、中国、四国、九州、東海、関東、東北など)を束ねる大国でかなりの国力があったようです。ゆえに、結構、軍備が固いことは右大臣で葦原の中国の兵を束ねていた大物主クシミカタマの報告で事前に知っていて吉備で合流したと思われます。

 三種神器は・八尺瓊勾玉(神璽、皇居にある)=大王は人を束ねる、八垣剣(草薙剣、熱田神宮、皇居にある)=右大臣(大物主)が兵を束ねる、八咫鏡=左大臣(伊勢神宮、皇居にある)が文官を束ねるという三権分立を象徴していてすっきりしています。

 対馬では今でも大型の舟をワニ(海人族の和珥氏と関係?)、小型のをカモと言うらしいですが、ワニ=サメなので、高速帆船、カモは小型の手漕ぎ船(オキツヒコの子のシマツヒコが、鴨の泳ぎを見て考案。鴨(賀茂)氏と関係あり?)、カメは大型の手漕ぎ&帆船かな?で、ワニ → カモ → カメ の順で速いそうです。

http://gejirin.com/src/Ka/kame.html 

太古の昔『天皇はスメラミコトと呼ばれ世界に君臨する王』だった(偽書説のある竹内文書の話ですが、トンデモ過ぎてついていけないw ただ、所々、他の古史古伝と共通項がある)

http://matome.naver.jp/odai/2136734378941493901

 こういうのを見ていくと、「ホツマツタヱ」の方が信憑性が高いというか、日本の正史の復元のための資料として価値が高いと思われます。古事記ではわからない古代日本史の事情が見えてきます。

 「竹内文書」(超古代の歴史、富士山辺り?)とか、「東日流外三郡誌」(東北の歴史)などのように、僕の目から見てもトンデモ本だし、偽書だろう、さすがに検討の余地はないだろうと思われた文書も何らかの真実の断片が拾えるかもしれないと思えて来ます。

 「臨場」という鑑識官が主人公のドラマで「根こそぎ拾え!」というセリフが出て来るけど、トンデモ本でも何でもこの世にある本や記録から「根こそぎ拾って」、真実を探っていくしかないかなと思っています。

縄文土器は、世界四大文明をも超える文明があった事を示す可能性がある。

http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=315112

世界四大文明の嘘

http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=286380

縄文ブームのわけ 東京ドーム7個分の「都市」に"4階建てビル"!?

https://the-liberty.com/article.php?item_id=14353

6,000kmも離れた南太平洋上の島々で発見されていた、三内丸山の縄文式土器

http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&t=6&k=2&m=291282

 どうしてかというと、東北の縄文文明って、シュメール文明から影響を受けているとか、四大文明の時期とも重なるし、古史古伝によれば、縄文文明が世界に広がっていったという言い伝えもある訳です。

 ペルーで縄文土器が出て来たり、ちょっと縄文土器や黒曜石、翡翠とかの世界分布調べてみようかと思います。縄文人が北米が地続きだった頃、南米にまで渡っていったのか、船で行ったのかは?ちょっとわからないですが。

 縄文人のルーツは人類の歴史と重なり、アフリカから人類が出て行って、東南アジア(ズンダ大陸)に到達し北上する過程で日本に入って来たり、バイカル湖辺りに北上した集団が南下して来たり、モンゴルから来たり、いろんなルートが考えられます。

 シュメール文明は宇宙人起源説があって、突如、高度な文明が出てきて、その文明は神様から教えてもらったという言い伝えを持ってます。

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くさび形文字のほか、太陰暦、七曜制、60進法も生み、暦とともに占星術も発達、金属の鍛錬も知っていたといわれている。

エジプト文明、インダス文明の誕生にも影響を与え、両文明との交易もしていたと考えられている。

(中略)

彼らは自らを「混ざり合わされた者」と呼び、自分たちは「アヌンナキ」という神々の集団によって作られたと信じていたそうです。また、「アヌンナキは金を採掘するために他の星から地球へとやってきた」と信じていたともいわれており、シュメール人の古代神話を「アヌンナキは金を採掘する労働者を求めていたので、遺伝子操作によってシュメール人を作り出した」と解釈する「古代宇宙飛行士説」支持者もいるとのこと。

謎多きシュメール人!メソポタミア文明の起源

http://matome.naver.jp/odai/2133443625964048301

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 シュメールの人形土器があるんですが、大きな水中メガネみたいなものをかけていて、縄文の宇宙服を着てるような土器と同じような感じなんだよね。妙な共通性も感じます。

「日本人シュメール起源説」の謎

http://hexagon.inri.client.jp/floorA3F_hb/a3fhb301.html

 何というのか、日本という国は異端の思想とか、滅びた国や民族、文化とか、漢字や仏教、道教、景教(キリスト教異端ネトリウス派、聖徳太子が信仰してたと言われてる)、百済、秦、ヒッタイト(東北金属文明の謎?)など色んな世界文化のタイムカプセルのような感じがします。

ハザールとユダヤ~ ハザール系ユダヤ人について ~

http://inri.client.jp/hexagon/floorA4F_ha/a4fha200.html

 日ユ同祖論だとか出て来るのは、いろんな文明の要素が混じってるなあという感じがします。

 日ユ同祖論の場合、古代の12支族のユダヤ人のスファラディ(現代のユダヤ人の20%)と草原の騎馬遊牧の民「カザール(ハザールともいう)王国のユダヤ教改宗派」のアシュケナージ(現代のユダヤ人の80%)など「どちらも来てる」という感じもしますし、ややこしい。

東北人のルーツについて。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1195722631

青い目の東北人

http://tankyu.hatenablog.com/entry/20090222/blueeyes

 東北とか、大坂、九州などの遺伝子の一部にエジプト、ヨーロッパ系の遺伝子があって、青い目、銀色の目の日本人というのがいた可能性もあるんだよね。祖父の目が銀色と言ってる現代大坂人もいるけど。

 別に白人でなくても目が青くなることはあるらしく、縄文人や現代日本人にもそういう人がいるらしい。

 実は全部正解だったりして、そういう世界中の少数民族の集まり=日本人であって、世界の負け組連合が最後にたどり着いた新天地、約束の地が日本なのではないかと思います。

 そのため、散々、つらい目に合ってきたので、なるべく戦争や殺し合いせずに仲良くやろうという日本文化が形成されていったのではないか?と思ってます。

 もう歴史というより学研のミステリー雑誌の「ムー」のような内容ですが、本当のところ、大和政権というのは、渡来した弥生人による征服王朝なのか、それとも縄文人からの王朝なのか、どちらなでしょうかね。