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SYM JAPAN

「青年との集い」教皇フランシスコのメッセージ

2019.11.26 08:54

11月25日(月)午前、東京カテドラル聖マリア大聖堂で行われた「青年との集い」の際の、教皇フランシスコのメッセージ全文です。

※当日の臨場感をお伝えすべく、動画をもとに、なるべく教皇の発言(翻訳)に忠実にまとめています。

※【】内は、原稿以外に教皇が当日つけ加えて発言した箇所です。


【動画】POPE IN JAPAN 2019|東京カテドラル・青年との集い

【写真】POPE IN JAPAN 2019 公式Twitterより


 愛する若者のみなさん。

 ここに集まってくれてありがとう。みなさんのパワーと熱意を見て、聞いて、喜びと希望がもてました。本当にありがとう。そして、レオナルドさん、未希さん、雅子さん、証言に感謝します。あなたたちがしてくれたように、心の中のものを分かち合うのは、大変勇気がいることです。3人の声は、ここにいる多くの仲間の心に響いたはずです。ありがとう! みなさんの中には、ほかの国から来た若者もいるでしょう。中には、避難してきた方もいることでしょう。さあ、わたしたちが望む未来の社会を、一緒に作り上げることを学んでいきましょう。

 みなさんを見ると、今日の日本に生きる若者の中に、文化的および宗教的な多様性が存在することが分かります。それこそが、みなさんの世代が未来に手渡せる美しさです。みなさんの間にある友情と、この場にいる一人ひとりの存在が、未来はモノトーンではなく、各人が貢献する多種性と多様性によって実現されるものだということを、すべての人に思い起こさせてくれます。わたしたち人類家族にとって、皆が同じようになることではなく、調和と平和のうちに共存すべきことを学ぶことが、どれほど必要でしょうか。【わたしたちは機械によって作られたわけではありません。一人ひとり親たちの歴史・文化をもって生まれてきました。それが、わたしたちのよさであり豊かさでもあります。】友情をはぐくみ、ほかの人が抱える不安に関心を寄せ、異なる経験や見方を尊重することが、どれほど必要でしょうか。この集いは一つの祭りです。出会いの文化は可能で夢物語ではなく、若者のみなさんには、それを実現していく特別な感性があると主張しているのです。

 3人が投げかけてくれた質問に感銘を受けました。みなさんの具体的な経験と、将来への希望と夢を映し出しているからです。

 レオナルドさん。あなたが苦しんだいじめと差別の経験を、分かち合ってくれてありがとう。あなたのような経験について勇気をもって話す若者が、さらに増えることでしょう。【わたしが若かったときには、このように分かち合いをすることはまったくありませんでした。】学校でのいじめが本当に残酷なのは、自分自身を受け入れ、人生の新しい挑戦に立ち向かうための力をいちばん必要とするときに、精神と自尊心が傷つけられることです。いじめの被害者が、「たやすい」標的なのだと自分を責めることもめずらしくありません。負け組だ、弱いのだ、価値がない、そんな気持ちになり、とてつもなくつらい思いをします。「こんな自分じゃなかったなら……」と。けれども反対なのです。いじめる側こそ、本当は弱虫です。他者を傷つけることで、自分のアイデンティティを肯定できると考えるからです。自分と違うとみなすや攻撃します。違いは脅威だと思うからです。じつは、いじめる人たちこそがおびえていて、見せかけの強さで装うのです。【いじめるほうが弱いのだということに注意しましょう。いじめる側は自分を強調したいのですが、その仕方が分からないからいじめという行動に出てしまうのです。先ほどレオナルドさんには、太っていると言われたなら、痩せているほうが不健康でカッコ悪いよと言ってやりなさい、と言いました。(場内笑いと拍手)】わたしたち皆で、この「いじめ」の文化に対して力を合わせ、はっきりという必要があります。もうやめよう! この疫病に対して仕える最良の薬はみなさんたち自身です。学校や大人がこの悲劇を防ぐために尽くす手立てだけでは足りません。みなさんの間で、友人や仲間どうしで、言わなければいけません。「絶対だめ」、「それは間違っている」。

 クラスメイトや友人の間でともに「立ち上がる」こと以上に、いじめに対抗する強力な武器はありません。そしてこういうのです。「あなたがしているのは、とてもひどいことだよ」。【いじめる人は自分が怖いのです。】

 恐れは、常に善の敵です。愛と平和の敵だからです。優れた宗教は、寛容、調和、いつくしみを教えます。恐怖、分断、対立を教えません。イエスは弟子たちに、恐れることはないと言われました。どうしてでしょうか。神を愛し、兄弟姉妹を愛するならば、その愛は恐れを締め出すからです。レオナルドさんが気づかせてくれたように、イエスの生き方を見ることで、わたしたちは慰めを得るはずです。イエスご自身も、侮蔑され、拒絶され、十字架につけられる意味を知っていたからです。また、よそ者、避難民、ほかとは「違う」者である意味を、身をもって味わいました。【この話はキリスト者のためにしていますが、他の宗教のみなさんにも参考になるはずです。】ある意味、イエスこそ、もっとも「隅に追いやられた人」であり、与えるためのいのちに満ちていた人でした。レオナルドさん。もっていないすべてのことに目をとめることもできますが、自分が与え、差し出すことのできるいのちを見いだすこともできます。世界はあなたを必要としている、それを決して忘れないでください。主は、あなたを必要としています。【みなさんに言いたいことがあります。これは役立つと思います。だれかを差別するというのは、上から目線で見ているということです。わたしは上、あなたは下という態度です。上から目線が唯一許される場面は、人を助け一緒に立ち上がるときだけです。もしだれかを上から目線で見たとすれば、なさけない人間だということになります。しかしだれかを助け、倒れている人を立ち上がらせるのであれば、その人は偉大な人です。偉そうな態度を取っているときには、自分の手がどこに向いているか、人を助けるために差し出しているか、相手を差別するためなのかを見てください。これは約束です。いいですか?反応がありませんね(笑)(場内笑いと拍手)】今日、起き上がるのに手を貸してほしいと求めている多くの人に、あなたが勇気を与えられるのです。

 それには、とても大切なのにあまり評価されていない長所をはぐくむことが求められます。他者のために時間を割き、耳を傾け、共感し、理解するという手腕です。そうして初めて、自分のこれまでの人生と傷から、わたしたちを新たにし、周囲の世界を変えることができる愛に向かって進み出せるのです。人のために時間を割かずに「時間を浮かせ」ても、多くのことに時間が奪われ、一日が終わると空虚でくらくらしてしまうのです。吐きそうなくらいおなかいっぱい。わたしの国(アルゼンチン)ではそう言います。ですから、家族や友人のために時間を取ってください。でもそれだけでなく、神のためにも、祈りと黙想のためにも。そうするのが難しいときも祈りなさい。あきらめてはいけません。かつて、ある思慮深い霊的指導者が言いました。祈りとは基本的に、そこにただとどまっていることです、と。心を落ち着け、神のための時間を作り、神に見つめてもらいなさい。神はきっと、あなたを平和で満たしてくださるでしょう。

 これはまさに、未希さんが語ったことです。彼女は、競争力と生産性ばかりが注目される慌ただしい社会で、若者がどのように神のために時間を割くことができるかを尋ねました。人間や共同体、あるいは社会全体でさえ、外的に高度に発展しても、内的生活は貧しく委縮し、熱意も活力も失っていることがよくあります。【その人たちは完成されたロボット・フィギュアのようなもので、非常に完璧に動くことはできますが、心はないのです。残念ながら、夢がない若者がたくさんいます。これは大変なことです。若者には夢や神様を愛するための心の中のスペースが必要です。】すべてにうんざりして、夢を見ることもなく、笑うことも、楽しむこともなくなり、すごいと思ったり、驚いたりする感性を失ってしまうのです。他者との人生を喜べず、ゾンビのように心の鼓動は止まっています。【みなさんと一緒に、いのちを祝うことを心に保ちながら、幸せになりたいと思います。】世界には、物質的には豊かでも、比較にならないほどの孤独の奴隷となっている人がなんと多いことでしょう! わたしは繁栄した、しかし顔のない社会の中で、老いも若きも、多くの人が味わっている孤独のことを思います。貧しい人びとの中でも、もっとも貧しい人びとの中で働いていたマザー・テレサは、かつて預言的なことを言っています。「孤独と、愛されていないという思いこそが、もっとも恐ろしい貧困です」。【自分がいちばん経験したくない貧しさは何であるか、自分に問いただすことが大切です。いちばん大きな貧しさは、わたしたちが愛されていない、また愛することができないということです。分かりますか?(場内拍手)みなさんを見ていると、これはつまらないからやめたほうがいいのかな?と(笑)つまらないですか?(場内No!の声)もうすぐ終わりますからね(笑)(場内笑い)】

 この霊的な貧困との闘いは、わたしたち全員に呼びかけられている挑戦であり、あなたがたには特別な役割があります。それはわたしたちの優先事項に、大幅な変更を要求するからです。もっとも重要なことは、何を手にしたか、これから手にできるかという点にあるのではなく、それをだれと共有するのか、という問いの中にあると知ることです。何のために生きているのかに焦点を当てて考えるのは、それほど大切ではありません。問題は、だれのために生きているのかということです。【だれのために生きているのか。だれと一緒にいのちを分かち合うことができるのか。この質問を繰り返すことができるように、常に準備しておいたほうがいいですね。】物も大切ですが、人間は欠けてはならない存在です。人間不在なら、わたしたちは人間らしさを失い、顔も名もない存在になり、結局はただの物質、最高品でも、ただの物でしかないのです。【わたしたちは物ではなく人間なのですから、これはとても大切なことです。】シラ書にはあります。「誠実な友は、堅固な避難所。その友を見いだせば、宝を見つけたも同然だ」。だからこそ、次のように問うことが大事なのです。「わたしはだれのためにあるのか。あなたが存在しているのは神のためで、それは間違いありません。ですが神はあなたに、他者のためにも存在してほしいと望んでおられます。神はあなたの中に、たくさんの性質、好み、たまもの、カリスマを置かれましたが、それらはあなたのためというよりも、他者のためなのです」。【いのちを生きるだけではなくて、いのちを分かち合うことです。分かち合うのです。】

 そして、これこそが、あなたがたがこの世界に差し出すことのできる、すばらしいものなのです。【世界に若者が与えるべきものがあります。】社会における友情が可能であることの証し人となってください!出会いの文化、受容、友愛、そして一人ひとりの尊厳、とりわけ、もっと愛され理解されることを必要とする人の尊厳に対する敬意に基づいた、未来への希望です。攻撃したり軽蔑したりすることなく、他者のもつ豊かさを評価することを学ぶのです。

 身体的に生きるためには、呼吸が必要です。それは、意識せず、自動的にしている行為です。本当の意味で充実して生きるためには、霊的な呼吸を学ぶ必要があります。祈りと黙想を通して、心の奥深い場所でわたしたちに語りかける神に耳を傾けること。また、愛と奉仕のわざによって他者にかかわる、外的な運動も必要です。この内的外的な動きによってわたしたちは成長し、神はわたしたちを愛しているだけでなく、わたしたち一人ひとりに使命を、固有の召命を託しているのだと気づきます。その召命は、他者に、それも具体的な人びとに自分を差し出すほどに、はっきりと見えてくるのです。

 雅子さんは、自身の学生時代と教師としての経験から、そうしたことについて話してくれました。若者が、自分のよさや勇気に気づくには、どのような助けを与えたらよいかを尋ねてくれました。もう一度繰り返しますが、成長するため、自分らしさ、持ち味、そして内面の美しさを知るためには、鏡を見てもしかたありません。さまざまな発明がありますが、ありがたいことに、まだ魂の自撮りカメラはありません。幸せになるには、ほかの人に手伝ってもらう必要があります。写真をだれかに撮ってもらわないといけません。つまり、自分の中にこもらずに、ほかの人、とくに、もっとも困窮する人のもとへと出向くことです。【鏡に向かって、自分の顔だけを見ないでください。見過ぎたら鏡が壊れるかもしれませんから(笑)もう終わります。時間ですからね(笑)】とくにお願いしたいのは、友情の手を広げて、ひどくつらい目に遭ってみなさんの国に避難してきた人びとを受け入れることです。数名の難民の方が、ここでわたしたちと一緒にいます。みなさんがこの人たちを受け入れてくださったことは、多くの人にとってはよそ者である人が、みなさんにとっては兄弟姉妹だという証言なのです。

 かつて、賢い教師が言っていました。知恵を得るための鍵は、正しい答えを得ることよりも、正しい問いを見いだすことだと。【一人ひとりに考えていただきたい。いろいろなものに対して、正しい答えができるでしょうか。そうだと言える人がいるなら、それはありがたいことです。しかし、それよりもっと大事なのは、わたしたちが正しい質問をすることができるかということです。心が動いて、関心をもって、神様や人びとに自分自身に対して質問することはできるでしょうか。正しい答えで試験に合格できるかもしれません。ただし、正しい質問がなければ、いのちの試験には合格できないのです。】皆が雅子さんのように教職に就いているわけではなりませんが、みなさんにも、よい問いをもって、自分自身に問いかけてほしいと思います。自らに問い、そしてまたほかの人が、人生の意味や、次世代のためによりよい未来をどのように築けるかについて、ふさわしく自らに問えるよう、助けてください。

 愛する若者のみなさん。熱心に聞いてくれてありがとう。【忍耐強く聞いてくれて、感謝します。】みなさんが割いてくれたこの時間のすべてに、そしてみなさんの人生の一部を共有できたことに感謝します。みなさんの夢を黙殺したり、ぼやかしたりせず、視野を広げ、広い地平を目指し、待っている未来を見つめ、ともに夢を表現する熱意をもちましょう。日本には若者が必要であり、世界もまた、自覚をもった、寛大で、明るく、情熱的ですべての人のための家を建てる力をもった若者を必要としています。【みなさんのために祈ることを約束します。】みなさんが霊的な知恵をはぐくめますように。この人生において、本当の幸せへの道を見つけることができるよう祈ります。【正しい問いをできますように。(自分だけを見つめる)鏡を忘れることができますように。他者の目を見つめることができますように。】みなさんのために祈り続けます。みなさんと、みなさんのご家族とご友人に、豊かな幸せを願いつつ、わたしの祝福を送ります。【どうかわたしのためにも祈ってください。そして、いい質問、いい関心をもってくださるように心からお願いしたいと思います。】

 本当にありがとう。