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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

最後の皇帝14-フィレンツェ共和制回帰

2019.11.15 02:35

教皇クレメンス7世は、虜囚の身となり、皇帝に40万ドゥカート以上の身代金を支払った上で、ローマなど目もくれず、脱出した。「ローマのサッコ(略奪)」によって芸術品は破壊されたり、略奪され、芸術家、文化人も殺害されたり、他の街に逃れ、イタリアルネサンスは最後の火を失った。

ドイツでは、1526年シュパイヤー帝国議会が開催され、ルター派禁止決議が棚上げされ、各自が独自にふるまうことができると決議された。これによって各領邦主は新教を取り入れ、教会財産を没収し、宗教を管理する力を手に入れた。領邦教会制が進んでいくことになる。

そしてローマのサッコはドイツでは、神の怒りが教皇に落ちたと解釈され、プロテスタントへの流れがますます盛んとなった。一方で、フッガー商会は、ドイツ兵士の略奪品を売買して大儲けし、その恨みをかって、ローマ支店は閉鎖された。

フィレンツェでは、教皇の庶子アレッサンドロを追放して共和制に回帰した。ミケランジェロはその頃フィレンツェでメディチ家礼拝堂の仕事をしていたが、軍事9人委員会に選ばれ、今度はフィレンツェの城壁を強化する総監督に任命され、フィレンツェ防衛に当たることになってしまった。

下は逃げ出すクレメンス7世