舞台『掬う』観劇
舞台『掬う』を観劇しました。
11月10日のマチネです。
□字ックさん、はじめましてm(_ _)m
佐津川愛美さん主演の舞台。
今は「おっさんずラブ- in the sky-」で絶賛活躍中ですね。
かなりいろんなドラマに出られているので、
誰しも見て来たのではないかと思いますが、舞台で観るのは自分は初めてでした。
佐津川さんは幅広い役を演じているので、今回の『掬う』は自分にとってのイメージの中にない姿でもなかったけど、「佐津川愛美」と聞いてすぐに思い浮かべる姿ではなかった。
少し新鮮でした。
ここまでボロボロになりながら届けようとしたもののどれだけを自分は一体受け取れたのか。
感想の前に、少し長くなりますが、
なぜこの舞台を観に行こうとしたかを。
要らない情報なのでサラッと読み飛ばしてください。
昔から佐津川さんのファンだったとかではなくて、
最近、佐津川さんのインスタをフォローしたんです。
そのきっかけは、真凛さんでした。
↓この人
自分が小劇場の舞台にハマったきっかけとなったのが、
2015年のボクラ団義の「忍ブ阿呆ニ死ヌ阿呆」。
そこで完璧なるお市様を演じられていた素晴らしい真凛さんを見て、
そこからTwitterやインスタを見たんですけど。
今年に入ったあたりから、
佐津川さんのストーリーズに映る真凛さんを転載する真凛さんのストーリーズを目にする機会が多くなって(ややこしい)。
ふと思ったんですよね。
あれ?
これ。
「佐津川さんフォローする方がはやくない?」
って。
そう、ある日、真凛さん情報の9割は佐津川さん経由だったことに気が付き、
いざ佐津川さんをフォローしたら、
佐津川さんのインスタも7割くらいは真凛さん情報だったわけですが←
その残り3割にあったのが『掬う』でした。
たぶん。
もしかしたらTwitterで流れてきた『掬う』の情報の中に「佐津川愛美」の名前を見つけて、インスタフォローしたてだったので意識的に目に留まったカラーバス効果的なことかもしれません。
で、
あらすじを観て、自分の中に何か残る話な気がして。
ただ正直この時点ではまだキープ。
いろんな予定ポケットの中の一つに入れて、
近くなったらまたポケットの中身を見て選択しようと。
するとある日、
インスタかTwitterで東野絢香と佐津川さんのショットを見て。
え?
これ。
「東野絢香でんの?」
と。
説明しよう。
【東野絢香】とは、
"うにまる"こと舘内美穂が入ってすぐになくなったでお馴染み「劇団PUPUGirls」の旗揚げ公演『女子高』で亜里沙役を演じた方。
個人的に東野絢香は『女子高』の中では、かなりのヴェル。ヴェルタースオリジナル。つまり特別な存在(←スッと言え、スッと)。
まぁ実際はそこで1回観たキリなのでそろそろ呼び捨てやめさせてもらいますが、
東野さんは『女子高』で観たときに、
この人は絶対にカッコいい役もかわいい役も変な役もできるなって思って。
そんな中、今回『女子高』でのカッコいい姿とは違う、めちゃ変で少し可愛い姿が観れてとてもよかった。
東野さんが出ると知って、ポケットに入れていた『掬う』の石は大きく光を強めたわけです。
(長くブログを書いていると、こうした「佐津川さん&東野さんが出てるから行くことにした」という簡潔な話をクソ長く語るという表現ひとつひとつに嫌われる要素を残すようになります)
で、今回観てあらためて思ったけど、東野さんこれからもっと観たいですね。
今年観た人の中でもやっぱ好きでした。
あの日から気にしてたはずなのに、なぜか情報をキャッチしていなかったなぁ。
それこそカラーバス効果だと思うけど、これからは気にしよ。
(カラーバス効果って言いたい人)
お誕生日おめでとうございましたm(_ _)m
さて、前置きが長くなりましたが、観た感想を。
まだ公演もたくさんあるし、
ネタバレするので見ないでくださいっ
(↑を読み飛ばしてここも読み飛ばしたら終わりです)
話としては、
とても難しかったです。
いや、話としては簡単だけど、
感想としては難しい。
まだ観ていないですが、きっと映画『ひとよ』はもっとわかりやすい前向きなメッセージをラストにくれるのではないかと思うのですが。
この舞台は、結局のところよくわからないというか、
いろんな要素を残したまま終わる感覚。
苦しい時間が続いて、最後にそれまでのことが前向きにパーッと晴れるわけではありません。
良い話だったなぁと前を向いて劇場を後にする感じではない。
できることならシアタートラムのベンチに小一時間腰を掛けてから動きたい。
観終わった後はそんな感じ。
ただ現実から飛躍せずに現実のまま終わるからこそ、
受け取れるものがあるはずで。こちらもいろいろと考えます。
『掬う』とは。
手のひらやさじなど、くぼんだ形のものを使って、液状・粉末状のものの表面に近い部分を、えぐるようにして取り出す。また、手のひらやさじなどで、液体の表面に浮いているものやその中にあるものを、下から受けるようにして取り出す。
つまりこういうこと。
人間の感情が爆発することをよく
「バケツがいっぱいになった」
と表現しますが、
今回の舞台では、雨漏りにかけて表現されていたと思います。
そのバケツがオーバーフローしないように、
水(心)を『掬う』ことで、自分を、他人を『救う』。
自分の中ではこの舞台の大枠はそう捉えていますが。
最初に雨漏り業者が言った雨漏りの現状の説明。
「オーバーフロー」という言葉。
冒頭から雨漏りを支えていた桶。
わりと簡単にスルーしていました。
フライヤーもそうですね。
雨の一粒一粒はたいしたことなくても、溜り続けていっぱいになるとあふれてしまうまさにソレを表現していて。
最初の方で雨漏りを修理しようとする叔母に対して、
「いいよ」という瑞江がまさにこの舞台の始まりであり根底でもあったんだ。と。
最後のシーンでこれまで溜まった雨水が瑞江から溢れ出ていく姿は、
感動とかではなく、感情がグッと引き締められる、でもなく。
「…」と何も言えない感情があって。
涙を流すとかでもない「…」という時間で。
ただただ観ていた自分がいた。
目を背けることなく、瑞江のこの姿を見なきゃいけない。
そんな気になった。
そのシーンを見終えた状態で、
一言二言、変化の言葉はあるものの、そのままこの舞台は終わるので、
力尽きた状態の瑞江、というか、
力尽きた佐津川さんと皆さんが舞台に出てきて。
まぁこちらもすごい感情の中でのカーテンコールなので、
最後はなかなかなんとも言えない空間でした(笑)。
よかったんだけど、こちらも呆然として
あ、あ、あー(拍手)みたいになって、逆にすみませんみたいな笑
アフタートークある日は、笑顔の皆さんと会って終わると思うので、上手いこと消化して帰れそうですね笑。
上に載せた「水を掬う」画像。
これですが。
頭で思うのと視覚で見るのってちょっと違うなって思いました。
水を掬うときって、
片手ではうまく掬えないし、
適当に手を合わせてもダメ。
片方だけががんばってもダメで、
両者、丁寧に意見を重ねないといけない。
この写真ひとつにも
そういう人と人の関係性とか、
そういうのまで連想してしまえる。
ここまでいくと無茶苦茶なんだけど、
考えれば考えるほどいろいろ当てはまってしまう。
うちの家族も、3姉弟みんなが実家を出てからというもの、
父親は昔からあまり話さず、部屋に籠って粘土細工かリビングで韓国ドラマのトンイをスマホで見てばかり。(しかも音出すからかなりストレス)
前は自分たちがいたから食卓も騒がしかったものの、母親は無言の父親を一人で相手にしていて、徐々にヒステリックになっていくし。
親子関係はわりと良くても親同士の関係性はあまり良くはなく、重なる部分もあり。
母親は気を遣って自分からは絶対に連絡してこないので、
最低隔週に1度はこちらから電話するようにしたり。
唯一実家のある県内にいる姉がたまに実家を訪れて、母親の話を直接聞いてくれたり。
そして話を聞いている姉のバケツが水準を超えると
姉弟LINEに連絡が来て、自分たちがまた姉の水を掬い。
誰かが誰かの水を掬い続けてギリセーフみたいな数年間だけど、
溢れそうに見えるからこそ、
みんなバケツの水域には気を付けていて。
瑞江の姿を見て、できるだけ早めに掬いたいものだなと思ったり。。
自分のバケツの水域も意識しないとと思ったり。
ただ、自分のいる環境は自分からセンサーを鳴らす人たちだから
まだ瑞江ほど救いづらい関係性でもないかも、とか。
夫が瑞江に対して「バケモノめ」と良い意味で言い放ったけど、
でもそんなバケモノの姿もまた理解の範疇で。
誰しも自分もあーいう感情になることも、もしくは周りで、家族の中で、あーなっちゃう人がいたりして。
終始わからない話ではけしてなかったし、
身近な話だったんですよね。きっとみんな。
だからこそ、あらすじを読んで観ようと思った。
うん。
そう。
佐津川さんきっかけでこの舞台を知れたのも事実。
東野絢香がいたからチケットを取る決断をしたのも事実。
ただ根本は、
東野絢香がいたから観たわけではなく、
あらすじを見たときから、自分と重ねてこの舞台に何かを求めていたんだろうなきっと。
と、感想をつらつら書いていて思いました。
まぁ根本は絶対そこ(内容)にありますよね。
舞台を観たいか観なくてもいいかって。
その中で、あらためて東野絢香が好きだった。
2回しか観てないのに2回とも女子高生役。
2回ともすごい大人びたJK←
でも前回とは全く違う。
今回は役的にもかなり存在感あったけど、
あんな高身長の女子高生が突然部屋を走り回ってたらもう普通に怖すぎです。
唯一、お父さんの名前を発しているというだけで
なぜか安心しちゃうっていう(無差別のやばいやつではない)。
彼女が水に光を照らしていたのも、
『掬う』という本質の部分に関わってきたと思うし、
「綺麗」かと聞かれて「普通」と答えるところもまた。
このJKとマキ(よっこ※)との関係は、
瑞江が自分を映し出す上でも意味のある出会いだったんでしょう。
(※役名ちゃんと聞き取れてるか不安)
東野さんはあのビジュアルもやっぱいい。
色々できる、ちょうどの顔してると思う。
可愛くて可愛くもなくて。
カッコよくてカッコよくもなくて。
変で、ちゃんとしていて。
感情があって感情がない。
ちょうど良い。
好きだなーあの人。
1度もお話したことはないし、舞台の上しか知らないので、
変な人なのか超常識人なのかクソ真面目なのかチャラいのか何もわからないんだけど
(´-`).。oO(変な人だったらいいなぁ
(↑なんで)
変な人で常識人がいいなぁ。
まぁ舞台の上で好きなのでそれでもう十分です。
…でも絶対変な人な気がするぞ!
やったー!!
↑自由か
佐津川さんも真凛さんを経由してるだけの人みたいな失礼な書き方になってたかもだけど。
小劇場の舞台、セリフを"言っている"役者さんも多くてそれが悪いとも言えないけど、佐津川さんは嘘みたいに自然だったな。
演じているというのが不自然なほど自然に演じていて、
あーこの人はやっぱすごいんだなぁってなんかなった。
特定の世界の小劇場と四季や東宝ミュージカルが好きな人間なので
あまりドラマをバリバリやっている方の舞台を観てこなかったんですが、
前に賀集利樹さんの舞台を観たときも思ったんですけど
ドラマをガンガンやってる人の芝居って、
舞台ガンガンの方より自然な気がする。
(統計2名で何を語りだしたんだコイツは)
演じてないような自然な芝居の方が良いかは人の感性によるんだろけど。
俺は結構自然なの好きっぽい。
でも瑞江は、マジでしんどい。
絶対演じたくない(笑)
あとはA-Studioも観ていたし、あまちゃんも唯一社会人になって録画してまで見ていた朝ドラだったので、山下リオさんを観れたのもうれしかった。
イメージと同じだった。
瑞江はよっこの事を悪く言う流れだから言っている部分もあったので、そのホンネのようなホンネではない言葉に傷ついてしまう姿も、
攻撃されると攻撃し返してしまう。
彼女が登場したシーンではいろんな場面で見えた、人は自分を映す鏡てきな、人と人のソレも。
この人は人間らしい人間だったと思います。
柿喰う客といえば自分の中では『完熟リチャード三世』以来で。
絶対、大村さんは出てなかったんですが(女性しかいなかったはず)
いろいろと懐かしい気持ちにもなりました。
あとは瑞江の旦那は、あの旦那と暮らすのなんかストレスだろうなとかも思ったりして(笑)。
特に理由はないんですけど、
なんかフラストレーションたまる振る舞いしてますよね。
俺が瑞江だったら…、まぁ俺が瑞江だった時のことは考えなくていいか。
そして、叔母。
なにがあった日でも毎回「また明日来るね」と言えるのが凄いなって。
あの言葉ひとつあるだけで全然違うと思う。
いろんな経験してきたから去り際にあれをちゃんと言うようになったんだろうけど、なかなかできることではないです。
そんでテンプレですが、帰り道に俺も焼きプリン買いまして。
…食べましたっていいたかったけど、その日は突然スーパーカップ(ラーメンではなくエッセルの方)の気分に変わったので、冷凍庫にあったソレを食べて、プリンは翌日に食べました。
(そこは別にウソでも食べましたでいいのでは)
最後にどうでもいいことを言うと、
シアタートラムは劇場内ではスマホの電波が抑止されていて。
でも自分はわりと開場時間に劇場INしてしまうタイプで。
それを知らずに早々に着席してしまったのですが、
広告の量がハンパなくて、ちゃんと読んでいたら開場からの30分でちょうど読み終えたくらいでした。
なんでも良いように捉え過ぎなんですけど、
なんかあのチラシの量が偶然じゃなく思えて。
スマホ観れない間にできることってチラシを見るくらいで、
そのあたりを考慮してくれた上でのあのチラシ量だったんじゃないかと思ってしまった。
適当だったらラッキーだけど、
考えてくれてたとしたらグッジョブでした。
そんなことだけでここにはまた来たい。とか勝手に思えるし、
なんの仕事でも適当じゃなく考えてやりたいって改めて思えた。
(コストとか諸々できる範囲で)
と、なんでもいいように捉えて、
足元をすくわれないようにしないとな!
じゃそんな感じで!!(終わり方下手)