Ameba Ownd

アプリで簡単、無料ホームページ作成

さいたま自死遺族の集い*星のしずく

遺品整理最終章

2019.11.16 08:38

我が子に自死(自殺)で先立たれてから、これまで数カ所のわかちあいの会に継続的に参加してきましたが、私の知る限りで最短で遺品整理(処分)に至ったという方は、事後一日か二日でした。

「亡き人を思い出すモノを置いておきたくなかった」というのがその理由でした。


確かにそれも一理あるかもしれないけれど、一日か二日で片づける(ほぼ捨てた)なんてスゴイよなぁと……事後からまだ日の浅かった私は、目を白黒させてお話を聞いていました。

でも考えてみれば、実家から離れて一人暮らしをしていた方を亡くされた場合などは、遺された者の気持ちには関係なく早めに期限付きで遺品整理・片づけをしなければならないのでしょうし、それはそれで大変辛い作業ですよね。


また、何年経とうが片づけたくない、そのまま保管しておきたい遺族もいてオカシクナイです。

そこには正解も不正解もなく、遺された人たちの考え方があるだけですから。

   *

うちの子は当時中学二年生で自宅から学校に通う生活をしていましたから、自宅の自室に残された遺品整理がメインになります。

私の場合は片付けに着手することがほとんどできませんでした。


自身の肺の手術を終えて退院してから一カ月間は、自宅三階にある亡き子のベッドで寝起き、夫は床に布団を敷いて、一緒にそのままの部屋で過ごしていました。(←術後当初は一人で起き上がれないこともあったので)


亡き子の部屋で目覚める恐ろしく虚しい朝。

自宅の中では一番明るくてあたたかい部屋なのに、その部屋を使っていた愛しい我が子が存在しない……震えあがるほどの虚無感。

深呼吸をして起き上がるまでに“我が子はもうこの世にはいないのだ”ということを思い起こさねばならない、朝の目覚めの恐怖の時間。

一日のうちで一番苦しかったのは、(苦しみの)始まりの朝でした。


布団にもカーテンにもぬいぐるみにも、我が子の匂いが染みついている、その愛しさと残酷さ。

部屋の主が居ないのに、まだ動いている部屋の壁かけ時計にも心が動揺して、脈拍が早くなってくるのです。


このままそっとしておけば、我が子が戻ってくるかもしれないという馬鹿な願い、おまじない、いや何かの間違いなのだ、一旦消えたようだけれどまた戻ってくるのだ……と。

私は少しオカシクなっていたのかもれませんが、あの当時は本当にそう考えて、何一つ部屋のモノを片づけたくありませんでした。

片づけたくないのに、目の前に置いて一つ一つのモノに思いを巡らせるのも辛い。

手をつけられない、教科書もノートも、雑然とした机の上のモノも、もし触ったら……なんとか止血しようと踏ん張っている心からまた血が噴き出しそうな感覚でした。

   *

やっと少し整理してみようと思い立ったのは、事後から数カ月後。

ぽかぽか陽気の日、窓を開け放ち、机の上やピアノの上を弄り出したのですが、たった一つのモノを触ってみてもたくさんの我が子の思い出がよみがえってきて、いちいち呼吸を整えねば苦しくて何も進みません。

遺品整理とは名ばかりで、絨毯に掃除機をかけたり、多少の埃を払ったりするのが精一杯。


夫は随分早いうちから、

おれは物には執着は無い。〇〇ちゃんが生み出した作品なんかは残しておきたいけどね。本人が使っていた物には執着が無いんだ」と語っていましたが、片づけは一切しません。

たぶん、私や長女の気持ちに合わせて、行動に移す日を待っていてくれたようにも思います。

そういえばどこかの会場で、親子で同じグループのわかちあいに参加されていたのですが、亡くなられた方の遺品整理について足並みが揃っていませんでした。

家族であれ、それぞれの立場や性格も違いますもんね(^_^;)。

そういう時は、両者少しずつでも歩み寄っていった先で、決められる事もあれば、決められない事もありますし、やはり時間は要するようですね。


私は“時間薬”なんて無いと思っています。

“時間”は薬にはならないけれど、なにかしら他に薬になるものがあるとして(たとえば人の言葉・思いやり←人薬だとか)、それが効いてくるのには“時間”を要すると思っています。



我が子が先立ってから(この時点で)二年と十カ月経ちました。

大切に育ててきた愛しい子の部屋、遺品整理がなんとなんと最終章に入ります。

机は中学卒業証書をいただいた(事後一年三ヵ月後の)春に、長女が机を新調したいとのことで、亡き子の机と一緒に処分しました。

(お姉ちゃんの机と一緒なら寂しくないかな?(^_^;)とか)


亡き子の洋服は、着れそうなものは私と長女とで形見分け。

部活動用に新しく買いそろえたばかりの白ソックスも、私が悲嘆回復の一環として始めたパート先でほぼ履きつぶしました(^_^;)。


集めていた趣味の本やゲームは、長女が現金に替えて処分してきたようです。←やりおるなぁ


本人が生み出した物(絵画や工作品)や文字が綴ってあるノート類はクローゼット内に収めたり、一部飾ったり、家族の誰かが生きている限りは保管していく方向。

(ペットと称してかわいがっていたぬいぐるみ第一軍(笑)も保管の方向)その他二軍以下?のぬいぐるみやオモチャは洗って託児所などに寄付することにしています。


ピアノは、私がボケ防止のために(;'∀')大人のピアノ教室に通うことにして残しておく。←まあ弾くのはまだ辛いですけど……


そしてつい先日、亡き子が生まれた時から使っているベッドを解体して廃棄処分しました。

12月に夫の学生時代の学友が泊まりがけで山口県から遊びにくるというのです。

その友人を泊める客間にしようかと(それをキッカケに)整理しだしているのですが。

こうしたたまたまのキッカケと家族の気持ちの寄り添い具合、タイミング、すべてが揃っての遺品整理最終章に入っているこの頃。


遺品(物)とはいえ悲しくない、未練はない、とは言い切れません。

けれど、どこか気持ち的にスッキリしてきているのも事実だったりします。

📷写真は生前我が子が小学生時のバザーで買ってきてプレゼントしてくれたミニ薔薇です。

四季咲きなのでこの秋も小さな蕾が咲き始めていました。

これも私の目が黒いうちは、枯らすことなく咲かせ続けたいと思ってます。

星のしずく*管理人


自死遺族 家族友人サポート にほんブログ村(自死遺族)