論語よみの論語知らず【第4回】「教えざる民をもって戦うは」
あたりまえに聞こえてしまう訳の裏にとんでもないものが隠れている。論語を読んでいるとそんなことをよく思う。
「子曰く、教えざる民を以て戦うは、是れ之を棄(す)つと謂う」(子路篇13-30)
【現代語訳】
老先生の教え。軍事を教えない民を用いて戦争するのは、民を棄てるというものである(加地伸行訳)
なお、歴史学の泰斗であった宮崎市定は「訓練しない人民を戦争に狩り出すのは、殺されにやるようなものだ」と今少しストレートに訳している。
孔子が生きた春秋時代の後半は、戦争の様相が大きく変わりはじめていた。春秋時代の前半では、戦争に参加すること自体が特権で、貴族や戦士といった階級に属する者が中心でおこなわれ、合戦の日時も場所も互いに事前に知りえて、その規模も大きくて数万人程度の戦いだった。全面衝突に至り激戦となっても、どちらかの陣営が逃げ出せば、それ以上追撃して全滅させるようなことはあまりなかった。また合戦の直前に互いの陣営から勇者がでて決闘を行うこともあり、血生臭いなかにも一定の倫理とヒロイズムやロマンが介在した。
これが、孔子の時代になると戦争はもはや貴族や戦士だけの独占物でなくなり、一般国民も兵士として徴集されて戦いに狩り出され、その規模も大きくなった。貴族と戦士のなかで共有できた単純なヒロイズムやロマンはいつしか姿を消し、騙し騙されの駆け引きから徹底した殲滅戦までがおこりえる極めて陰惨なものとなっていった。
孔子はこの過渡期に生きた人であった。中原(中国)の国々はどこも軍事力の強化につとめていた時代で、兵家とよばれる軍事の専門家たちを自国にかかえるべく血眼になっていた時代だ。そうした風潮のなかで、孔子が吐露したのが先の言葉なのかもしれない。ただ、この言葉どのような状況でだれに向けて発したものなのだろうか。弟子を相手にした嘆息のごとき独白にすぎないものか、あるいはどこかの国の君主に対面したときの堂々と発したものなのか。もし後者とすれば、筆者としては加地先生や宮崎先生のような訳では正直ピンとこないのだ。
両先生とも「教えざる」の目的語に「軍事」・「訓練」といったものをあてている。ただ、あえてそんな具体的な目的語をあてはめずとも、潔く「道を教え導く」ということでよいのではないか。つまりは次のような訳でもよいと思う。「民に道を示し教え導く努力を十分にしていなければ、戦争をする資格などない」。
ここでは、国に道徳がおこなわれるべく努力をしたうえかと問われ、君主がイエスといえるのかどうかを問題にしていると考えたい。これが成立しなければそもそも軍事・訓練もむなしく、そもそも戦をする資格がないという読みかたをする。筆者は、孔子が単純な平和主義者であったとはまったく思わない。ただ、戦とは政(まつりごと)に直結して、君主の気まぐれや私心で行うものではない。君主よそこをわかっておられますかと切り込んだ言葉として浮かび上がるのだ。
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筆者:西田陽一
1976年、北海道生まれ。(株)陽雄代表取締役・戦略コンサルタント・作家。