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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

最後の皇帝13-ローマの劫掠(サッコ)

2019.11.14 01:45

教皇クレメンス7世はオロオロするばかり。フランスの出てこないコニャック同盟は敗北。また皇帝側に戻ろうと画策し始めた。そんなわけで英王の離婚など認められるわけがない、ちょっと待ってくれ、と時間稼ぎをするばかりだった。ところが悪いことは重なるのだ。

イタリアで進撃を重ねる皇帝軍は、例によって金欠である。そしてその軍にはドイツの次男三男坊が多い。彼らはルター派の反教皇キャンペーンの影響を受けまくっていた。誰彼ともなく「ローマへ行け!」「教皇に払わせろ」という声があがってきた。司令官フルンツブルク将軍は制止しようとしたが部下に殺害されてしまった。

司令官代理のブルボン公爵は、もうローマに向かうより手がなくなっていた。それでも教皇に使者をつかわし「今からそちらに行くから金払わなきゃ何するかわからんぞ」と言わせた。しかし交渉に応じたのはローマの直前、もう止まらないカッパえびせん。

1527年5月6日、皇帝軍とは名ばかりの暴徒軍はローマに侵入し、9か月近くローマを略奪,

ブルボン公も戦死して手がつけられない。それはかつてのアラリックなんざ桁が違うほどのレベルで、ローマは廃墟と化した。教皇はサンタンジェロ城に逃れたが、ついに降伏した。