我ここに立つ19-自由意志対奴隷意志
2019.11.09 03:24
宗教改革は「エラスムスが卵を生み、ルターが孵した」と言われる。エラスムスは、聖書がすべての人に読まれるべきと宣言し、新約聖書のギリシア語・ラテン語対訳はルターも使って、ルターのドイツ語訳聖書の原版となった。ルターはこの有名な学者に支持してもらうよう手紙を書いている。
エラスムスもルターが、カトリックを改革してくれることを望み、寛容な扱いを諸方面に要請した。ところがルターが新教をつくり影響が広がると、エラスムスにも批判が集まり、ルターもどんどん違う方向に行ったので1524年「自由意志論」を発表、翌年ルターは「奴隷意志論」を発表した。
エラスムスは、欧州を渡り歩いた自由人らしく、自由意志を肯定し、自由意志によって善を指向できる、と主張する。ところがルターは、信仰なくば人間が善をしても傲慢になるだけだ、と反論する。そしてそもそも神は全能なので、人間の意志は計算に入っていて、実は神の意志をやってるだけだ、という。
結局この論議は残念にもルターがケンカ腰のため、エラスムスがやめてしまった。ルターの立場からは、プロテスタント的決定論、エラスムスは啓蒙主義につながってゆく。決定論の立場で両者を統一しようとしたのがへーゲル主義の「理性の狡知」である。現教皇フランシスコは、他宗教でも無神論者でも、善をすることで一致できる、と説いている。