温故知新~今も昔も変わりなく~【書評・第23回】 王陽明『伝習録』(講談社学術文庫,2013年)
日本史の教科書にも出てくる「大塩平八郎の乱」。大塩は「知行合一」で知られる「陽明学」を独学した。公言することはなくとも、王陽明のファンは昔も今も日本には結構いるようだ。
王陽明、名は守仁、字は伯安、陽明はその号となる。1472年、明の時代に生まれ57歳で生涯を終えている。この人の一生は政治家、軍略家、教育者などいろいろな側面を持ち、当時、学問の主流であった「朱子学」(新儒教)を敢然と批判した。同時に健康や家庭生活には恵まれない波乱の一生でもあった。理屈に理屈をしっかりと重ねて体系化をし、それをもって良しとしたのが朱熹の「朱子学」だとする。これに対して王陽明は体系化が語ることのできない一点を説き、体系化されたものを刹那に手放すことができた人だろう。
王陽明の思想をつたえるものに「伝習録」がある。このなかで「朱子学」の信奉者と書簡のやりとりを丁寧に行いながらも、『「道の根本はわかりやすい」にも関わらず、わかりにくいものを求めて、それを学問だとうそぶいているのは朱子学を学ぶ者たちだ』と喝破している。
王陽明のエッセンスを指し示している一つに「花間草の章」がある。門人の薛侃(せっかん)が、花にまじる雑草を抜き取りながら、善は育成されにくく、悪は排除しにくいものだと王陽明に対して呟く。
すると王陽明はそれをたしなめる。花を鑑賞する視点にたてば、雑草は悪いもので、雑草をなにかに使おうとすれば、今度はその立場が転ずるから、いうなれば、相対的な関係のなかで善悪は流転してしまうものにすぎないとする。そして次のような会話が続く。
(薛侃が)いう、「草が、もはや悪ではないのなら、草は抜かなくてもよいのですね」と。
(先生が)いう、「そういう考えこそが、むしろ仏者や老荘の徒の意見なのだ。草がもし邪魔なら、あなたが抜き取っても少しもかまわない」と。
(薛侃が)いう、「そうならばこれもまた作為して好んだり悪(にく)んだりしたことになりませんか」と。
(先生が)いう、「作為して好んだり悪んだりしない、ということは、好んだり悪んだりすることを全くしないということではない。これでは知覚のない人間ではないか。作為しない、というのは、好んだり悪んだりするが、すっかり天理にかなうことであって、そこには知見を一切介入させないことである。こうするからこそ、それこそ悪んだりしないことと同じなのです」と。
(薛侃が)いう、「草を抜き取るには、どのようにすることが、すっかり天理にかない、先見を介入させないことになりますか」と。
(先生が)いう、「草が邪魔ならば、天理として抜き取るべきだから、抜き取るまでのことです。たまたますぐに抜き取らなかったしても、心を煩わされたりしません。もし、いささかでも(抜き取られねばならぬ、と)先入観にとらわれたら、それこそ心の本体は煩わされることになり、さまざまに身体の制約された活動をしてしまうでしょう」と。
「道の根本はわかりやすい」といった王陽明。ただ、このやり取りがわかりやすいとはいえない。私なりにいえば、王陽明は、行動を起こす刹那、心に言葉や理屈といった「紙一枚」すら残すことなかれということだろう。相当の「覚悟」が要されるが、「覚悟」などという言葉で表現をしているうちは「紙一枚」と叱咤されるかもしれない。
ただ、大塩平八郎が「紙一枚」すらおくことなく、天保の飢饉に乱をおこしていたとして、その心が天なのか、それとも、別の何かに通じていたかはきっとまた別の問題だ。
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筆者:西田陽一
1976年、北海道生まれ。(株)陽雄代表取締役・戦略コンサルタント・作家。