終電は私を救う/山本佳奈子
残念ながら、最大のホームシック期間である。もう、地元に帰りたくて帰りたくて仕方がない。こういうことを言うと沖縄の人は「ああ、また脱落者か」とか「結局は内地の方が好きなんでしょ」とかネガティブな印象を受けるのかもしれないが、私にとっての故郷とは、関西であり尼崎なのである。沖縄の人が、ここ南の島の空の青さと透き通った海に誇りをもつように、私は光化学スモッグ警報がよく出た尼崎の、あのどよーんとした空気を誇りに思っているのだ。
とはいえ、2週間後には久々に地元へ戻る。久々に数日間関西に滞在できるので、自分でもこのホームシックをさして心配していないし、故郷があるならたまに帰ってリフレッシュすればいいのである。こんなに交通も情報インフラも発展した今の世界で、「ここに骨を埋めよう」なんて考え方はナンセンスではないだろうか。どうせ骨を埋めるなら、細かく砕いて自分の好きないろんな土地に散り散りに埋めればいいのである。
さて、ホームシックとは、故郷であるホームが恋しくなるという意味であると思うが、その原因は故郷と今の居住地の環境が大きく違うことにある。故郷と現在地が似ているのであれば、ホームシックになり得ないのかもしれない。(しかし英語にしてみるとhome sick。へんてこな言葉である。)みなさん想像に容易いよう、沖縄と本土はそもそも文化圏が違うので、環境が大きく違う。長く住んだ尼崎市と通勤圏大阪市、今住んでいる那覇市とで、何が違うのか、挙げ始めたらキリがない。いつかその違いはリストアップして、分析するべきではないかと思うのだが、今回は私が昨今強烈に辛さを感じている違いを紹介する。
終電がないのだ。国際通りまで歩いて徒歩10分程度、那覇市中心部に住む私は、市内のモノレールに乗車する必要がない。沖縄で一番飲み屋の多い国際通り周辺からであれば、徒歩で帰ることができる。尼崎に住んでいたときは、梅田で飲んで万が一終電を逃せば片道5000円を超える。終電に乗れるか乗れないかは、生か死か、ぐらいの大きな問題だった。なにがなんでも、終電に間に合うように帰っていたあの時代は、素晴らしかった。いまや、終電という足かせを外すことができた私は、飲むときはとことん飲むようになってしまった。夜更かしができるなら、終電を気にすることもないので、ついつい飲めるだけ飲んでしまう。いつ飲み終わればいいのかが、わからなくなるのだ。ブレーキの故障。そういうときは、要注意である。たまに、一緒に飲んでいる人と言い合いになるまで飲む。もう、そうなったときの、翌朝の自己嫌悪ったら凄まじくひどいのである。
深酒が、悲しい言動を引き起こし、その後の人間関係のトラブルを引き起こす。事実、何度か深酒のおかげで人間関係を壊しそうになっている。アルコールの摂取量が増えてくると、ついつい、本音をオブラートに包まず言ってしまうのだ。冷静さを欠いた言動であるからこそ、口から出た言葉が刺々しく人を攻撃してしまう。終電があれば……。終電がありさえすれば、と、自分の失敗を環境のせいにする。こんな小さな島で、しかもカルチャー系コミュニティにいる人はだいたいお互いを知っているような小さな島で、誰かと喧嘩したりすればその後本当に生きづらくなってしまう。大都市大阪のように、道行く人は誰も彼も知らない人、ではない。那覇市も都会とは言え、道を歩くと知り合いや友達と偶然出会う頻度が高い。狭い街なのだ。
最近よく一緒に飲む友達夫婦は、私の家から徒歩15分の距離に住んでおり、また那覇市内の名店を熟知している。美味しいバルに、美味しい焼き鳥屋、センスの良いレコードバーに、ヒップな立ち飲み屋、場末の居酒屋まで、那覇市内の名店を常に巡回している。ここのところ、2週間に一度はその夫婦と飲んでおり、このあいだも互いの翌日が休日であることを祝って飲んでいた。夜22時頃に1軒目。最近できたお洒落な立ち飲みバルで美味しい創作料理に感動しながら3杯ほど飲む。2軒目。1時間後に閉店する美味しい焼き鳥屋で1杯ずつ飲む。入店時間はすでに24:10。3軒目。本土からの観光客にも有名な老舗居酒屋で、泡盛のボトルをみんなで空ける。だんだんと会話には、仕事の愚痴や、うだつのあがらない環境に対する悲観だったり、ネガティブな話題がちらほらと出てくるようになる。満席だった店内がほとんど空席になってきたところで、店を出ることにする。すでに深夜2:45。
外に出ると、不思議なことに、まだ飲める気がしてくるのだ。友達夫婦との帰路。家に帰るなら私はまっすぐ進み、友達夫婦は左へ曲がる分岐となる交差点。4軒目に行けるのか?行けるのかもしれない、と思った瞬間に、私たちの酒欲を制した人がいたのである。1軒目の途中から合流していた、友達夫婦と親しい大人の女性。交差点で「あれ、まだ飲める気がするー」とへらへら歩く私たちを、「さあ!帰ろう!」と大きく朗らかな声で、明るく爽やかに見送った大人の女性。その明朗快活な掛け声に「はい!帰りましょう!」と反射的に答えた私たちは無事、5軒目に行くことなく家に帰ることができた。今思い返せば、その女性は1軒目の店で、とある行きつけだったバーのオーナーと飲みながら喧嘩してしまった話をしていた。もうその喧嘩は何年も前のことだそうだが、その後二度とそのオーナーと話しておらず、道ですれ違うとビクビクするらしい。失敗からの習得。経験は、人を助ける。あの後、もし5軒目に突入していたとしたら、私は5軒目で会った誰かと、または最悪の場合は友達夫婦と喧嘩して、一生の後悔をしていたんじゃないか……。そう思うと、その女性に感謝の意を表さずにはいられない。小豆島のみなさんも、お酒はほどほどにしましょう!
ちなみに、一晩に3軒も4軒もはしご酒をして、よくもそんなにお金があるなあと思われるかもしれないが、外で飲んでも意外と安いのが沖縄なのである。沖縄県産の泡盛を飲んでいれば、1軒分のお会計が一人1000円ぐらいで済むこともざらである。なぜかと言うと、沖縄県の酒税は他県より軽減措置されている(※)。アルコール度数30%前後の泡盛750mlボトルをスーパーで買ったとすれば、安い銘柄だと600円程度。こんなにアルコール度数が高いのにこんなに安い泡盛。お店で飲んでも安いのは当たり前だし、少しの量で酔えるため安上がり。ただ、飲酒運転ワースト県でもある沖縄。これだけお世話になっておきながら沖縄県内酒造会社のみなさんには失礼かもしれないが、酒税は上げたほうがいいんじゃないだろうか。そうすると小売価格も値上がりし、金持ちではない私のような人間が軽々しく深酒できないようになり、みんなが人間関係において亀裂を走らせることもなくなり、飲酒運転も減って、もっと素敵でハッピーな南の島になったりして。
※飲み終わるタイミングを失いがちな私にとっては悲報。2017年度も酒税軽減措置が延長されてしまった。(財務省「沖縄県産酒類に係る酒税の軽減措置の延長(内閣府)」http://www.mof.go.jp/tax_policy/tax_reform/outline/fy2017/request/cao/29y_cao_k_09.pdf (参照2017. 2. 10)
泡盛といえば本土では請福(石垣島)や瑞泉(那覇市首里)あたりの銘柄が有名だが、那覇市でだいたいどの店にもある安くてスタンダードで一番ベターな泡盛は、赤いラベルの菊之露ブラウン(宮古島)じゃないかなと思う。また、泡盛の原材料は県産米ではなくタイから輸入したタイ米。チャンプルー文化とはこのこと。そしてインドネシア語およびマレー語において「チャンプール」とは沖縄のチャンプルーと同義。
山本佳奈子
アジアの音楽、カルチャー、アートを取材し発信するOffshore主宰。 主に社会と交わる表現や、ノイズ音楽、即興音楽などに焦点をあて、執筆とイベント企画制作を行う。尼崎市出身、那覇市在住。
http://www.offshore-mcc.net