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僕と落語 -5/蒲敏樹

2016.12.15 03:00

毎日、夕ご飯を作るカミさんの包丁の音を聞きながら晩酌をする僕は、自他共に認める酒呑みである。よって、数ある落語のネタの中でも酒呑みの出てくるネタは、大概好きである。僕の晩酌の相手をしながら、「だれそれ(噺家さん)の酒を呑む仕草は真に迫っている」とか、「あの噺を聴いてたら、呑みたくて仕方なくなる」などと話しているカミさんも、まぁ似たようなものである。

今回は酒呑み夫婦お勧めの噺を。

「二番煎じ」

年末、町内の火の用心の夜回りに集まった旦那衆。冷え込む事でもあるし、禁酒のはずの番小屋の中で徳利を出す者がおり、更にそれを燗する者が出る。罪悪感から、これは酒ではなく風邪の妙薬だと嘯きながら呑みだす。だんだん調子が出てくると、鍋が出て豆腐と葱、イノシシの肉と味噌が出てきて、猪鍋。これは苦い風邪の薬の口直しという口実。

と、いう所で見回りの同心がやってくる。慌てて隠すがほろ酔いの旦那衆と猪鍋の良い匂い。必死に言い訳し、風邪薬だと言い張る面々に同心が、「拙者も風邪気味じゃゆえ、その薬をよこせ」。あれよあれよと言う間に呑み、かつ食べてしまった同心はもっと無いかと要求するが「もう、それで仕舞いにございます」と半泣きの旦那衆。同心は、「そうか、ならば町内をもう一回りしてくるゆえ、二番を煎じておけ」。

これはもう我が家では年末必ず聴きたい噺の、ナンバーワンである。

熱燗を注しつ注されつ、出来上がっていく旦那衆の仕草や声。手際よく材料が投入されグツグツと煮え立つ鍋。呆然とする旦那衆の前で、杯をあおり熱々の豆腐に息を吹きかけ、猪肉を頬張る同心。呑んでいないはずの噺家さんが十分に酔っ払い、猪鍋の匂いが漂ってくるような気がする。カミさんとこの噺を話題にするたび、猪鍋しよう!今夜しよう!という事になって、そのままフハフハ、キュッ!という方向へ雪崩れ込んでいくのは必定である。幸い、我が家の冷蔵庫には先日獲った猪の肉が眠っている事だし。

「長屋の花見」

貧乏長屋の住人一同が、大家に呼び出され集まると、みんなで花見に出かけようという提案。家賃も滞るような不景気な一同だが、大家が酒も肴も用意したと言うと、大喜びで出かける算段となる。しかし用意された品々を見て一堂愕然。毛氈といえば薄汚れた荒莚、見た目は蒲鉾だが糠くさい大根に、色だけ卵焼きの沢庵。大家曰く、「肴の本物を買うくれえなら全部酒に回す」と。そう言った肝心の酒もなんと番茶の出がらしを薄めた薄っ茶色いのが3升も。それでも、花見の現場に行けば何かおこぼれに与れるかも、と一同出かけていく。お酒ならぬ「お茶け」を注ぎあい水腹を抱えながら、糠くさい蒲鉾を押し付け合い、噛むと音の出る卵焼きを飲み下す。酔った振りを強要する大家に、一人が、「こりゃ、近々長屋に良い事がありますぜ」。訝る大家に一言、「見なせえ、酒柱が立ちました」。

先の「二番煎じ」が年末なら、「長屋の花見」は春の盛りである。

そして、酒呑み噺と言いながら誰一人酒を呑めていないという悲しさ。それでもお茶を必死に酒に見立てようという仕草の「呑んでいるのは酒なのか、お茶なのか」感が噺家さんの腕の見せ所。熱燗を焙じるとか、銘柄は宇治で渋口とか、練馬の蒲鉾畑などなど長屋の面々の機知に富んだ皮肉も面白い。テンポよく進んでいくストーリーは誰もが引き込まれる事間違いなし。

しかしこの噺を我が家で話題にすると、必ず「やっぱり本物の酒と肴がええね」で結論される。そして、春になると酒呑み夫婦は、酒と“わりご弁当”を持って出かけるのだ。

裏の畑の一隅に桜を植えたのは、「長屋の花見」の産物と言ってよい。




蒲 敏樹
1978年岐阜生まれ、2010年より小豆島。
波花堂塩屋&猟師&百姓。