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生きる=流動→破壊と再生

2019.11.24 11:40

こんばんは。

カバラリストも目指しているみっちです。

生きていますので、いろんな顔があります。

 

 

 

  


 

さて。

写真は、生命の樹を立体化したもの。

このところ取り組んでいた課題です。

  


 

夫が3Dプリンターでセフィラー(球体の部分)を作ってくれ、組み立てや微調整の為のルーターなどのツールを娘が貸してくれ、ぬこは最終チェックをしてくれるという…

家族総出の制作となりました。

カバラを学び始めた4年前には、

考えられなかったことです。

特に夫の協力は、

とても意外で、ありがたいことでした。


 

 

制作中は、細かな氣づきがたくさんあって、

ふおおおおおお!!!ってなったり、

あーあ…と溜息ついたり、

頭抱えちゃったり…


 

どうして立体ってだけで、

こんなに四苦八苦するんだろう…

自分は立体の世界に暮らしているのに。

 

 

 

平面を起こすことが、

こんなに細やかな調整を必要としていて、

根氣も忍耐も、楽観的な感覚も、

作る氣持ちを持続させる情熱や粘り強さも、

なにもかもが重要で、

なにかが欠けても完成しないものなんだ…と、つくづく体感しました。

 

 

 

 

立体を作り出す人達って、

ほんと、凄い。

 

 

 

 

などと感動しているとき、ふと、

私達を作った大いなる存在の「仕事」っぷりが、恐ろしく細やかで絶妙な技であると思い至り、感動で脳天が割れるかと思いました。

 

 

 

  


 

「細部に神は宿る」と言いますが、

神が宿らなければ、細部にまで手が届かないのでは…と感じます。

 

 

 

また、小さな、細かな部分を手掛ける為には、どっしりしっかりした基礎が必要で、その基礎も綿密な計算の元、様々な要素を積み上げていかなければ基礎としての役目を果たせず、脆くも崩れてしまうのだということも感じました。

 

 

 

 

 

これまでの私は、ザックリとどうにか辻褄が合えばいいんだ、という感覚だったので、細部が緩かったのだな…と、手痛い氣づきも。

 


 

 

 

しかもこのザックリさ、

幼い頃から母に教え込まれていたことを誤解して身に付けていたのだとも氣づきました。

 

 

家族の言葉って、本当に影響力ある…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いろんな氣づきを渡してくれた生命の樹。

今日のカバラのクラスでお披露目して、ありがたいことに好評でした。

 

 

 

4年前に作ったときはフェルトを使っていたので、ぽわんとした仕上がりで現実味がない印象でしたが、今回は「これでもか」という程の重量感で、現実的。実が詰まっているような印象になりました。

 

 

 



 

さぁ、次の学びに行きましょう。

ということで、イエソドの世界に移行した途端、生命の樹は美事に大破。

不思議と残念でもなく、悔しくもなく、

清々しく感じました。

 

 

 

 

 

なにかが抜けたんだ…。

 

 

 

 

静かに、そんな感覚が立ち上がってきて、

腹の底から嬉しくなりました。

 

 

 

必要な氣づきを渡してくれたモノは、こんな風に清々しく破壊されて、別のモノに再生するんだ。

 

 

 

 

私自身のあまりの身軽さに、

鼻歌交じりに踊りたい氣分です。

 

 

というか、すでに踊っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

踊りながら、

新しい世界の始まりです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日も最後までお読みくださり、

ありがとうございます。