読者からの質問に答える
新たなる啓示
四章 読者からの質問に答える
シルバーバーチ交霊会は正式には〝ハンネン・スワッファー・ホームサークル〟と呼ばれていた。スワッファーという名司会者(日本でいう神審者(サニワ))が出現するまでは不定期に、ごく親しい知人四、五人を相手に開かれていて、記録も残されていなかった。
が、その霊言の内容の質の高さに感動したスワッファーの提言でスワッファーの自宅で毎週金曜日の夜に定期的に開かれることになり、出席者も、招待客を含めて十人前後となった。
そして名称をハンネン・スワッファー・ホームサークルとして、専門の速記者も用意し、その記録を翌週の〝サイキック・ニューズ〟に掲載し、さらには月刊紙〝Two Worlds〟にも掲載されるようになった。
こうして公表されるようになると、当然、読者からの質問も多く寄せられるようになる。それが交霊会で読み上げられて、それについてシルバーバーチが回答を述べ、さらにその回答に関連して出席者が細かく質問をして話題が次第に発展していくことがよくあった。
本章で紹介するのもその一例で〝Two Worlds〟の読者から次の質問がきっかけとなった。
双子霊とは?
投書(一)───双子霊 twin-souls というのは何なのでしょうか。
「一個の魂を構成する二つの類魂が地上で結ばれた場合のことです。この宇宙に類魂のいない霊はいません。が、それが同じ地球上で出会うということは滅多にあることではありません。
互いに補足し合う関係にある二つの魂が同じ時期に同じこの地上世界で出会うことを許された時は、そこに、文字通りの地上天国が成就されます。双子霊はその用語の通り双子のような同質の二つの魂ということです。
同じ成長と進化の段階にあるので、進歩もいっしょに仲良く、ということになります。私が時おり、〝あなた方お二人はアフィニティですね〟と申し上げることがあるのをご存知と思います」
サークルのメンバー────でも、せっかく出会っても二、三年でどちらかが先に死んで別れ別れになるということもあると思うのですが・・・・・・
「それは身体上の話にすぎません。でも、少なくともその短い期間は〝一体化〟 がもたらす燦然とした生命の喜悦にひたることができます。それは、生命進化のどの階梯においても有りうることです」
同じメンバーがひとりごとのように「霊的知識があれば、その喜悦はさらに大きくなるだろうなあ」とつぶやくと───
別のメンバー───同じ進化の階梯にある双子霊がこの地上で別れ別れになるということにはどういう意味があるのでしょうか。誰しも二人はずっといっしょであるべきだと考えるのですが・・・・・・
「せっかく地上で出会いながら、どちらかが先に他界した場合のことをおっしゃっているのだと思いますが、それは、あくまでも身体上のことであって、ほんのいっときの話です。類魂どうしであれば、魂の内奥から湧き出る衝動が互いを強烈に引き寄せます。身体は二つでも霊的には一つだからです」
───別れ別れの生活を体験することが、その双子霊の進化にとって有益だからという見方もできると思います。
「そういう見方もできないことはありませんが、大ゲサに考えることはありません。一緒のままでいようと、別れ別れになろうと、お互いが一個の魂の半分なのですから、その絶対的なつながりは、死という地上的な現象によっていささかの影響も受けません。
霊的実在と地上的現象とを同等に考えてはいけません。最後に残るのは霊にかかわるものだけです」
物質界の体験をもたない高級霊の存在
投書(二)───私たちのように地球という物質界に誕生してくる霊とは別に、まったく物的体験を持たない霊がいるのはなぜでしょうか。
「この宇宙には、物的身体による体験を持たない高級霊の界層が存在します。そういう種類の霊にしかできない宇宙経綸の仕事があるのです。一度も地上の人間のような形態をもったことのない高級霊です。その界層での成長にとって地上的顕現は不必要なのです。
居ながらにして高級霊で、宇宙の上層部に所属しています。〝光り輝く存在〟(※)というのがそれです。現実にそういう存在がいます」
(※)───ある形体があって、それが光輝を発しているのではなく、光り輝いている存在で、一定の形体を有しない───訳者。
投書(三)─── 霊界との交信に器機装置を使用する計画は無いのでしょうか。
「霊界と地上界との交信を促進するための計画はこちらでもいろいろとなされておりますが、霊媒に取って代るもの、たとえば電子工学(エレクトロニクス)を応用したものを考案中という話は聞いておりません。
高周波───〝高い〟といっても程度は知れてますが───を記録する装置を使ってはいけないとという理由はありません。それなりに交信を容易にし、判読しやすい形で受け取る上で役立つかも知れません。
しかし、顕と幽の二つの世界の交信にとって不可欠の要素である霊媒に取って代わる器具(モノ)を考案中という話は聞いたことがありません。それは絶対にできないでしょう。なぜと言えば、二つの世界は霊と霊との関係、つまり霊性で結ばれているからです」
そう述べてから、その日の出席者で霊媒を仕事としている人の方へ顔を向けて
「あなたもそう思われるでしょう?」
と言うと、その霊媒が
「分かりやすい説明だと思います。霊媒がお役ご免になって器械が使用される時代が来るとは考えられません。私は実はエレクトロニクスの分野での仕事の体験があるのです」
「突き詰めて言えば」
とシルバーバーチが付け加える。
「顕幽の交信を可能にしているのは〝愛〟です。愛は霊的属性の一つです」
メンバーの一人───バイブルにも〝霊的なものは霊的に見きわめないといけません〟とあります。
「霊媒は無くてはならない存在です。交信に必要なエネルギーは物的なものではありません。霊そのものから出ています。霊的身体から出ることもあります。いずれにせよ、必須の要素である愛がなくては、霊的なものを物的なものに転換することはできません」
ここで別のメンバーが、優れた霊媒能力をもつ、ある女性の例を引き合いに出して、
「その人が霊媒としての仕事を嫌がって拒否しているけど、これはその女性にとって大きな罰点にならないでしょうか」と尋ねた。
「私なりの考えを申し上げましょう」と言って、シルバーバーチが次のように答えた。
「大霊からの授かりものである霊的能力を持っている人は、男性・女性の区別なく、それをどう活用するかについての責任が付いてまわります。大霊は無償でその能力を授けているのではない、ということです。
しかし、その責任を果たすかどうかは、その人の自由意志による選択にまかされています。これは、罰点かどうかの問題ではなく、原因と結果の法則───因果律の問題です」
同じ質問者───実は私は心霊治療家なのですが、ある交霊会で、私が物理的霊媒能力の養成を怠ったのが進歩の妨げになっていると言われたのです。
「それは〝用語〟の問題に過ぎません。心霊治療も見方によっては物理的現象といえるのではありませんか? だって、肉体という物質に変化をもたらすわけでしょう? 治療を通して届けられた霊力が肉体の改善という物理的結果を生むわけです。心霊治療というのはそういうメカニズムになっているのでしょう?」
───では、その交霊会で言われたことは気にしなくてもよいのですね?
「霊が言うことも霊媒を通して届けられるわけですから、必ずしも正しく伝えられているとはかぎりません。こちらから見ていると、誤り伝えられているのに、それがわれわれのせいにされていることがよくあります。
一方、われわれも絶対に誤りを犯さない存在ではありませんから、間違ったことを言う可能性もあるわけです。私の言うことが絶対に間違っていないとは申しません、と何度も申し上げてきたことはご存知と思います。
いかなる霊媒を通して届けられたものでも、必ず理性による判断を通さないといけません。最高の判事は理性です。これも大霊からの授かりものです。道義心とあわせて使用すれば、進むべき正しい方角が示されます」
世俗的よろこびと霊的よろこび
投書(四)───霊の進化は生命の旅における苦難と葛藤を通して得られるとおっしゃっていますが、同時に、その進化に終わりはないともおっしゃっています。そうなると、魂の安らぎと平安が永遠に得られないということになりませんか。
この質問を聞いてシルバーバーチが
「質問者がおっしゃっているのは地上の人生のことでしょうか」
と尋ねると、司会者が
「その点は明確ではありませんが・・・・・・」
と答える。するとシルバーバーチが続けてこう述べた。
「そういう疑問は、世俗的な表面と霊的な内面との違いが理解できていないことから生じます。日常生活では葛藤と困難と闘争に明け暮れていながら、内面的には平安と安らぎの中に安住することができます。俗世では疾風怒濤の中にあっても、霊的な悟りは平静そのものであり得るのです。
安らぎは内面から出てくるものです。外部からやってくるものではありません。地上の人間が物的身体の奥に秘められた霊的な自我を開発しさえすれば、泉のごとく霊力が湧いて出て、静寂、沈着、平穏、安らぎといったものがもたらされます。
これまでに多くの偉大なる霊が地上へ降誕し、さまざまな分野で先駆的な仕事と改革をもたらしましたが、みな、過酷な現実の中で悪戦苦闘しながらも、霊的な自我は静かな悟りの世界にありました。
物的な有為転変と霊的原理とを同等に見てはいけません。霊が主人であり、物質は従者です。つねに霊が主導権を握るようでなくてはいけません」
投書(五)───霊媒や治療家が過労におちいるのは本人の責任でしょうか、それとも背後霊の責任でしょうか。
「それは本人の責任です。霊媒や治療家は霊の道具です。が、その道具にも自由意志が許されています。背後霊は独裁者ではありません。霊媒を操り人形を扱うようなわけにはまいりません。協力しあうのです。無理やり強いるようなことはしません。その時の環境条件のもとで最善を尽くします。
もしも霊媒や治療家が過労でダウンしたとすれば、それは本人の責任です。われわれ霊側は霊媒を鼓舞して仕事に従事させることはありますが、体力の限界を無視してまでやらせるようなことはしません。
霊的能力の開発を蔭から指導すると同時に、その能力を使い過ぎないように管理する必要もあります。せっかくの能力であり、大切にしなければならないからです。
いつも申し上げているように、霊と精神と身体の三つが一体となって機能することが大切です。その調和の中でこそ各自の使命が果たせるのです」
不幸とカルマ
投書(六)───戦争や大惨事、疫病や飢餓で多くの魂が一度に死ぬのは、やはりカルマのせいでしょうか。その中には死すべき時よりも早目に死ぬ者もいるのでしょうか。戦争は地上世界では避けられないものなのでしょうか。もしも避けられないものであれば、それは国家や民族としてのカルマのせいでしょうか。
「この質問者は〝魂が死ぬ〟という言い方をしておられますが、これは不適切です。魂は死にません。また、カルマという用語を用いておられますが、これはつまるところ摂理の働きのことです。タネ蒔きと刈り取りのことであり、因果律の一部を構成するものです。
摂理の働きだけは何人も逃れる事はできません。究極において公正が成就されるようにとの大霊の意図によって案出されているのですから、万が一その摂理が廃止されたり原因と結果の連鎖関係が妨げられたりすることが有り得るとすれば、それは大霊の意図が無視されることが有り得ることになり、言語道断の話です。
各自がその霊性に相応しいものを、少なすぎも多すぎもしないだけ授かるようになっているのです。これは個人についてのみならず国家や民族の単位でも当てはまります。国家や民族といっても、つまるところ個人の集まりですから・・・・・・
地上生活の寿命の件ですが、一応、魂が誕生する時にあらかじめ決まっております。が、人間には、ある範囲内での自由意志が許されており、その他のもろもろの事情も絡んで、その寿命、つまり死すべき時が変わることも有り得ることです。
戦争が避けられるか否かの問題ですが、これは地上の人間自身の自覚に関わる問題です。今も述べましたように、人間には自由意志が許されております。が、それには代償も伴います。戦争をするかしないかは自由です。が、戦争という手段を選んだからには、それが生み出す結果に対しても人間が責任を負わねばなりません」
メンバーの一人───寿命は魂の誕生に際してあらかじめ決まっているとおっしゃいましたが、それはすべての魂に当てはまることでしょうか。たとえば未熟な魂にも自分がこれからたどる人生についての正しい判断や知識、叡知などが備わっているでしょうか。〝魂〟の次元ではすべてが平等なのでしょうか。
「魂が物的身体に宿る前と後とでは、発揮する叡智の量には格段の差があります。誕生後の自我は物的身体の機能によって大幅に制約されます。が、誕生前は、すべての魂とは申しませんが、大体において自分が地上でたどるべき人生について承知しております」
───誕生前から自分のたどるべき人生が分かっているということは、その結果まで分かっていることになりませんか。
「分かっていますよ」
───こういう体験をしてこうなるということが分っているものを、なぜわざわざ体験しに行く必要があるのでしょうか。
「その地上体験のあと霊界へ戻ってから為すべき仕事があるのです。それに備えて霊力を磨くのです。体験すべきものが前もって分かっているということは、その体験によって初めて身につく霊的成長の代用になりません。
世界中の図書館の本を全部読んでも、それだけでは進歩は得られません。それを体験によって強化しないといけません。つまり霊的成長が得られるか否かは、人生体験にどう対応するかに掛かっています。そこに、地上に生を受けた、そもそもの意義があるのです」
寿命は決まっているか
───寿命は前もって決まっているのでしょうか、それとも体力その他の要素の問題なのでしょうか。
「ありとあらゆる要素が絡んでおります。物的身体は魂が体験を得るために欠かすことのできない大切な道具です。魂と身体は二人三脚です。が、そのことは別として、地上の寿命は、大ていの場合、前もって分かっております。
物的身体と霊的自我とを完全に切り離して考えてはいけません。両者はがっちりと組み合わさり、前者は後者を制約し、後者は前者に生気を与えております。一個の人間の存在をバラバラに分解して考えてはいけません。いくつもの要素が組み合わさって一個の存在を形成しており、
しかも、その一つ一つの要素が互いに反応し合っております。それぞれの要素が組み合わさり、融合し合って、あなたという一個の存在を形成しているのです」
───たとえば船の事故で千人の溺死者が出たとします。その千人は、ちょうどその時期に地上との縁が切れることになっていたのでしょうか。魂の成長の為に与えられた地上での寿命が、ちょうど同じ時期に終えるように運命づけられていたのでしょうか。
「霊的なことを地上の言語で表現するのはとても難しいことです。あなたのおっしゃる〝運命づけられた〟という表現を用いますと、では誰によって、何を基準に? という疑問が生じます。
たぶん皆さんの頭の中には、大霊が死ぬべき人間を船に乗せておいて事故を起こさせたような図を想像しておられるのでしょうけど、そういうものではありません。人生の千変万化の人間模様の背後に大自然の摂理が働いていて、その結果として事故が発生しているのです。
肉体にはいずれ死が訪れます。死によって霊が肉体から解放されるのです。その意味では、肉体の死は霊の誕生です。その死を地上の人間は悲劇とみますが、われわれ霊界の者にとっては少しも悲しむべきことではありません。
霊界への誕生なのですから、死は自由解放への扉を開いてくれる恩人です。煩わしい地上の悩みごとから解放してくれるのです。特殊な例外を除いて、死は罰ではなく、報酬です。
ですから、死というものを、何としても食い止めねばならない悲劇と見ないで、魂が本来の自我を見出す為に仕組まれた、大自然の生命活動の一環と見るべきです」
投書(七)───今地上にはさまざまな病気で無数の人が苦しんでいますが、その人たちはみな過去世の過ちの償いをしているのでしょうか。そうやって苦しむために地上へ戻ってきているのでしょうか。
「苦難は生命進化の大道における不可欠の要素です。では苦難の法則がどのように働いているかとなると、簡単には説明できません。霊的な因果律の働きを考慮せずに、ただ表面の物的現象だけで推断するのは禁物です。
といって因果律は目に見えませんから、そういうものの存在を信じるほかありません。つまり大霊は愛と叡知の極致ともいうべき存在ですから、究極においては必ず公正が行きわたるようになっていると信じることです。
地上人生は全存在のホンの一側面にすぎません。地上生活がすべてではないのです。その間の出来事についてもきちんとした埋め合わせと償いの法則が働いています。カケラほどの短い人生の表面だけを見て大霊のなさることを批判すると間違いを犯します。それは他の大きな側面を無視することであり、それすら全体の一部に過ぎないからです。
何一つ忘れ去られることはありません。何一つ見落とされることはありません。何一つ無視されることもありません。摂理がすべてを支配しているのです。あらゆる存在が、あらゆる側面が、大きい・小さい、単純・複雑の違いの別なく、永遠に不変の摂理によって支配されているのです。
どうしても理解に苦しむことがあれば、それはまだ自分には理解力の及ばないことがあると観念すべきです。人間は、物的身体を媒体として生活するという宿命的な制約を課せられています。
しかし、そうしたものにおかまいなく、〝愛〟はすべてのものに作用しているのです。大霊とは愛にほかならないのです。愛は必ずいつかは目的を成就します。
私たちがこうして皆さんのもとに帰ってくるのも、あなた方への愛があればこそです。必要とあればどんなことでも致します。が、余計なこと、無益なことはいたしません。
あなた方にその価値が分かるものしかお教えしません。理解力というものは魂の成長から生まれるものです。梯子を一段高く上がってはじめて、その次の一段が見えるようになります。その梯子が無限の彼方へと続いているのです。
その梯子の低い段階にいるあなた方に代わって、私たちがすべての問題を解決してあげるわけにはまいりません。冷たい心でそう申し上げるのではありません。物的身体に包まれたあなた方には理解できない要素があり、私たちが代って解答を教えてあげることは余計なことであり、無駄なことだからです。
どうしても理解できないことは、これまでに授かった霊的真理を頼りとして〝信念〟を持つことです。根拠のない手前勝手な信念ではありません。スピリチュアリズムによって明らかになった霊的実在に得心がいき、その理解をもとに、人生のすべてが大霊の愛と叡知によって支配されていて、自分もその中にあるのだということを確信する、そういう信念です。
その信念をもつに至れば、自分および自分のまわりに何事が起きようと、それは大霊の思し召しなのだという理解が生まれるはずです。
私は断言します、地上生活で生じるいかなる苦難も、自分の内部および外部の力を総動員しても解決できないほど大きなものはありません。
その解決のための必死の努力が、霊性を磨き一段と大きく成長をさせるのです。地上生活の究極の目的はそこにあるのです。難問に遭遇し、それと格闘し、その結果として霊的成長を得るということです。
もしもその信念に迷いが生じた時は、その迷いをいったん鎮め、冷静な精神状態のもとで、それまでにあなたが辿ってきた道を振り返り、大切な節目節目に必ず不思議な力が働いてそこまで導かれてきたことを、改めて確認することです。
あなた方は、この地上にあってこうした素晴らしい霊的知識との出会いがあり、それが生涯を通じて導きの光となったということは、大変しあわせなことです。
霊的に見れば、かつて地上で愛のつながりのあった人々や、地上的な縁は無くても霊的な親和力によって結ばれている、いわゆる類魂との関係が強化されるということです。
そうした背後霊団が望んでいることは、その協力関係によって他の多くの、無知の闇の中にいる人々を救ってあげることです。私たちがこうして地上へ帰って来た目的もそこにあります」
メンバーの一人───こうした素晴らしい知識を聞かせていただく私たちは。本当にしあわせだと感謝しております。
「私こそあなた方に感謝しておりますよ。あなた方の協力があればこそ、ささやかとはいえ、暗闇に光明をもたらすことができているのです。その光明を一段と強力なものとして伝導の道を歩んでいただきたいのです」
祈願
投書(八)───祈りの中で俗生活に関わることをお願いしてもよろしいでしょうか。
「いかなる状況のもとでも、あるいはいかなる条件下においても、最善を尽くすということが人間としての大切な務めです。最善を尽くし、もうこれ以上の努力の余地はないと確信できるだけのことをした暁には、大霊に向かって援助を求める資格ができたことになります。
ここで序(ツイデ)に申し添えさせてください。
私は皆さんから送られてくる大いなる愛念をいつも感じ取っております。それほどまでに私が皆さんのために役に立っていることを知って感謝しております。こうしてこの場で皆さんと会し、大霊の計画の中で責務の一端を果たし、それをもって大霊からの恵みへの感謝とすることを、今後とも続けてまいりましょう。
人生の永遠の基盤である霊的法則を忘れることなく、それに調和する生き方を心掛けましょう。魂の奥の静寂とのどかさ、平安、落着きといったものを忘れないようにする方法は、それしかないのです。自分という存在の奥に潜む、より大きな側面と一体となるということです。大霊の恵みの多からんことを」
シルバーバーチ