34 煩悩と小さな悟り
主人と出会った職場の同僚で、私と同い年の友人が昨日亡くなりました。
結婚する時も、二人でわざわざ私たちの所に報告に来てくれた大切な友人。
またいつでも会える。
いつでも話せるって思っていました。
後悔が残りました。
悪性リンパ腫だったようです。
まったく知らなかった。
夏に脳に転移して、死の宣告をされていた
けど、「がんばるんだ!」と、みんなに話していたそうです。
それ私も同じような経験をしました。
でも私は今生きています。
それってかなり不平等です…
子どもは3人、お家も建てて、お店をするスペースも設けられていたなんて…。
きっと彼は自分が死ぬことは、心から想像できてなかったハズ…
私は最後にどうしても会いたかったから
お通夜で対面しました。
友人はお人形のように、棺桶に寝ていました。
イマイチ実感できません。
私も自分のこの様子、何度も想像しました。
また震えました。
また恐怖でした。
あの恐怖は、私の人生マックスで、あれ以外のことは、もう何も怖くないくらいです。
また耐えられない脱力感で立ってられませんでした。
お坊さんが仰るには、友人は「仏様」になったようです。そして、みんなを見守ってくれるそうです。
「あまりにも早すぎる死ですが、
人にはそれぞれふりかかるものです。
この世を含めた六道は、穢れた世界であることに対し、浄土は悟りを開いたものだけが到達できる世界。
煩悩にとらわれているうちは決して到達できない世界。
「死にたくない!」と思うことも煩悩にとらわれているようです、つまり穢れ」
このお話は、私のこれからの生き方に、大きく影響を与えてくれそうです。
「死」に直面してから聞くと、真の理解ができたように思えます。
「死の淵」からはい上がって来た方は、ボランティアや講演会などの、慈善活動に興味を抱く方が多いと聞きます。
価値観が、劇的に変わるから。
私も今その気持ちです。
それもひとつの「小さな悟り」なのかもしれません。わからないけど。
フジヤス、教えてくれてありがとう。
今までありがとう。
ご冥福をお祈りします。