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©関愛子

忘れられなくなりそうな話

2019.11.13 00:34

最近のザ・ベストオブ刺さる日


すごく刺さる話を聞く。っていう時がたまにあるけど、最近のザ・ベストオブ刺さる日はこの日でした。


高橋博之氏(日本食べる通信リーグ代表)の話の中で、

その言葉を聞いた瞬間、うちのことだ、と思った。


「自然災害は、その時代の社会の弱みを突いてくる」


我が家で行われている育児という営みに於いて、わたしはかつてないほどのストレスを感じている。

いや、かつてあった。子供時代にいつもむしゃくしゃして、誰かに当たり散らしていたあの時に、いま、戻っている。退行しているとでも言おうか。


自分の最も苦手で一番やりたくないと思っているようなことをもうここ4年間みっちりとほぼ毎日、"させられている"。ことに、耐えがたいストレスを感じている。


いや、それは、自分のフィルターを通したフォーカスによるもので、

実際には、暮らしをかたちづくる、家事全般が、生活の中で、満遍なく、かつ、休みなく、やった方が生活が"うまく回る"タスクリストとして存在しているだけなのだが、


しかし、中でも、自分が、自分の最も苦手で一番やりたくないと思っているような、そしていつもそれを解決できるような能力を喉から手がでるほど欲していながら、すぐには手に入らない技術を要するそのタスクが、だいたいいつも対応を後回しにされているところに、


「自然」の猛威が、「災害」として降りかかってくる。


「ごはん作ってー」


生活に「自然」を取り込むということ。


自分は、これまでずっと「自然」を慕ってきたつもりだったし、

できるだけ「自然」を取り込もうとして取り込んでいるつもりだけれど、

実際には、「自然」との付き合い方については、いまだ無知に等しい。


好きというだけで、そのもののことを、何も知らない。というのは、いかがなものか。

そんな気持ちが、この日、大揺らぎに揺らいだ。


おだやかに、自然のなすがままに.........。それを理想とした時期もある。



『万物とつながっている自然を、人間との付き合いの中だけでコントロールすることが正しいとも思えない』頭では理解を極めたつもりだった、10代。


『自然をコントロールする方法もわからない。だけど、ただ「自然」に身を委ねるだけ、そんな暮らしを貫こうとすれば、できることは、かなり限られる』と、自分という存在に気づいた20代。


『自分が心おだやかに暮らすことが、一番省エネになる』と腹から確信した30代。


しかし、子供が生まれて、なにやらどうやら、地軸がゆっくりと動いている気がする。

心に波の立つことが多くなる。


これまで短いなりの人生で培ってきた理解が、目下の行動と完全に矛盾する。


「自然」との付き合い方を知らない者が、

子供という「自然」を、生活に取り込んでしまった。


> 頭の中。

将来は、「人間」の作り上げた「社会」という効率的統率の中へ送り込まなければいけない。

否、送り込んでおくことが、彼のためになるだろう。無駄な骨を折らずに人生を生きていけるなら、日々の暮らしの営みは、省力化したほうが、断然いい。

「社会」こそ、この文明における、これまでの知恵の集結なのだから。


> 行動。

自分の作るものを無碍にされたとき、

→ いかりがこみ上げる。(高エネルギーのとき)

→ 落胆する。(低エネルギーのとき)

集中しているときに邪魔される。

→ 怒る。(高エネルギーのとき)→頭を冷やす。

→ 逃げる。(低エネルギーのとき)→頃合いを見て戻る。

気分が晴れたら喜んで。。


頭の中で描き、心に据えていたはずの理想が、

目の前の現実と、相反する。


そんなくずれかかる自我に、

精神が崩壊しないほうが、おかしい。


(つづく)