最後の皇帝12-イタリア戦争スレイマン進軍
2019.11.11 03:00
1526年3月、カール5世はポルトガル王女イザベラと結婚26歳、そして翌年生まれたのがスペイン最盛期君主フェリペ2世である。隣国とはいえ、ここでポルトガルの血が入ったことが、次代でポルトガル吸収につながるとは思わなかっただろう。
新婚の喜びの中でやってきたのは、こともあろうに教皇クレメンス7世が仕組んだフランスの裏切りとイタリア戦争だった。まあカトリックのために尽くした皇帝はガックリ来た。皇帝はさっそくイタリアに軍を出し、フランス側についたミラノを破り、占領した。仏王フランソワ1世は人質に息子を出しているので、強気には出られなかった。
しかし、フランスはオスマンを煽ることには成功した。4月、スレイマン1世は、欧州が分裂していることを見て、300門の大砲と6万人の兵でベオグラードからハンガリーに進軍した。ハンガリー軍は3万と加勢3万あったが、ドナウ川沿岸モハーチで、ハンガリー軍が加勢を待たずに戦闘に入り、オスマン得意の火砲攻勢にさんざんな敗退、国王ラヨシュ2世は戦死してしまった。
9月、スレイマン1世は、首都ブダペストを占領。嗣子がなかったため、ハンガリー王位は王妃の兄ハプスブルクのフェルディナンド大公が継ぎ、ハンガリーは、オスマンとハプスブルク、トランシルバニアに三分割された。
下はオスマンにハンガリーが敗れたモハーチの戦い