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Kazu Bike Journey

Tokaido 東海道 13 (11/11/19) Mishima Shuku 三島宿

2019.11.11 13:16

(11) Mishima Shuku 三島宿


(12) Numazu Shuku 沼津宿

(13) Hara Shuku 原宿

昨日は山中城を見終わったのが5時を過ぎた頃ですっかりあたりは暗くなり、国道1号線で三島にあるインターネットカフェに泊まった。真っ暗の中だったので、そこからの史跡は見れなかった。今日はその見損なった史跡まで戻り旧東海道を走る。



初音ケ原石畳

ここから石畳の道が復元されている。標高100mの所。標高40mの三島まで下りになる。石畳は昨夜の雨で濡れており、滑りやすい。自転車を降りて押しながら進む。(押し歩きでも滑って転んでしまった。) 右手側に富士山が見える。今は住宅街になっており、部分的に住宅街が途切れたところから富士山が臨める。昔はこの街道の右手側に常に富士山を見ながら旅をしたのだろう。ここから、何日かは富士山を見ながらの旅となる。見る所、天候でその姿を変えていく。楽しみだ。


錦田一里塚

日本橋から28里。28番目の一里塚。現在でも一里塚が残っており、国の史跡になっている。これを超えるともうすぐ三島宿。旅人は箱根を越えてここに来るともう一息とほっとしたと思う。


愛宕坂

急坂を下る。かなり急だ。長さはそれほどでは無いが、昔は旅人が転んだそうだ。納得できるほど急だ。


願成寺

たまたま富士山のよく見えるところを探していたときに訪れた。源頼朝が暫く滞在して、三島大社にお詣りをしていたそうだ。



(11) 三島宿

三島宿は東海道11番の宿場で箱根宿から3里28町 (14.8km) の距離で比較的長い。本陣2軒、脇本陣3軒、旅籠74軒、戸数1,025戸、人口4,048人。

安藤広重の浮世絵は朝霧と題された絵で、早朝の朝靄の中、この後訪れる三島明神 (現三嶋大社) 前を出立しようとしている籠と馬に乗った旅人が描かれている。この宿は江戸幕府の天領で、本陣2、旅篭数74が置かれた。宝暦9年 (1759年) までは伊豆国統治のための代官所が設けられていた。



東見附跡/大場川/新町橋

大場川にかかる新町橋を越えると昔は東見附が建っていた。ここから三島宿が始まる。


三島大社

宿に入るとすぐに三島大社。大きな神社だ。境内にはたたり石なるものがあった。たたりの語源の説明がある。成る程、そうだったのか。勉強になった。


三島宿問屋跡

一般の人たちの休憩所と籠や馬の駅にもなっていた。


樋口本陣跡/世古本陣跡

東海道を挟んで北と南に本陣があった。北側には世古本陣、南側には樋口本陣。現在この街道沿いは商店街になっている。

昔の面影はもう無くなっているが、昔の軒並みを保っている建物が数軒見られた。


千貫樋

この樋川は北条、武田、今川が和睦しそれぞれが婚姻関係を結んだ際、北条から今川に婿の引き出物として造り、水を通したと伝わっている。引き出物としては実益が備わったもの。現代の引き出物はつまらないものが多い中、これほどまでとは言わないが、実用的な物がいいのだろう。


時の鐘

江戸時代に三島宿の人々に時を告げた鐘。


秋葉常夜灯

1846年に建てられた常夜灯。火事から守る願いで神様に名が刻まれている。沖縄で似たような願いで石獅子があったが、昔は火事に対しての恐れは相当だったのだ。


伏見一里塚

日本橋から29里。29番目の一里塚。綺麗に街道の両脇に二つの一里塚が残っている。北側は玉出寺一里塚、南側は玉池寺一里塚と塚のところにあるお寺の名前が付いている。


長沢八幡宮

平家と源氏の富士川の戦いの前に、源頼朝がここに布陣し、奥州から駆けつけた義経と対面した神社と伝わっている。境内には二人が対面した時に腰を掛けた石がある。真偽は分からないが、ここでその時を想像するのも良い。


黄瀬川橋

松並木がを抜けて黄瀬川橋を渡る。


沼津領 従是西

ここから旧沼津藩領 これより西 沼津領の石柱が建っている。


平作地蔵の祠

日本三大仇討の一つの荒木又右衛門が助太刀をした鍵屋の辻につながる沼津千本に関わる平作の供養地蔵尊。


玉砥石/一里塚

日本橋から30里。30番目の一里塚。前の一里塚から一里は来ていないのだが、宿場の中に置くわけにはいかず、宿場の東側に置いたという。確かに、旅人には次に宿の目安になっていたので、この方が良かったのだろう。



(12) Numazu Shuku 沼津宿

沼津宿は東海道12番の宿場で三島宿から1.5里 (5.9km) の距離。本陣3軒、脇本陣1軒、旅籠55軒、戸数1,234戸、人口5,346人。

江戸から12番目の宿。三島宿から1.5里  (5.9km) と比較的短い距離だ。この宿には本陣3、脇本陣1、旅篭屋55、総戸数1234を数えた。



川廓通り

沼津城の川側をぐるっと回る通り。川曲輪通りともいう。


沼津城跡

城の遺構や雰囲気は全て消え失せており、本丸はだだっ広い公園になっている。


本陣/脇本陣

本陣3、脇本陣1のうち中村脇本陣と高田本陣の標柱を見つけた。



東見附跡

ここで沼津宿はおしまい。


沼津領 従是東

沼津領の西の境界まで来た。



(13) Hara Shuku 原宿

原宿は東海道13番の宿場で沼津宿から1.5里 (5.9km) の距離。本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠25軒、戸数398戸、人口1,939人。宿場として整備される以前は浮島原と呼ばれ、木曾義仲討伐のために上洛する源義経が大規模な馬揃えを行ったことで知られていた。

原宿の起点の東見附などの史跡は表示もなく、原宿交差点に来てしまった。ここに再現した史跡と地図では本陣と問屋跡が記されていた。本陣は表示もみつからなかったが、地図から推測した所を写真におさめる。ここで雷も鳴り始め、雨が強くなる。近くの神社の木の下で雨宿りをして、ブログ原稿を書きながら雨が小降りになるのを待つ。今日の宿は吉原宿を予定しているが、ここからは9kmで一時間はかからない距離。ギリギリ迄待つ。



白隠禅師産湯の井戸

知っている人にはすごい人らしい。が自分は臨済宗は知っていたが、この人が開祖とは知らなかった。


帯笑園臨春園

江戸時代の庭園を再現している。地元では名士だった。


原宿問屋場跡


原宿 渡邊本陣跡

ここらへんに本陣があったはず。

雨が一向に止まない。暗くなる前に吉原宿に到着したいので、雨は強いのだが、出発することにした。旧東海道は道幅が狭く上り下りとも一車線しかない。ゆっくりと注意して走る。



増田平四郎像と一里塚

吉原宿まで半分の距離の田子ノ浦を少し過ぎた所で雨が小降りになり、晴れ間も見えてきた。ここに増田平四郎という人の銅像があった。原宿の出身の人で27年越しで大排水路を完成させた。これはスイホシと呼ばれていたが、高波で流されてしまった。しかし、その後、平四郎が行った事業が再現され今は昭和放水路ができている。平四郎の情熱が受け継がれたのだ。これの事業は残らなかったが、思いは受け継がれ残った。物で無くても良い。思いが残り、誰かは受け継げば...

ここにかかっている橋から富士山が大きく見える。生憎、雲が頂上にかかっているが、これもなかなか良い。

富士山の隣には虹が出ている。雨が止み晴れて来た。自転車旅行で大雨は厄介なのだか、時に晴れて虹が見える事がある。大雨はもまんざら悪く無いのだ。

ここは富士市。ほとんど市内から富士山が見える所だ。雨が止んだので富士山が綺麗に見える所を探して見ることにした。ビルとか家とか電線など景色を遮らないところを探す。少し走ってみつけた。自転車だとこれができて便利だ。車だとこうは行かない。

今日はこれでおしまいにして、今日の泊まりのインターネットカフェに向かう。明日は吉原宿の史跡巡りからの予定。