ある男の子の話
つい今しがた、また小さなお別れがあって、私は今にも泣きそうな気分である。
ずっと大好きな男の子が、いよいよ遠くへ引っ越すからだ。
その男の子、Aくんが最初にうちに来たときのことをずっと覚えている。もう15年ほど前になるのかな。
お昼の遅い時間にごはんを食べにやってきて、うちのCD棚を見て、「ティポグラフィカのCDはありますか?」と聞いてきたのだ。当時22歳のその彼が今堀恒雄や菊地成孔が90年代前半にやっていたそのバンドを知ってるなんて珍しいなあと思いつつ、まるでそれが少し前から決められていた動きのように棚から迷わずさくっとそのCDを取り出し、彼に聞かせたのだ。
Aくんはそれ以来、うちによく来るようになった。彼は東京の有名私大を中退して新たに医大に入るため、名古屋の予備校に通っていた。そしてお昼ごはんをたまにうちで食べに来るのだけれど、話は大抵音楽のことだった。予備校生活は1年では済まず、不安やストレスも多いだろうと私は勝手に心配していた。飄々としている彼にもストレスの影が見えていたからだ。その後、無事に他県の医大に入ってからも帰省ごとにうちに来てくれた。卒業と共に結婚し、研修医時代は急にぱたりと来なくなったけれど、また名古屋の総合病院に勤務してからは時々来てくれるようになった。もうAくんは30代後半になっていた。
Aくんは多くは一人で来ていたけれども、時折高校時代の友達Bくんを連れてきた。彼らは不思議な関係だった。どこまで意識しているかわからないけれど、BくんはAくんに対してプラトニックな愛情を持っているんじゃないかとずっと思っていた。彼らは高校卒業から多分もう20年が経っていると思うけど、Bくんからは言葉に出し切れない思いのようなものがAくんに対して向かっているようで、Aくんはそれに対して気付いているのかいないのか、ずっと変わらず飄々とした態度で受け止めているようだった。
今、Aくんは医者になり、子供もでき、子供と自分のこれからのために再び他県に引っ越すことを決めた。同時にBくんも、おばあちゃんの実家のあるさらに遠くの県に引っ越すことにしたそうだ。Bくんが数日後、Aくんは2ヵ月後に引越しをする。
そうだったんだ、とそれを聞いて私は言う。
最後に来てくれて嬉しいよ、と。
実はさっき、Bくんの声が聞こえてきてた。
「ねえ。すっごく年を取ったらさ、一緒に住むの、良くない?」
Aくんはいつものように笑ってる声で「そうだね」と答えてた。
切ないなあ、Bくん。心配という意味では、私はずっとBくんのことを心配しているよ。
帰り際、元気でね、とふたりと握手をした。またね、と言って手を振った。
私はおとなだから。
ほんとは泣きそうだった。
きっとBくんと同様、私もAくんのことがずっと好きだから。