陰翳礼讃
(鎌倉・明月院)
谷崎潤一郎がエッセイ『陰影礼賛』で、
「……こうした時代西洋では可能な限り部屋を明るくし、陰翳を消す事に執着したが、日本ではむしろ陰翳を認め、それを利用する事で陰翳の中でこそ生える芸術を作り上げたのであり、それこそが日本古来の芸術の特徴だ」
と書いている。 日本の社会に電気が入ったのはおおよそ100年前。でもまだ蝋燭や行灯の代替品であった。谷崎がこのエッセイを書いたのが1933年(昭和8年)だから、やっと各家庭に電気がくるようになった頃で、彼はまだ電灯がなかった時代の美の感覚を論じている。
昔は油断するといつも暗闇が支配していたと思う。丑三つ刻というときの「刻」というのは、手をかざして掌の掌紋が見えるときから見えなくなるときまでが昼間で、見えない時間帯は夜にしていた。それをそれぞれ六等分したのが一刻になる。その漆黒の闇を照らすのは蝋燭か行灯か松明だけ。でもそれらの灯りが届かないところは闇が我が物顔だ。鬼や夜叉が跋扈する。昼とて、部屋の片隅や奥まった部屋には闇が漂っている。
(京都・雲龍院)
敗戦後、まったく文化的でない「文化住宅」×「蛍光灯」というペアリングが暗闇を追放していった。これがドラスチックだったと思う。天井からぶら下がった蛍光灯でドカン!と部屋全体を青白く照らす。このデファクトスタンダードでしばらく日本人はやってきた。
もっと後の時代は、全国をネットする電信柱の電灯とコンビニエンス・ストアの存在が大きい。明るすぎて夜の闇を大切にしないという声はときどき上がるが、闇に紛れている人間の鬼とか夜叉を放逐する役割は大きいだろうとは思う。
だからね、潤ちゃんには悪いけど、あの『陰影礼賛』というのは、望んでも潤沢な電源や光量を得る事ができなかった時代の負け惜しみやヤセ我慢と取れないこともない。否、あの谷崎の陰影にポジティブさを求めたエッセイは日本美の発見に貢献はしている。が、それを日本人は踏襲していないよね。何故?今日の日本では家々から「陰影」はほぼ放逐されてしまって、フラットな全体照明のなかで暮らしてない?
今やアメリカ人の方が“陰影”を大切にして生活をしていると思う。アメリカの住宅にはこの全体照明という考えがまったくといってない。夜になると屋外と同様に暗くなる。ダイニングではまあまあ小ぶりのシャンデリアなどで明るいが、リビングになると暗い。だが団欒をするソファー脇とかコーヒーテーブル脇にはスタンドがある。ベットサイドにもスタンド。それ以外のところには暗闇が十分に息づいている。
レストランも日本人からしたら暗い。あるレストランではメニューが読めない程に暗い。テーブルの上の小さなランプを引き寄せ、そのか細い灯りで照らしてやっとの思いで読む。
それとどう関係するのかよく分からないのだが、彼らは蝋燭=キャンドルがめちゃめちゃ好きだ。どの街にもキャンドルショップはあるので、人気の程が分かる。スタンドとかランプも出来る事ならキャンドルに差し替えたいと思っているよね。
今のアメリカ人は昔の日本人のように、暗闇とか陰影に潜む鬼とか夜叉とか物の怪と仲良く暮らすってことがかえって贅沢なんだってことを知っているのだと思う。
加えれば……。太陽の下ですぐにサングラスすることでわかるように、彼ら白人種は虹彩が薄く、「輝度」が高いのは苦痛らしい。そのことが「部分照明」に現れて来ているんだろうとも思うのだが。