愛と哀しみの傑作(マスターピース)ヨハン・シュトラウス2世 「記念の歌」
ヨハン・シュトラウス2世
「記念の歌」
ヨハン・シュトラウス2世は、ヨハン・シュトラウス1世の長男として、1825年にウィーンで生まれます。父は誰もが知る作曲家で、自らの名を冠した楽団を四つ持ち、毎晩ウィーンの街を馬車で掛け持ちする人気者でした。
シュトラウス2世は、父に憧れ音楽家を目指すようになります。わずか8歳で隣人にピアノを教え、自分で稼いだ金でヴァイオリンを購入。毎日、鏡の前で父の身振り手振りを真似していました。ある日、そんな姿を父に見られてしまいます。激怒した父は、息子のヴァイオリンを奪い叩き壊します。かつて安酒場で酔っぱらい相手に日銭を得ていた父は、息子を音楽家にさせるつもりはなかったのです。彼は楽団内でも家庭でも絶対のリーダーでした。
やがてシュトラウス1世は若い愛人と暮らし始めます。息子は父の愛情を知らずに育ちます。夫への対抗心からでしょうか、母は息子の音楽家への夢を積極的に応援しました。シュトラウス2世は、宮廷歌劇場のヴァイオリン奏者からヴァイオリン演奏を、楽理の教授や宮廷付き教会のオルガン奏者からは音楽理論を学んだのです。
1844年、シュトラウス2世はデビューに向けて動き始めます。この時、母は夫に離縁状を叩きつけます。シュトラウス2世の音楽家デビューは、母と息子の父への挑戦でした。受けて立つ父は、ウィーン中の名だたる店に圧力をかけ息子の出演を妨害した、といわれています。
同年10月15日、シュトラウス2世のデビューコンサートは開催されます。定員600名の店は立錐の余地もない超満員でした。この時演奏された自作曲が「記念の歌」です。なんと19回もアンコールされたといいます。まさに若き天才の記念碑となる曲でした。公演後の新聞紙上には、「さよならランナー*! おやすみ、シュトラウス1世! こんにちは、シュトラウス2世!」という言葉が踊ったのでした。
*ヨーゼフ・ランナー Joseph Lanner(1801〜43)はオーストリアの音楽家。シュトラウス一家に先立ってウィンナ・ワルツの様式を確立。代表作「宮廷舞踏会」など。
ヨハン・シュトラウス2世 Johann Strauss II(1825~99)
オーストリアの作曲家・指揮者。ヨハン・シュトラウス1世の長男。ウィーンを中心に活躍したワルツ王。代表作は「美しく青きドナウ」、「ウィーンの森の物語」、「皇帝円舞曲」など。オペレッタの最高傑作といわれる「こうもり」を作曲。
イラスト:遠藤裕喜奈