霊能養成会と青年心霊グループの代表を迎えて
麻薬の問題
───麻薬中毒がとくに若い世代に急速に蔓延しておりますが、何が原因でしょうか。私たちに出来る救済手段があるのでしょうか。
「あります。ヒーリング、つまり霊的治癒エネルギーを使用することです。実はこのエネルギーは、危険な薬物の中毒になっている人でまだ救済の可能性のある人に、常時注がれているのです。治癒エネルギーも大霊を始源として発せられている霊力、または生命力そのものであることを銘記して下さい。
霊力は活力であり、動力であり、全生命活動の推進力です。霊なくしては生命は存在しません。あなた方が動き回り、呼吸し、思考を働かせるのも、霊であればこそなのです。
その霊力が、麻薬によって身体と精神と霊の調和を乱され活力を弱められている人に、治癒エネルギーとして作用するのです。麻薬がその三者の調和を乱し、自然な生命力の流れを阻害しているのです。
霊的治療を施す能力が備わっている人とは、その治癒エネルギーのチャンネルとしての役割が果たせる人のことです。
その人を通路として、ちょうどバッテリーの切れた電池に充電するように、活力の衰えた人に生命力が注がれ、病気の原因となっている障害を取り除いてしまいます。薬害を取り除くためにさらに別の薬を使用するというのでは、本当の治療にはなりません。
麻薬がこうまで蔓延する原因は簡単です。彼らは希望を失っているのです。挫折感に襲われ、悲観的になっています。実在というものに触れたことがなく、といって唯物的な生き方にも共鳴できず、生きる道を見失っているのです。
そこで麻薬に手を出すのですが、それで解決になるわけがありません。さきにも申し上げた通り、大自然の基調はイボリューションであり、レボリューションではないのです」
───有色人種と白人との間の溝を無くす最善の方法は何でしょうか。
「手本を示すよりほかに方法はありません。あなた方の生きざまによって、魂にはイエローもレッドもブラックもないこと、肌の色は魂の本性とは何の関係もないことを示せば、偏見によって謂われない妨害や禁止、排斥にあっている人々の注視を引くようになります。
大霊は人類の肌色を色とりどりに分け、全体として調和が取れるように配慮しておられます。白い肌は霊の優位の証明ではありません。有色の肌は霊が劣等であることの証明ではありません。霊の優劣は内部の神性がどれだけ発現しているかによって決まります」
臓器移植の問題
───心臓移植は霊的観点からみてどうなのでしょうか。
「何ごとも動機が大切です、もちろん地上的生命を永らえさせること(救命)を目的としているケースもあることは認めますが、一つの実験が別の実験への勇気を生み、それがいつしか〝救命〟という目的から外れていきます。
それに関連してもう一つ言わせていただきたいことは、動物を使って行なう残酷な実験には、霊的観点からみて何一つ価値は見出せません。残酷性の中から人間の健康のカギは見出せません。人間のエゴから行なう実験で大自然の秘密は解明されません。
私は臓器の移植には賛成できません。実は、輸血にも賛成できないのです。あくまで私個人としての意見ですが、肉体的生命の維持(死なないようにすること)が第一の目的であらねばならないとは考えません。
私の考えでは、人間としての正しい生き方───霊的に、精神的に、そして物質的にどういう生き方が好ましいかを教えることこそ、第一の目的であるべきです。
心の持ち方が自然の摂理に適っていれば、おのずと品行も方正となり、身体も健康となるはずです。それを臓器を取り替えることで解決しようとしても無駄です。最良の解決法は自然の摂理にかなった生き方に戻ることです。
そしてもう一つ指摘しておきたいことは、人間は同胞への思いやりと同時に、この地球という天体上に生息している動物への思いやりも持たねばならないということです。大霊は動物を人間の物的生命を引き延ばすための実験材料として地上に送っているのではありません」
───ということは、心臓移植は結局は成功しないと明言してよいでしょうか。
「上手くいくケースもあるでしょうけど、私が申し上げているのは、移植手術という手段は霊的観点からみて方向を間違えているということです。
人間の幸福の一環としての健康に人生を捧げている人たちのすることではないということです。臓器移植で健康を回復できません。本来健康とは調和状態のことです。臓器移植は一時的には身体に継ぎはぎ細工をするようなものです」
───人体は他人の臓器を拒否するように出来あがっているのでしょうか。
「最も大切で、しかも極めて単純な真実を知っておかないといけません。あなた方人間は、肉体と精神と霊とが最初から一体となって生まれて来ているということです。三者は分離できないのです。他と置き替えることもできません。全体として一個の存在を形成しているのです。
健康であるためにはその三者が一体性・調和・リズム・協調性を保たないといけません。ですから、健康を回復させるのは薬ではありません。医術でもありません。これらは一時しのぎの気安めにすぎません」
───一時しのぎと知りつつも臓器移植を望む背景には、死への恐怖があるのではないでしょうか。
「地上人類の無知がそうした恐怖心を生むのです。死というものを、できることなら逃れたい恐ろしい化け物のように考えています。死ぬのが怖いのです。
が、死は自然の摂理の一つの過程に過ぎません。不老長寿は地上生活の目的ではありません。地上界はトレーニングの場です。いずれは行くことになっている次の段階の生活にそなえて勉強する学校です」
神と人間
───神とは何なのでしょう?
「神、私のいう大霊の全体像は、言語によっても絵画によっても描写することはできません。言語も絵画も限りあるものだからです。小さいものが大きいものを包含することはできません。が、大自然の営みをよく観察すれば、ある程度の理解は得られるでしょう。
大自然が法則によっていかに精密に制御されているかを、よくご覧になることです。顕現の仕方はまさに千変万化でありながら、その一つ一つにきちんとした配慮が行きわたっております。
極微のものであろうと壮大なものであろうと、生命あるもの、動くもの、呼吸するもの、存在するもの全てが、自然法則によって制御されているのです。
法則の支配の行きとどかないものは何一つありません。四季は一つずつ巡り、地球は地軸に逆らうことなく回転を繰り返し、潮は干満を止めることがありません。タネを蒔くと、そのタネの中に宿された種が芽を出します。別の種が出てくることはありません。
法則の支配は絶対です。どんな新しい発見が為されようと、またそれがどこでなされようと、同じ法則の支配を受けます。何一つ忘れ去られることはありません。何一つ見逃されることもありません。
何一つおろそかにされることもありません。そうした働きの背後にある力は何なのでしょうか。それが無限なる存在、すなわち大霊なのです。
人間を途方もなく大きく拡大したものを想像してはいけません。旧約聖書のエホバ神のようなものではありません。復讐心に燃え、不機嫌になって疫病を蔓延させるようなことをする、気まぐれで怒りっぽい神さまではありません。
歴史と進化の過程をみれば、地上界がゆっくりとした速度ではあっても、常に前へ、そして上へと進んでおり、その背後で働いている力が(人間的な善悪の観念でいえば)善を志向する存在であることを示しています。
これをさらに発展させていけば、すべてを支配し、すべてを管理し、すべてを指揮し、しかもすべての内部に存在する、無限の愛と叡智をそなえたあるもののイメージが浮かんできます。それを私は大霊(グレイト・スピリット)と呼んでいるのです」
───それに関連してよく出されるものに〝神への回帰〟の問題があります。神へ回帰した時にわれわれの個的存在がなくなるのではと考える人がいます。
「進化の究極の目的はニルバーナ(涅槃・寂滅)に入ることではありません。霊的進化は限りなく個性を増幅していくことです。個性が消えていくのではなく、増していくのです。潜在する無限の資質を発達させ、ますます多くの知識を吸収し、個性がますます強化されてまいります。
大霊は無限の存在です。ということは、進化は無限に続くということになります。完全性が成就されることはありません。どこまでいっても完全へ向けての努力の連続です。その結果がより大きな自我を見出すことにもなるのです」
───進化はどこまでいっても〝中途〟段階であるとして、ある一定の段階に到達することがどういうことなのか、表現できるものでしょうか。
「それはできません。到達する界層ないし境地は言語を超えたものだからです。意識と自覚の程度の反映です。そこまで到達した者にしか理解できない性質のものです」
───究極のことをこう表現してもよいでしょうか。つまり、最後は大いなる意識(神)の海に埋没してしまうのではなく、その海の深さが個性の中に吸収されていく、ということです。
「いいですね、なかなかいい表現だと思います」
───洞察力とは何でしょうか。
「その人ないし霊が受けるインスピレーションです」
───物的な富や財産は霊的成長にとって必ず障害となるのでしょうか。
「いえ、必ずというわけではありません。しかし、難しくすることは間違いはありません」
───叡知を身につけるためには経済的に貧しくないといけないのでしょうか。
「そんなことはありません。霊的な叡知を物的な貧しさとを天秤にかける必要はありません。ただ、物的な富を所有し、さらにそれを増やそうとする欲望は、残念ながら霊的成長の障害になる傾向があることは確かです。
それよりも、地上の人間として正しい生活を心掛けていれば、必要なものは必ず与えられるものなのです。まず神の国を求めれば他のものは全て添えて与えてくださるというイエスの言葉は、その通りです。どちらを優先するかの問題です」
自由意志と宿命
───人間には完全な自由はないのでしょうか。
「ありません」
───地上生活で宿命というものがどの程度の役割を演じているのでしょうか。
「とても重要な役割を演じています」
───どういう役割か、ご説明願えますか。
「摂理によって規制されたさまざまな力の働きの一部です」
───仮に私が〝そういう仕事をすることになったのは、あなた宿命です〟と言われた場合の宿命とは、どういう意味でしょうか。
「あなた自身がその仕事を選んだということも有り得ます」
───外部の力によって予定通りにそうなったということでしょうか、それとも私自身の意志で選択したということでしょうか。
「どちらのケースも考えられます。つまり外部からの力があなたの選択を促すということです。自由意志も行使できますが、宿命的な力も働くということです」
類魂と再生説
───生まれ変わり(再生)を認めておられますが、なぜ、そして何の目的のためにでしょうか。
「地上生活が存在のすべてであるという考えで満足しておられる方は、どうぞ、そう思っておられて結構です。が、今その身体に宿っている霊は以前にも別の身体に宿って別の側面を見せていたということが考えられるのです。
つまり、あなたは大きなダイヤモンドの一側面で、一つ一つの側面が別々の時代に地上に誕生して、その体験をおのおのが持ち帰ってダイヤモンド全体の進化に貢献しているということです」
───そのダイヤモンドの一側面は類魂(グループソウル)の一つということだと思うのですが、私なら私が他の幾つかの魂のための体験を持ち帰るというのは、生命の永遠性を考えると論理的でないように思えるのですが・・・・・・
「全宇宙にわたって作用と反作用が起きております。どんなに遠く離れた土地の人でもあなたに影響を及ぼして、全体としての知識の増加に貢献しているのです。身体的にも精神的にも霊的にも、絶対に孤立した存在は有りません。
グループといい、ダイヤモンドといい、言語では表現できないものを、強いてそういう用語で表現しているだけです。
一体〝あなた〟とは何なのでしょう?
〝あなた〟という個的存在はいつから始まったのでしょう? 受胎した時からでしょうか。
ナザレのイエスは〝アブラハムの前にも私はいました〟と述べていますが、これはどういう意味だと思われますか。霊としては自分は常に存在していたということで、あなたも私もそうなのです。その永遠の時の中で、幾つかの側面が幾つかの時代に地上に顔を出すということは有り得ることです」
ホームサークルの若いメンバー
───私は常づね〝グループソウル〟(集団を構成している魂)よりも〝ソウルグループ〟(魂の集団)と呼んだ方が分かりやすいのではないかと思っているのですが・・・・・・
この意見に、シルバーバーチは直接答えずに、普遍的な問題を改めて述べた。
「あなたの霊性進化の道が開けるに従って内的な真理の悟りが深まります。私にはその場しのぎの安直な答えを述べるわけにはまいりません。私自身が体験した結果として学んだことしか述べられません。
私の申し上げることが受け入れられない方たちと議論する気はありません。ご自分の理性が反発するものは拒否なさいと申し上げております。もしもこうした私の気持ちに同調して下さり、そして出来うることなら私への愛がいただければ、それは皆さんの理性が私の申し上げることを真実と認めて下さったことの証しに違いありません。
反対に、皆さんの理性によって私への愛着心まで消えてしまった時は、私たち霊団の努力が失敗に終わったことを意味します。
ですから、私はあくまでも確信の持てる知識を基盤として、皆さんの問いに正直に答える必要があるわけです、そうした厳しい査定をパスすることによって、さらに高いものを求めて、一歩一歩、霊性進化の道を歩もうではありませんか。
これからも皆さんには楽しいことがたくさん待ちうけております。が、難問にも遭遇するでしょうし、困難も常に付きまといます。完全な世界の完全な存在ではないからです。あなたも不完全ですし、世の中も不完全です。が、自由意志をお持ちです。世の中の不公正とあなた方自身の欠点を正していく機会にも恵まれます。それが皆さんの仕事です。
いかなる知識を得ても、それをどう使用するかについて新たな責任が加わります。あなた方への信託が増したということです。その信託を裏切ってはいけません。皆さんの生きざまによって、これまでに得た知識にふさわしい人間であるだけでなく、これから与えられる新たな知識にもふさわしい人物であることを示さないといけません。
あなたは比較的お若い年齢でこうした霊的知識と出会う機会とめぐり合ったことを喜ばないといけません。多くの人が鬼火を追いかけ、幻影を抱き、実在を見出すことなく、暗い影の中で生きています。
最初に述べましたように、今夜こうしてここに集った私たちは、わくわくするほど素敵な冒険に挑んでいる同志なのです。
皆さんは無限の可能性の貯蔵庫です。それを引き出して人生に活用した時、その展望は目も眩まんばかりのものとなります。どの程度まで引き出せるかは、皆さんの努力次第です。そこに自由意志を働かせる余地があるわけです。成功の程度はあなた自身が決めるということです」
シルバーバーチ