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音を視覚化して生み落とされる絵画(アート)。【伊藤清泉】

2020.01.24 00:43
90年代前半の野外パーティー。
音とコラボレーションしながらライブペインティングしているアーティストがいた。音から色を感じ、心の底から浮かび上がってきた姿を絵として託す。それは表現という70年代から続いている長くて奇妙な旅なのかもしれない。

文 = 菊地 崇 text = Takashi Kikuchi

写真 = 鑑 涼 photo = Ryo Kagami


ー 清泉さんは10代でアメリカに行ったということを前にお聞きしました。

清泉 オートバイのデザインをしたくて、アメリカに行ったんです。76年のアメリカ。ベトナム戦争が終わって、脱力している感じだったなあ。ベイエリアのバークレーに住んでいたんだけど、ヒッピーからニューエイジにシフトしている真っ最中。そんな空気感の時代。


ー アメリカの文化から学ぶことが多かった?

清泉 多かったですね。波乗りにスケートボード…。街に溢れていたグレイトフル・デッドやサンタナ、ジェファーソンなどのコンサートを告知するポスターたち。そのポスターに音を感じて触発されたんです。デザインを学びたくてアートスクールに行っていたんだけど、そこでデッサンとかいろいろ学んで。ある日先生に「音が色として見えてくる」と話したら、「お前はデザインではなく絵を描け」って言われて。それから描いているんです。


ー そのときアメリカにはどのくらいいたのですか。

清泉 1年くらいですよ。オートバイ屋でバイトしていたこともあって、安いオートバイを買うことができた。それでグレイトフル・デッドを追いかけるとか粋がって、カリフォルニアからアメリカを巡る旅に出たんです。けれどその年はデッドのライブは少なかったんですよね。2万8000キロを3カ月くらいかけて一周して。そのときに見たアメリカの空の空気とかが、その後の自分の絵の基本になっています。

『南豆想景』


ー 帰国してイラストレーターとしてスタートしたわけですか。

清泉 たまたま渋谷パルコの壁画を描くアルバイトがあって。はじめて任されて描いたのがジミー・クリフの『ハーダー・ゼイ・カム』の日本初公開の告知壁画。20歳の頃です。それがきっかけでライブハウスのクロコダイルの壁画だったり、レコード・ジャケットの仕事をもらって、気がついたらイラストレーターになっていたんです。


ー 広告や雑誌などの仕事もやられて?

清泉 そう。80年代後半になって、頼まれる仕事に嫌気がさして来たんですね。自分の絵ではあるんだけど自分の絵ではない。だんだん苦しくなってきて、画家ですと言いはじめたんです。とはいえ、ミュージシャンのアルバムのジャケットやイベントのフライヤーなどは手がけていたんですけど。

ー ライブペイティングをはじめたのはいつ頃だったのですか。

清泉 93年かな。仲間のひとりが蛍光チョークを見つけてきて、オーガナイズで絡んでいたライフフォースっていうパーティーでブラックライトのなかで線を走らせた。何かを描こうとするんじゃなくて音に反応する遊びだったの。


ー 清泉さんのライブペインティングは、音とコラボしている感じがします。

清泉 自分は楽器のつもりでいるわけ。だからオーディエンスのバイブレーションで描くものがどんどん変わっていく。音で遊んでいるだけ。


ー ライブペインティングに限らず、描いているときはどんな心境なのですか。

清泉 いろいろです。音楽を奏でているのと一緒で、感じたまんまを気持ちよく描いているときもあれば、この色を入れたらこの絵を楽しみにしている人が喜ぶよななんて作為的な考えを持つこともあるし。絵を描くことで、いわゆる超常現象みたいなことも何回も体験しています。ただ共通しているのは、音を視覚化することに喜びを持っていた。


ー だから清泉さんの絵からは光を感じるのかもしれないですね。

清泉 音を色で感じること。これが自分の拠りどころでもあるし核でもあるし。脳みそのなかで構築していくっていうよりも、入ってきた音から見えたフォルムみたいなものをスケッチして、いろんな形になっていくんです。


ー 今年活動40年を記念する作品集が刊行されました。

清泉 記念っていうか終活(笑)。紙に残しておけば、没しても「こいつ、こんなことをやっていたのか」って見てもらえるかもしれない。それと今までやってきたことをまとめて、自分の絵画のほうに進みますよっていう宣言でもあるわけですね。アートもポップな視点が浸透してきて、アートとイラストレーションの境目が無くなってきているじゃないですか。純粋に絵画に移行しようとしているのは、今まではいろんなミュージシャンの音を視覚に描いてきたけれど、今度は自分の楽曲を描いていこう、自分のオーケストレーションを絵で構築していこう。そのことに集中していきたいと思っているんです。


ー 今の時代、画家、あるいは絵描きにとってどういう時代だと思いますか。

清泉 どれだけ絵を表すっていうことが必然性をもって人に受け入れてもらえるか。その挑戦で、それはいつの時代でも変わらなくあると思います。ただライブとかフェスとか個展などといったリアリティの現場とバーチャルの戦いのようになっているように感じますね。情報と実在、リアリティの置きどころについて考察しつつ表現の探求を続けているように思います。絵という自分のリアリティをどう伝えていくのか。その答えのひとつが自分の楽曲を描いていくということかもしれないですね。

『Greeting.』


伊藤 清泉
10代後半でアメリカへ。さまざまなカウンターカルチャーを吸収して帰国し、アートディレクター、イラストレーターとして多様な仕事に関わる。80年代後半に画家へシフト。CDジャケットやイベントのポスター、ライブペインティングなども行なっている。今年、40年の活動をまとめた画集『Art Works』が刊行された。

『Art Works』世界舎 http://sekai-sha.com/