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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

最後の皇帝16-教皇による最後の戴冠式

2019.11.22 01:52

カンブレーの講和会議にはトマス・モアが行かされた。ウルジーは離婚裁判でかかりきりだったし、何より皇帝と仏王が仲良くなるはずがない、と言ってきたのである。さらに教皇クレメンス7世が復活した以上、ウルジーが教皇代理になることなどありえなかった。失脚が迫っているのは明らかだった。

モアは会議で、どちら側にも味方せずうまく振る舞ったと称賛された。そのおかげで英国は13年間対外戦争にかかわらず、国教会ができたのはモアにとって皮肉といえるかもしれない。そしてモアが帰国すると、ウルジーはすべての役職を剥奪、財産が没収され。モアが大法官となった。

一方翌1530年2月24日、ボローニャで皇帝カール5世の戴冠式が盛大に行われた。それまでに皇帝と教皇はボローニャ入りして話しており、ローマでの出来事を水に流しすっかり和解していた。そしてこの日はカール30歳の誕生日だった。フランスと講和し、教皇から戴冠を受けたことは一層自分をヨーロッパの守り手として自覚されただろう。

しかし教皇戴冠は、これが歴史の中でこれが最後の儀式となった。ヨーロッパのキリスト教の分裂が固定化し、教皇の権威が落ちたこれ以後、教皇戴冠には何の意味もなくなり、皇帝はアーヘンで戴冠を行うことになるのである。