キケロー著『老年について』
古代ローマの哲人政治家が
おのれの死のときに見つめたものは
133時限目◎本
堀間ロクなな
古代ローマの哲人政治家キケローが『老年について』を著したのは紀元前44年、62歳ごろのことらしい。当時の平均寿命は男女とも20代と考えられているから、すでに立派な老年であったはずだが、あえて百年前の名将・大カトーが84歳のときに語ったという体裁を取ったのは、いっそう説得力を高めるためだろうか。この著作はギリシャ・ローマの文化史上、人間の老いを初めて積極的に肯定したことで知られている。
キケローは、一般に老年が惨めなものとされる理由として、
(1)老年は公の活動から遠ざけるから
(2)老年は肉体を弱くするから
(3)老年はほとんどすべての快楽を奪い去るから
(4)老年は死から遠く離れていないから
の四つを挙げて、ひとつずつ検証しながら、むしろ老年の意義を謳いあげていく。そこには「無謀は若い盛りの、深謀は老いゆく世代の、持ち前というわけだ」「今、青年の体力が欲しいなどと思わないのは、ちょうど、若い時に牛や象の力が欲しいと思わなかったのと同じだ」「理性と知恵で快楽を斥けることができぬ以上、してはならぬことが好きにならぬようにしてくれる老年というものに大いに感謝しなければならぬ」(中務哲郎訳)といった数々の金言がちりばめられ、古来、世の高齢者たちを力づけてきた。近い将来の死に対しても、堂々とこう喝破する。
「自然に従って起こることは全て善きことの中に数えられる。とすると、老人が死ぬことほど自然なことがあろうか。(中略)果物でも、未熟だと力ずくで木からもぎ離されるが、よく熟れていれば自ら落ちるように、命もまた、青年からは力ずくで奪われ、老人からは成熟の結果として取り去られるのだ。この成熟ということこそわしにはこよなく喜ばしいので、死に近づけば近づくほど、いわば陸地を認めて、長い航海の果てについに港に入ろうとするかのように思われるのだ」
なんたる泰然自若ぶり。わたしも書き写しながら、ふつふつと勇気が湧いてくるような気がする。と同時に、人間、果たしてここまで悟りすませるものだろうか、との疑いが兆してくるのも事実だ。
実は、この著作が執筆されたのは、共和制のローマにあって絶大な権勢を手にしたカエサル(シーザー)が暗殺されるという事件に前後する時期で、キケローも一連の政争劇の主要登場人物のひとりとしてカエサル派についたり、反対派に寝返ったり、保身に汲々としていた。そうした事情を踏まえれば、『老年について』もたんに高齢者を励ますのが目的ではなく、自身の62歳という年齢をハンデにさせないばかりか、かえって存在意義を主張するための手段だったとは考えられないか。
しかし、懸命の術策も空しく失脚の憂き目を見たキケローは、翌年ローマを脱出した先で、カエサルの後継者アントニウス(アントニー)が放った刺客の手で命を奪われてしまう。後世の著述家プルタルコス(プルターク)は『英雄伝』において、その顛末を記したのちに「老人になってから見苦しくも召使たちにあちこちと連れ回され、自然の命数もほぼ尽きているのに死を免れようとして、攻め寄せた人々から逃げ隠れた上殺されたのは傷ましい」(河野与一訳)と論評している。本人が生前に書き留めた「成熟の結果」とのあまりのギャップ!
これは笑うべき人間喜劇なのだろうか? いや、そうではあるまい。死がまだ遠いときには悟りすましたつもりでいても、いざ本当にその足音が聞こえてきたときにはどれだけ老年の知恵を蓄えたにせよ、やはり最後の最後までじたばたすることこそ、生命の厳かな輝きだ、とキケローは教えてくれているように思うのだが、どうだろう?