「宇田川源流」【土曜日のエロ】 運転免許所に「男」「女」以外の性別が書かれる時代
「宇田川源流」【土曜日のエロ】 運転免許所に「男」「女」以外の性別が書かれる時代
土曜日のエロの日である。まあ、毎週この土曜日のエロでは、一番初めに今週のことを少し振り返るのが形になっている。そのように見て今週のニュースといえば、一つは、香港のデモの話ではないか。もちろん、香港のデモが香港理工大学の攻防に代わってしまっているが、実際にあれを見ている人々はいかがなものであろうか。単純に、逮捕された子供たちや傷ついた大学生の親は、どのように今回のことを考えて香港行政を、香港警察を、そして中国共産党のことを考えるのであろうか。
実際に「政治的な主張」そのものが、通らなかったというだけではなく「政治的イデオロギーに殉じた」ということが、そのまま英雄視されるような状況になると、そのまま心理的に共産党に対する政治不信が行われ、常に政情不安となる。単純に言えば、何か戦争になっても、また経済的な問題が起きても、その状況に対して、中国は、このような民主化の動きに対して常に治安出動をしなければならず、人民解放軍の兵力が半減することを意味する。現在鎮圧することは、そのまま心まで鎮圧できるものではないということでしかない。
アメリカは、そのことをイラクやISで学んでいるが中国共産党は21世紀にその状況に追い落とされることになるのではないか。
ついでに言えば、香港では不可解な死も非常に多い。女性の学生が、なぜか全裸・半裸で海の中に捨てられているという事件が頻発している。香港警察はあまり調査もせずに「自殺」で片づけているが、果たしてそうであろうか。そもそもわざわざ外で全裸になって海に飛び込むような自殺をするのかということは甚だ疑問である。そのような疑問が、普通に考えても出てくるに、なぜかそのまま自殺で処理してしまっている。実際に香港警察がレイプしたうえで捨てたというような噂があるが、そうではないにしてもそのように疑われても仕方がない状態にあるのではないか。
さて、そのようなことがどのように感じるのか、そして行政と警察に対する、つまりは権力に対する疑問は、そのまま、政治不信そして社会秩序が様々に乱れる結果になる。それは、新たなエロの始まりでもあるのだ。
運転免許証に新たな性別認識加わる 米マサチューセッツ州
(CNN) 米マサチューセッツ州政府は16日までに、運転免許証や身分証明証に男女に分別されないとする「ノンバイナリー」を示す性別認識の記号「X」の記入を認める新たな制度を開始した。
州政府の運輸行政部門によると、免許証などの新規発行、更新や修正の手続きの際に認められる。
この新たな性別認識の制度は今月12日から始まった。米国で11月13日から同19日まで開かれる「トランスジェンダー啓蒙(けいもう)週間」を踏まえた形ともなっている。
運転免許証における性別認識の記入で3番目の選択肢を提供している米国の州は少なくとも14州。首都ワシントンがあるコロンビア特別区やニューヨーク市などが含まれる。
ノンバイナリーの他、男女の性別に分類されないとする表現にはこの他、「genderqueer」「gender nonconforming」などもある。
CNN 2019.11.16
https://www.cnn.co.jp/usa/35145496.html
さて、「新たなエロ」といえば、そもそもエロの話をするにあたって「男性」と「女性」という二つの性別が必要になる。当然に、男性と女性がその「性的な魅力を出すこと」がそのまま「エロ」の原点である。
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説によれば
エロティシズムeroticism
ギリシア語のエロス(Ἔρως,Erōs)に由来する語で,エロスはプラトンの『饗宴』 Symposionにも語られているように,元来は肉体的な愛から精神的な愛まで含む包括的な概念であった。しかし近代では,肉体的愛,性愛の意味で使われる。本源的には,エロスは人間の最も根源的な生命力であり,人間のすべての文化現象すなわち文学,美術,習俗の背後にエロティシズムとして働いている。エロティシズムの性愛的側面が強調されるとき,文明の退廃に向く傾向があるが (たとえば,ポルノグラフィの氾濫) ,根源的生命力として働くときは,古いタブーや束縛を脱して人間性の真の解放に転化しうるともいえる D.H.ロレンス,H.ミラーなど。精神分析学においてフロイトは,エロティシズムの発達を人格形成の基礎とみなして学術用語に定着させた。
ということになる。
<以上抜粋>
しかし、これが「男性と女性」ではなくなった場合にどのようにするのかという事態が出てきた。
もちろん、本人の育った感情や、あるいは性同一性障害などによって、自分の性別と自分の性格が異なる人も多く、また、そのことによって、性別が二つでよいのかということになる。ある意味で「トランスジェンダー」といわれる人々などがあり、その人々の権利を広く認めようというような動きが出てきているのである。
運転免許証における性別認識の記入で3番目の選択肢を提供している米国の州は少なくとも14州。<上記より抜粋>
実際に運転免許証の「本来の使用目的」として性別の記載が必要なのかということはかなり、疑問である。女性の運転と男性の運転が全く異なるとか、それによって適用法規が異なるというのであればよくわかるのであるが、自動車の運転ということであれば、基本的にはあまり性別は関係がない。そもそも、日本の運転免許証には、性別の記載欄が存在しない。そのために、性別が免許証に問題になること自体が違和感を感じるのである。
しかし、この運転免許証が、身分証明につながる場合があり、そのような時に「男性と記載されるのが嫌」という人が出てくるので、このような措置になる。つまり「運転免許証の使用方法が身分証明証に準じるものになってきている」ということがこの問題の中のものである。
そして「土曜日のエロ」ということから考えれば、そのような性別の人の「エロ」はどのようになるのか。または交通違反の時に、どのような房に入るのかということがかなり大きな問題になる。以前、選挙のたびに出てきた東郷健という人がいた。雑民党であるが、その主張は「おかまの人権を認めよ」というもので「公衆便所や公衆浴場に男湯、女湯とおかま湯を作れ」というような主張であった。まあ、当時の日本ではそのような主張が通ることはなかったが、当時から、芸能界ではおかまとか女装というものは少なくなかった。それが徐々に一般人になりそして広まっている。そして、その証明書欄にそのことを記載するような常用になるということを意味しているのである。
エロも時代とともに変わってくるのかもしれない。