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北海道大学体育会サッカー部

サッカーと真摯に向き合うということ

2019.11.11 10:44

 おそらく今のように本気でサッカーに打ち込めるのもあと1年だろう。小学時代から続く約15年間のサッカー人生もあと1年で一段落となる。そこで、この1年を区切りの年として相応しいものとできるよう、この場を借りて決意表明をしようと思う。また、この文章が部員一人ひとりのサッカー人生を考えるきっかけとなってくれればと思う。

 

振り返ってみると様々なことを経験したサッカー人生であった。何も考えずただひたすらボールを追いかけ回した小学時代。周りが皆上手く食らいつくのに必死だった中学時代。監督の教えのもと少しずつサッカーを考えるようになった高校時代。そして今、これまで以上にサッカーを考えサッカーを楽しんでいる大学時代。当然、楽しいこと、嬉しいことだけでなく、辛いこと、苦しいこともたくさん経験した。それでも15年間サッカーを続けてきたのだ。

 

さて、人生全体の中でのサッカー人生と考えた時、果たしてこのサッカー人生は有意義なものであると言えるだろうか。

 

決意表明と行く前に、まずこの疑問に対する答えを考えてみようと思う。

サッカー人生が有意義であるとは、自身のサッカー人生が、それに費やした時間や体力に値するだけの価値を持つことだと言える。つまり、この疑問への解答のために自身のサッカー人生の価値を判定する必要がある。しかし、今後何が起こるか分からない人生において、自分が経験した物事の価値を判定することは非常に難しい。そこで、サッカー人生の価値を図る尺度として自身の満足度を考えてみたい。ここで満足度とは、数十年後に自身の人生を振り返りどれだけ満足できるかを示すものとする。満足度を考えれば、自身のサッカー人生は将来それに満足できるならば有意義であったと言え、満足できなければ無意義であったと言える。これが上の疑問に対する解答である。

 

では、どうすれば自身のサッカー人生に満足できるのか。

 

サッカー人生を有意義なものとするためにこのことについて深く考える必要がある。

ある人は、全ての試合に勝たなければ満足できないと考えるかもしれない。またある人は、とにかく楽しくサッカーをすれば満足できると考えるかもしれない。確かに、サッカーは勝負を競うため勝利を目指すべきであるし、アマチュアとしてサッカーをしているため楽しみを求めるべきである。しかし、ただ勝利、ただ楽しみを求めるだけのサッカー人生に満足できるだろうか。

今、もう一度、サッカー選手としてではなく、1人の人間としてこれまでのサッカー人生を振り返ってみる。ある試合の上手くいったプレー、上手くいかなかったプレー、そういったことほとんど思い出されない。思い出されるものは、チームメイト、監督、コーチ、親とのサッカーを通した日常的な出来事である。

 

『サッカーと真摯に向き合う』

 

この言葉の意味を考えてみる。当然、サッカーと真摯に向き合うということは、真面目にサッカーやチームを考える、直向きにプレーするということであるのは間違いない。しかし、サッカーと真摯に向き合うということは、サッカーを介し自分と繋がる全ての人と真摯に向き合うということでもあると言える。例えば、サッカーと真摯に向き合うということは相手チームの監督、選手への感謝を忘れないということである。挨拶一つをとってもサッカーと真摯に向き合うことと言える。また例えば、サッカーと真摯に向き合うということは親への感謝を忘れないということである。そういう意味で、サッカー中心の生活を送り学業を疎かにすることは、サッカーと真摯に向き合っているとは言えないだろう。

自分のことだけを考え、目先の利益だけを追い求める限りは得ることのできない継続的な満足感。それはサッカーと真摯に向き合った人にしか得られないものだと思う。

『サッカーと真摯に向き合う』、この言葉でこの1年間の決意を示す。

 

#9 鈴木 謙吾