インディオの使徒7-ラス・カサス第二の回心
2019.11.16 08:30
一方アメリカに居たラス・カサスの植民計画は、飢饉や先住民の反乱、現地スペイン人のサボタージュで失敗に終わった。ここまでダメなら普通の人はあきらめるものだが、彼は違った。ラス・カサスは、自分がスペインの征服者達のやましい欲望と妥協しようとしたことが神に罰されたと考え、修道院に入ることにした。
1522年、彼はドミニコ会修道士となり、一旦現実から離れて、神学研究を行うこととなる。これは第2の回心と言われている。彼の膨大な神学研究から生まれたのが「布教論」であった。それは自分が行ってきた先住民への平和的宣教を理論的に確立する研究である。
「布教論」においては、すべての人間は福音を受けるにふさわしいという原則を確立。その能力があるのだから、宣教は理性を通じて、しっかりと時間をとって、理解できるように行うことが必要と述べる。強制的改宗は、かえって人間に与えられている理性と善の性向を損なう。
そしてキリストを知らない人間に対して戦争を行うのは神に対する罪だと述べる。これまで先住民に対して行った戦争は賠償の義務がある、とまで述べている。まったく現代のどこかの大統領にも聞かせてやりたいような言葉である。そして1526年9月、ラス・カサスは修道院長に選ばれた。
下はラス・カサスも居た世界遺産の聖ドミニコ教会・修道院